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これまでも沖縄の城(グスク)を幾つかご紹介してきましたが、2月19日、浦添城に行ってきました。
【これまでブログでご紹介した沖縄の城】
●今帰仁城跡
●座喜味城跡
●中城跡
※首里城、勝蓮城にも行ったことがありますが、ブログ開設前。
1945年の沖縄戦で徹底的に破壊されたため、あまり有名ではないかもしれませんが、初代琉球国王である舜天(在位:1187-1237)の時代に創建されたとされ、英祖王統、初代中山王察度(1321-1395)の三王朝が居城としたとされる城です。
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牧港を見下ろす高台にあり、戦略的に重要な場所であったと分かります。やがて琉球三山を統一することになる尚巴志は、1406年に察度王統の武寧を滅ぼし、父親の思紹を中山王に据えると、首都を首里に移しました。
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現在、前述の英祖王と第二尚氏7代尚寧王の墓とされる「浦添ようどれ」が2005年に復元されました。「ようどれ」とは夕凪を意味し、夕凪→静かから転じてお墓を意味するようになったのだそうです。
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暗しん御門(くらしんうじょう)跡。沖縄戦で破壊されてしまいましたが、元は天然の岩が上に覆いかぶさっており、トンネル状だったそうです。
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二番庭から中御門(なかうじょう)。この奥の一番庭がようどれです。
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英祖王と尚寧王(およびその一族)の墓は並んでおり、上の写真は向かって右側の西室(英祖王陵)。
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左側の東室(尚寧王陵)。中を見ることはできませんでした。尚寧王は、薩摩の琉球侵攻時の王で、薩摩から戻った後、浦添に葬られました。第二尚氏の陵墓は首里にある玉陵(たまうどぅん)ですが、陵墓の被葬者の資格を記した玉陵の碑文(たまうどぅんのひのもん)からは、陵墓を造営した第三代尚真王の長男である浦添朝満が外されていました(朝満は廃嫡され、異母弟である第5王子が第4代尚清王として即位)。後に朝満は尚清王によって玉陵に移葬されるのですが、尚寧王は朝満の曾孫であることから、浦添ようどれに葬られたものと思われます(尚寧王以降の王は、第4代尚清王の第2王子、第5代尚元王の系譜)。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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