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窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

日本プロ野球2012 ソフトバンクvs西武7回戦

2012年07月07日 | スポーツ観戦記


  少し前になってしまいますが、7月2日、東京ドームにソフトバンクvs西武戦を観戦に行ってきました。



  この一戦は、ソフトバンク主催の「鷹の祭典2012」と銘打ち、野球以外にも様々な趣向が凝らされていました。ドームは緑のレプリカ・ユニフォームを着たソフトバンクファンでほぼ埋め尽くされ、ソフトバンク史上最高の観客動員となったようです。



  ということで、始球式にはCMでお馴染みの、トリンドル玲奈とダンテ・カーヴァーが登場しました。



  さて、今シーズンはどちらもBクラスに沈み、苦しんでいる両チームですが、ソフトバンクの先発はプロ5年目の若い岩嵜投手。一方の西武は岸投手でした。そういえば、前回西武戦を観に行った時も先発は岸投手でした。



  序盤は淡々とした投手戦で進みました。試合が動いたのは4回裏、ランナー二塁の場面で松田選手がレフトへタイムリー・ツーベースを放ち、まず先制しました。

 

  7回裏、ソフトバンクがさらに追加点。ノーアウト、ランナー二塁の場面で、松中選手が右中間に豪快な一発。これで3vs0。

 

  さらに、2アウト1、2塁から最近当っているとはいえ、ここまで打率1割台の高谷選手にもセンター前タイムリーヒットが飛び出し、4vs0。



  西武の反撃は9回表、ランナー1、3塁の場面で岩嵜投手続投。今シーズン打率1割台ながら、この試合では岩嵜投手に合っていた浅村選手がセンターへの犠牲フライを放ち、4vs1。岩嵜投手はその前の時点で既に130球を超えており、浅村選手との相性を考えれば、この前で代えて良かったのではないかと思いましたが、4点という点差、次の当っている大崎選手が左打者であることを考慮したのかもしれません。試合後のインタビューで分かったことですが、真相は岩嵜投手の続投志願だったということです。



  しかし、西武の反撃もここまで。先発投手を比較すれば、西武の岸投手の方が内容は良かったのではないかと思うのですが、ソフトバンク打線が要所を逃さなかったこと、逆に西武打線はチグハグで、走塁等にもミスが見られたことが、結果に現れたと思います。



  そして試合後もイベントは続きます。福岡県久留米市出身の藤井フミヤがサプライズで登場。作詞・作曲を手がけた球団公式セレモニーソング、「勝利の空へ」を熱唱しました。横浜ベイスターズだって、昔はCoCoが歌ってたんだぞ!



  さらに、皆でペンライトを振って球団歌「いざゆけ若鷹軍団」の大合唱、そして終わると福岡ドームでは定番の花火で締めくくりました。この一体感、万年最下位の我らが横浜と比べ、またかつてのパ・リーグを知っている世代として見ると、羨ましくも賞賛せざるを得ません...

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富岡(横浜市金沢区)史跡探訪⑤

2012年07月06日 | 史跡めぐり


  富岡総合公園。ここは旧日本海軍初の飛行艇隊である横浜海軍航空隊が置かれていた場所です。戦後はアメリカに接収されていましたが、1971年(昭和46年)に返還、現在の富岡総合公園と神奈川県警第一機動隊となりました。



  昔はただの沼だったこの池で子供の頃、メダカやザリガニを釣った思い出があります(落ちた思い出も)。しかし、そのわずか10年足らず前までここが米軍の施設(ベトナム戦争時は通信基地としても使われました)だったとは、当時想像だにしませんでした。

 

  横浜海軍航空隊の名残である、隊門跡。他に飛行艇大格納庫が第一機動隊の敷地内に残っています。



  富岡総合公園から鳥見塚の交差点にかけての桜並木は、現在、お花見の名所として市民に親しまれていますが、この桜の樹も昭和11年の横浜海軍航空隊発足時に、隊員達の手によって植樹され、育てられたのが始まりだそうです。

  年々歳々花変わらねど 征きて還らぬ戦友多かりき



  戦前には九四式水上偵察機、零式小型水上偵察機、九九式艦上爆撃機などを生産し、戦後は国産初の旅客機YS-11を生産したことで知られる、日本飛行機が現在でも近くにありますが、その他にも、大日本航空の南洋航路の拠点となるなど、この一帯は戦前の一大航空拠点だったようです。

 

