「急遽、授業がフルで入ってしまって…」
春うららかな巣鴨地蔵通り商店街。お訪ねした教室のドアを潜った瞬間、その雰囲気が一変しました。新学期早々、桜の開花も間もない4月6日、不登校・中退・引きこもりなどで学校へ行けなくなってしまった子供達ために、再学習支援を行っている、NPO法人キズキの安田祐輔さんのお話を拝聴する機会がありました。<お忙しい中、本当にありがとうございました>
それからおよそ2時間、安田さんのNPO法人キズキ設立に至るまでの経緯から、現在までのお話を伺いましたが、お話を伺うというより、こちらがエネルギーを充電させていただいているような感覚を覚えました。お話の中で僕なりに要点をまとめますと、
1.人は小さなところからでも影響を及ぼすことができること
2.抽象論で理想を語るのではなく、現場に寄り添うこと
3.何人も尊厳によって生きる存在であること
4.問題を抱えた相手の解決を図るのではなく、まず安心が大切であること
以上の4点になりますが、これらについて順を追って述べさせていただきたいと思います。
安田さんは1983年、横浜生まれ。ちょうど僕とは10歳違いますが、一時同じ町に住んでいたという不思議なご縁がありました。小学校時代、家族は様々な問題で崩壊状態であり、安田さんは帰宅してもいつも一人という孤独な時間を過ごされたていたそうです。
そんな家から出るため、安田さんは千葉県にある全寮制の中学に特待生として入学します。お話全般を通じ、安田さんには自らの境遇を自ら打開しようという意思の強さを感じましたが、わずか12歳にしてこの決断は驚かされます。しかし、特待生であるがゆえ、進学実績を過剰に期待する学校の姿勢と同級生によるいじめ等もあり、中学二年生で退学。
横浜に戻るものの、再婚した父親の家には馴染めず、預けられた祖父母の家でも、世代間ギャップの問題もあり、中学三年生の頃には地元の暴走族に入っていました。後になって、そうした不良仲間もそれぞれ不幸な境遇を抱えていたことを知ったそうです。
18歳の時、環境に人生を決められることへの悔しさ、自分は何がしたいのかという疑問から、一流大学に入れば今の環境から抜け出すことができるのではないかと一念発起し、2年間、ゼロからの猛勉強の末にICU(国際基督教大学)に進学。当時、アフガン戦争の米軍による空爆で子供達が苦しむ状況を知り、そうした環境を変えるため、将来は国連のような機関で働きたいと漠然と思っていたそうです。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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