「プーシキン美術館展」 東京都美術館 11/3

東京都美術館(台東区上野公園)
「プーシキン美術館展」
10/22~12/18

19世紀末から第一次世界大戦までの間に、ロシア人実業家であるシチューキンとモロゾフによって収集されたフランス近代絵画の数々。そのコレクションが収められたプーシキン美術館の所蔵品を、まとまった形としては初めて日本で公開された展覧会です。秋の都美に相応しいような、なかなか見応えのある企画と言えそうです。

モネ、ルノワール、コーギャン、マティス、ピカソと、ビックネームが華々しく並ぶ作品は、印象派から象徴派、そしてナビ派を経て、フォーブ、キュビスムへと、西洋美術史の時間軸にのっとる形で、とても分かりやすく並べられます。モネの「白い睡蓮」やシスレーの「オシュデの庭」などの印象派の作品から、いつどこで見ても唸らされるほど素晴らしいセザンヌからの二点、さらには、南の島で創作された、鮮やかな色彩が心に残るゴーギャンや、とある日常の一コマを切り取りながらも、タッチの美しさや構図の妙に魅せられるボナールの「洗面台の鏡」など、味わい深い作品がいくつもありましたが、特に深く印象に残ったのは以下の三点でした。

まずは、この展覧会の華として、ポスターにも大々的に取り上げられた、マティスの「金魚」(1912年)です。来日は40年ぶりとのことで、当然ながら初めて見る作品ですが、140cm×98cmのキャンバスは想像以上に大きく、金魚を描いた作品としては異例とも言える迫力を見せつけます。テーブルに置かれたガラスの金魚鉢には、真っ赤で可愛らしい四匹の金魚が、やや窮屈そうに泳いでいます。そしてその背景には、色とりどりの草花と大胆な黒。それぞれがダイナミックなタッチで、金魚鉢を四方八方から取り囲みます。また、この作品で最も興味深い点は、金魚鉢の立体的な表現と、その他のデフォルメされた平面表現の対比です。前方左手に見えるのは椅子でしょうか。まるで階段のように大きく引き延ばされて、金魚鉢を左から引き立てます。また、金魚鉢も、今にもテーブルからずり落ちてしまいそうな角度で置かれています。背景の黒の上に、ぽっかりと浮かび上がる金魚鉢。デフォルメされた空間に奇妙に置かれたそれは、一見しただけで強烈な印象を残します。

二点目は、ピカソの初期の作品である「アルルカンと女友達」(1901年)です。テーブルに肘をつけて、どこかをボーッと眺めている二人の人物。右側の、菱形模様の青い服を纏った人物の顔には、長い指が絡み付くかのように耳と口へ接しています。テーブルの上には、素晴らしい質感を見せる大小のグラスが二つ。飲み物もまだ残っているようです。二名の口は固く閉ざされ、互いに口も聞かなければ、視線も合わさないような気配も漂わせますが、この二つのグラスの存在が、不思議と画面に温かみをもたらします。黙々と飲んでいたのか、ついさっきまで熱く語っていたのか。それぞれ二対の人物とガラス。背景も概ね三色だけと、極めてシンプルな構図ですが、イメージは無限に膨らんできます。

最後は、この展覧会で最も私の足を釘付けにさせた、ゴッホの「刑務所の中庭」(1890年)です。およそ中庭とはほど遠い、三方を高い塀に囲まれた塔のような場所で、囚人たちが、まるで見えない鎖に繋がれているかのように、黙々と円を描いて歩いています。上部からは光が差し込み、囚人たちには影もハッキリと描かれていますが、何故か、彼らの立っている場所だけは、寒色系の色彩でまとめられていて、不気味なおどろおどろしい雰囲気を醸し出します。囚人はどれもくたびれたズボンのポケットに手を突っ込んで、背中を曲げながら気怠そうに歩いていますが、例えば亡霊の行進のような、生気のない様子は殆ど見せません。むしろ、うつむいた顔を凄むようにあげて、じっと上目遣いに何かを見つめる怜悧な視線には、強い意思が潜んでいます。また、画面の一番前で、顔をやや斜めにしながら、こちらを睨む一人の人物の気配には、特にただならぬものを感じました。他の囚人たちを従えるかのように先頭に立って、一際グイッと肩を迫り出して歩く様子。彼の顔の表情からはしばらく逃れることが出来ません。背筋が寒くなりました。

個人のコレクションによる展覧会と言えば、森美術館で今年開催された「フィリップス・コレクション展」を思い出しますが、全体的にはそちらにやや軍配があがるかとは思うにしろ、それでも比較的マイナーな画家からいわゆる大家まで、見応えのある作品をいくつも見せてくれます。また、ゴーギャンやボナールの版画など、あまり他では見ないような作品にも出会えました。12月18日までの開催です。
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