  さて、その桜並木の麓にひっそりと佇む祠があります。海軍飛行艇隊の戦没者殉職者、約二千柱を合祀した浜空神社跡です。

  日米開戦後、九七式大艇や当時世界最高性能を誇った二式大艇を擁する横浜海軍航空隊は、その航続力を活かし、ハワイ、インド、アリューシャン列島、オーストラリア、ソロモン諸島といった広大な範囲にわたる哨戒・偵察活動を行いました。しかし、1942年(昭和17年)、ガダルカナル諸島のカブツ島において、アメリカ軍の襲撃を受け全滅しました。

  なお、浜空神社は2008年(平成20年)、横須賀の雷神社に移されています。



  最後は鳥見塚です。日本最初の元号が大化であるのはご存知だと思いますが、二番目の元号は白雉(650年~654年)といいました。穴戸国(山口県)の国司、草壁醜経(くさかべのしこぶ)が、麻山(おのやま)で捕らえた白い雉を孝徳天皇に献上し、これは瑞祥であるとして元号を白雉と改めたというのが定説です。

  ところが、ここ富岡には別の伝承が残っています。都築のある長者がこの地で白い雉を捕らえ、朝廷に献上しました。朝廷はこれを瑞祥であるとして、元号を白雉と改めました。長者は喜び、この地を「鳥見ケ岡」と名付け、雉の霊を慰めるための塚を作り、人々はそれを「鳥見塚」と呼びました。それからというもの、この村はだんだん豊かになり、やがて「富岡」と呼ばれるようになったというものです。

  以上で今回の富岡史跡探訪は終了です。

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富岡(横浜市金沢区)史跡探訪④

2012年07月05日 | 史跡めぐり


  慶珊寺の裏をさらに上っていくと、直木賞の名前の由来で知られる、小説家直木三十五の文学碑が見えてきます。実は、この奥に直木三十五邸が残されていたのですが、惜しくも平成23年に解体されてしまいました。

  尤も、直木三十五が富岡のあまりの静寂に耐え切れず、東京の文藝春秋の一室に逃げ帰ったというエピソードも残っています。



  さらに、慶珊寺の近くの長昌寺・芋観世音堂に、直木三十五の墓があります。



  その昔、現在の富岡総合公園・アスレチック広場辺りに一年中芋の葉が茂る豊かな池があったそうです。いつしか、この池の中に小さな観音様が現れると噂されるようになり、村人によって池の傍に観音堂が建てられました。後に横浜海軍航空隊がこの地に置かれた事で、観音堂は現在の長昌寺に移されました。

  この由来から、観音様は「芋神様」、「芋観世音」と呼ばれ信仰を集めるようになり、ご開帳日には江戸や相模からも子供をつれた参詣者で賑わったということです。病苦を取り去ってくれる恵み深い観音様で、参詣すればあらゆる願い事を叶えてくれ、また容貌を美しくしてくれるとも言われています。



  長昌寺にある樹齢700年とも言われる、柏槇の樹も見事です。

<つづく>

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富岡(横浜市金沢区)史跡探訪③

2012年07月04日 | 史跡めぐり


 慶珊寺。富岡郷の地頭、豊島明重(信満)が1624年(寛永元年)に父母供養のため、館の東に建立した寺です。



  まず目に付くのが元内閣総理大臣・岸信介揮毫による「孫文先生上陸之地」の碑。今年は辛亥革命からちょうど100年になりますが、1913年(大正2年)、第二革命において袁世凱に追われた、近代中国の父・孫文が、台湾経由で日本に亡命。横浜沖よりこの富岡に上陸したことを記念する碑です。孫文は、その後東京へと向かい、中華革命党を結成して反袁世凱闘争を続けました。



  豊島刑部明重父子供養塔。慶珊寺の墓地には、豊島明重とその子吉継の供養塔があります。この供養塔には、次のような悲しいエピソードがあります。

 老中井上正就の子、正利と堺奉行嶋田越前守直時の娘との間にある時縁談があり、明重が仲人となりました。ところが、縁談が無事調った段になって、突然春日局が正就に鳥居成次の娘との縁談を持ちかけてきました。三代将軍徳川家光の乳母であり、権勢並ぶ者なき春日局の申し出を正就は断ることができず、嶋田直時の娘との縁談は破談となってしまいました。これにより仲人の明重の面目は丸潰れとなってしまいました。さらに追い討ちをかけるように、明重は嶋田直時の後任として堺奉行に内定していたにも関わらず、正就の娘婿の水野守信が堺奉行に決まってしまいました。

