都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
再び、ザオ・ウーキー。

「ザオ・ウーキー展」
2004/10/16~2005/1/16
こんにちは。
美術館へ通うようになってから3年あまり…。同じ美術展へ二度足を運ぶことなど、今までに一回もありません。しかし、今回、初めて2回目というのを体験しました。ブリヂストン美術館のザオ・ウーキ展です。昨日、行ってきました。
人間の印象なんていい加減なものなのでしょうか。いや、私だけがいい加減なのかもしれません。前回、先月の6日に見たときと、作品の色、形、そしてそれらが作り出す美術館の雰囲気が、かなり異なって感じられました。不思議です。
確か、前回見たときの感想には、「カンヴァスの中にある線や形が、作品を具体的なものへと変化させる。そしてそれをどう捉えるのかで、感じるものが変わってくる。」などと書いていたと思います。ですが今回は、何故か、その具体的なものが全く見えて来ないのです。要するに、作品を自分なりの何かに置き換えて見ることができないわけですね。あの鮮やかな色も、極めて動的な形も、全てがただそこに泰然とある。そこには、一切の隙を見せず、見る者の解釈も許さないような厳しさがありました…。
前回は、このような厳しさを殆ど感じずに、もっと勝手気ままな見方をしていました。だから、見ていて素直に楽しかった部分もありました。しかし今回は、そういった楽しさとは、完全に無縁だったと思います。ただ、決して、不可解な抽象画を見ているような、ただ単によく分からないだけの、作品から突き放されたような感覚があったのではありません。そうではなく、一つ一つの作品が、目の前に立ちはだかるようにして、私の体、そして意識に迫ってくるのです。一つ一つの部屋に入ると、そこに並べられた作品群に凝視され、動くことさえままならない…。そんな気配すら感じました。
ブリヂストン美術館は、天井が低いので、若干の閉塞感がありますが、それでも動線に工夫がなされていて、振り返ったりして視点を変えたりすると、ガラッと雰囲気が変化します。「サヴァンナ」や、墨で描かれた大きな作品「無題(1982年)」のある部屋から、「25.05.60」の作品を見た時、何の恐怖感を覚えたのか、足がすくみました。また、前回、その美しい青と、輝くような白い飛沫に魅了された「07.06.85」も、今回は畏怖の念すら感じさせるような、険しい表情をしているよう見えました。
一般的に、ザオに限らず、作品が常に同じ表情をしていることはないと思います。特に、作品の鑑賞が、見る側と作品との対話行為とするならば、それが一定であることはあり得ません。ですが、これほどまでに印象が変化するとは、ちょっと予想もつきませんでした。ただ、その変化は、ネガティブな方へと向かったわけではないようです。何故なら、それは、前回見たときよりも、ザオの作品とまたどこかで出会いたいという思いが、さらにはっきりと強まったからです。本当に不思議です。
カレンダーを買ってきました。部屋に飾ってみると、一枚目が、足のすくんでしまった、あの「25.05.60」でした。コピーですし、大きさも滅茶苦茶で質感もありません。ですが、今年は、このカレンダーを見る度に、ザオを見て感じたことは一体何だったのかを考えそうです。しかし、もしかしたら、一回目に見たときより、衝撃的なものがあったのかもしれません。年初から、久しぶりに、頭をガーンと殴られたような感覚を味わいました。
*前回見た時の感想はこちらへ。
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