
2月17日、WBN(早稲田ビジネスネット横浜稲門会)の分科会に出席してきました。
今回の講師は、ゼロから1を生み出すメンター、セレンディピティの本田仁さんにお越しいただき、「少子高齢化時代に勝ち残る企業のつくり方~真・メンタリング入門」と題してご講義いただきました。
短時間で非常に内容が多岐にわたりましたので、ここではほんの一部のみご紹介したいと思います。
「メンタリング」とは、メンターが相手(メンティー)をやる気にさせ、相手の持つ可能性と能力を最大限に発揮させる手法をいいます。良く似た言葉に「コーチング」がありますが、コーチングが具体的な目標達成支援を目的とするのに対し、メンタリングは生き方を変え、人生という長いスパンで支援するという点で、より広い概念になるそうです。正しいか分かりませんが、「カウンセリング」に近いのかな、という気がしました。
相手をやる気にさせ、相手の持つ可能性と能力を最大限に発揮させるメンターには見本(率先垂範)→信頼(受け入れ)→支援(やる気にさせる)という3つの行動基準があるそうで、それぞれの比重は7:2:1になるのだそうです。
これに関してふと頭を過ったのが、山本五十六の「やってみて、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は動かず」という箴言です。これを先ほどの行動基準にあてはめると、「やってみて、言って聞かせて」が7割、「させてみせ」が2割、「ほめて」が1割、「話し合い、耳を傾け」が7割、「承認し」が1割、「任せて」が2割ということになります。なるほど、自分がやり過ぎても、相手に任せ過ぎても、ほめ過ぎてもダメだということですね。
この行動基準に則った時、それは相手にとって尊敬→信頼→やる気・感謝となります。
メンターは相手を思いやり、見返りを求めません。見返りを求めない方が却って相手に「返報性の法則」が働くので、相手の自立を促す、本物の支援ができるのだそうです。また、手の貸し過ぎは逆に相手の依存性を高めてしまいます。真心で相手に寄り添いながらも手を貸し過ぎないようにする、メンター自身が強く自身をコントロールできていないとなかなか難しいことではないかと思いました。
同様の理由で、自分の意見や助言も最小限に抑えます。答えは相手の中にしかなく、人は自らが成長したいと思った時にしか成長しないためです。このことは、「啓蒙」の語源となった『易経』の「蒙」の卦にある「我童蒙を求むるに匪ず、童蒙来たりて我に求む」(自分から出向いて幼い者に教えようとするのではない。幼い者の方から自分に教えを請いに来るのである)を思い出させます。
それは相手の自立と成長を目的とするからですが、この概念を取り入れた「メンタリング・マネジメント」という手法のお話で印象に残ったのが、「仕事の成果とプロセスのどちらを重視するかではなく、いずれにしてもその行動が自発的であったかを重視する」という考え方です。なるほど、と思いました。
メンタリングでは、いかなる環境・条件の中においても、それを成長のための教訓ととらえます。これをプラス受信(客観的・好意的・機会的に受け止めること)というのだそうですが、いわゆる「プラス思考」や「ポジティブ思考」と異なる点は、厳しい現実や自身の辛い・悲しいといった感情もいったん受け入れるということです。ここは非常に共感した点です。
こうしてみると、メンタリングとはメンター自身が成長していくための永遠のテーマであり、同時に周囲のメンティーや彼らが構成する組織、組織が構成する社会を成長させていく深いテーマなのではないかと思いました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