  いかに相手が老中とはいえ、度重なり武士の面目を潰され、怒り心頭に発した明重は、嶋田直時に不手際を詫び、家人には後事を託して江戸城へ登城。1628年(寛永5年)8月10日、江戸城西の丸廊下において正就と行き合うと、「武士に二言は有るまじき事」と叫んで脇差を抜き、正就を斬り倒しました。その場に居合わせた番士の青木忠精が止めに入り、背後から明重を羽交い絞めにしましたが、明重は脇差を己の腹に突き刺し、青木もろとも貫いて果てました。嶋田直時もこの件の責を感じ自刃しています。

  これが江戸城で初の刃傷事件です。この咎で、明重の息子吉継も切腹。しかし、民を慈しみ、父母に孝を尽くし、神仏を尊んだ明重父子の非業の死を富岡の村人は悲しみ、公儀から見れば重罪人であるにも関わらず、領主の菩提を弔うため立派な供養塔を建て、守り続けたということです。

<つづく>

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富岡(横浜市金沢区)史跡探訪②

2012年07月03日 | 史跡めぐり


  宮の前の信号を下っていくと、富岡八幡宮のある八幡公園に出ます。富岡八幡宮は、1191年(建久2年)、源頼朝が富岡鎮護の為に摂津国西宮の恵比寿様を勧請して創建されました。1227年(安貞元年)には八幡大神を合祀し、社名も八幡宮となりました。富岡八幡宮というと東京深川の方が有名かも知れませんが、実は深川の富岡八幡宮はここの分社なのです。

  富岡八幡宮は鎌倉から見てちょうど鬼門(北西)の方角に当たり、社も鬼門を向き、鎌倉幕府の厄災防除の神としても祀られた神社です。1311年(応長元年)の応長の大津波の際には、この八幡宮の山が津波からを護ったことから、「波除八幡」とも呼ばれています。

  昔は薄暗く、少し怖いようなところでしたが、平成14年に本殿が改築されたようで、周辺の木も切られ、写真のように明るくなっています。



  八幡公園の中には、二つの記念碑があります。



  ひとつは、富岡漁業協同組合碑。わずか40年ほど前まで、ここが豊かな漁港であったことを示すものです。ここはかつて宮の前海岸といい、少なくとも奈良時代には漁が営まれていました。とりわけ「本邦随一」とも賞された、高品質の海苔の産地として有名でしたが、1971年(昭和46年)、この地の埋め立て事業が決定し、その歴史に幕を下ろしました。



  今では全くその面影のない団地街(並木町)となっています。並木町の名前は、かつてこの先の海が「竝木の海」と呼ばれていたことに由来します。そしてさらにその先の工業団地の町名が「幸浦」と言うところに、かつてここが豊かな漁場であったことの名残をとどめています。因みに、僕は1980年(昭和55年)にこの並木町へ引っ越してきました。そのわずか10年足らず前まで、ここが海だったことを思うと、不思議な感じがします。



  さて、もうひとつは「海水浴発祥 宮の前海岸」の碑です。実は、ここが日本の海水浴発祥の地なのです。明治の初期、明治学院初代総理でヘボン式ローマ字で名高い、ヘボン博士がここ宮の前海岸を「東京湾で最も海水浴に適した地」と評したことから、急速に注目が集まったそうです。



  このすぐ近く、次回登場する慶珊寺からも程近い、現在は天神荘という名のアパートになっている富岡東4-3-20辺りは、大蔵卿・松方正義の別邸があったと言われています。前回もいくつかご紹介したように、ここ富岡には明治政府の要人が次々と別邸を構えていました。それゆえ「夏は富岡で閣議があける」とまで言われたほどです。こうしたことからも、明治の初期、富岡は一級のリゾート地であったことが窺われます。因みにそのさらに奥が富岡尋常小学校跡になります。



  さらにもう一つ。八幡公園裏のこすもす幼稚園には、「日本国憲法起草之地」の碑があります。戦後、第一次吉田内閣で国務大臣を務めた金森徳次郎がここで日本国憲法の草案を仕上げたと言われています。

  奇しくも、富岡は大日本帝国憲法、日本国憲法、両憲法の起草に関わった地となったのです。

<つづく>

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富岡(横浜市金沢区)史跡探訪①

2012年07月02日 | 史跡めぐり


  7月1日、ふと思い立ち、横浜市金沢区富岡の史跡探訪に出かけてきました。ここ京急富岡駅は小学校1年生から大学二年生まで通学に利用したなじみの駅です(今でも家から歩いて20分程度の所です)。また、7歳から16歳まで、富岡の隣の並木という町に住んでいましたが、今回、子供の頃には気づかなかった、富岡の知られざる歴史を肌で感じることができたのは、貴重な経験でした。



  上の地図が、今回歩いた大よそのルートになります(クリックすると地図を表示します)。自宅を出てから帰るまで、占めて2時間半、運動不足の身にはちょうど良い朝の散歩です。



  まず最初は、京急富岡駅からすぐ近くの、旧川合玉堂別邸(二松庵)。ここは、日本画の大家、川合玉堂が、富岡の景観を気に入り、大正6年(1917年)頃に購入した別邸です。玉堂は夏冬の画室として良くここを利用したそうですが、昭和に入ると京浜急行(当時は湘南電気鉄道)の開通や、飛行機の騒音(後にご紹介しますが、この付近には横浜海軍航空隊や日本飛行機がありました)を嫌い、あまり来なくなったのだそうです。時々内部も公開されます。



  京急富岡駅を下り、国道16号線の信号を越えたところに富岡六地蔵尊があります。隣に駐輪場があり、子供の頃よく見慣れたお地蔵さんでした。明治の初め頃、金澤村(現在の金沢区東部)に疫病が大流行しました。ところが、富岡村だけ疫病から護られ患者は皆無だったそうです。これは富岡村の南端に位置していた六地蔵のお陰であるということで、人々の信仰を集めました。昭和21年に現在の富岡東6-24付近に移されています。

 

  国道16号線を杉田方面に歩いていくと、「富岡総合高校前」の信号にきます。そこを右に曲がって坂を少し下った富岡東6-33付近には、井上馨の別邸がありました。現在は小さな公園に隣接した駐車場になっています。その隣には、伊藤博文の仮寓邸があったそうです。明治14、15年頃、明治政府の要人達がここに集まり、不平等条約の改正問題や憲法制定など重要案件を討議していたということです。

  特に、大日本帝国憲法の草案は当初ここ富岡でなされていました。ある時、伊藤博文の仮寓邸に泥棒が入り、憲法草案の入った鞄が盗まれてしまいました。幸い、その重要性に気づかなかった泥棒が鞄を裏の畑に捨てて逃げたため、事は大事に至らずに済みましたが、この件以降、憲法起草は人の立入ができない夏島(横須賀市)で行われるようになりました。それがなければ、大日本帝国憲法は「夏島憲法」ではなく「富岡憲法」として、ここ富岡も歴史に名を刻んでいたことでしょう。



  国道16号線、宮の前信号前。この付近に、旧幕臣で榎本武揚と共に五稜郭で函館戦争を戦い、後に明治政府に出仕して枢密院顧問官となった、大鳥圭介の別邸があったようです。

<つづく>

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2012年6月アクセスランキング

2012年07月01日 | 人気記事ランキング
  早いもので、2012年も折り返しました。2012年6月にアクセスの多かった記事、ベスト10です。

  前月に引き続き、YMSがトップを獲得しました。6月は更新そのものが少なかったのですが、他を圧しての1位となりました。ありがとうございます。

  2位にアメフトのパール・ボウル準決勝が入り、3位には3年前の記事である「横浜産地粉うどん「ハマッ子」、横浜の果物「浜なし」」が入りました。報道か何かで取り上げられたのかもしれませんが、お勧めであることに間違いはありません。

  5位「ラジオ放送予定のお知らせ」、聴いてくださった皆様、本当にありがとうございました。放送内容はまだ下記から聴くことができるようです。惜しくも聴き逃してしまったという方、ぜひアクセスしてみてください。

移動リサイクル教室「出前講師」で学ぶ衣類のリサイクル

1 第22回YMSを開催しました
2 2012 パールボウルトーナメント準決勝 オービックvs鹿島
3 横浜産地粉うどん「ハマッ子」、横浜の果物「浜なし」
4 忠孝泡盛と沖縄料理の会
5 ラジオ放送予定のお知らせ
6 ch116187 日本料理 空海
7 2012年5月アクセスランキング
8 なんじゃこら大福
9 ch175117 てぃんさぐぬ花(沖縄タウン)
10 エコノミーとエコロジーの語源

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