都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」 山種美術館
山種美術館
「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」
6/27-8/23
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山種美術館で開催中の「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」のプレスプレビューに参加してきました。
今年、生誕130年を迎えた日本画家、前田青邨(1885~1977)。山種コレクションの青邨作品が全て公開されるのは、1994年以来、21年ぶりのことです。
本展では青邨を中心に、日本美術院の先人である大観、春草、観山、そして同時代の古径、靫彦、御舟、さらには院展の後進の画家までを紹介します。
[前田青邨と日本美術院 展示構成]
第1章:日本美術院の開拓者たち
第2章:青邨と日本美術院の第二世代ー古径・靫彦とともに
第3章:紅児会の仲間と院展の後進たち
出品は全58点。うち青邨が13点です。途中の展示替えはありません。
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左:橋本雅邦「日本武尊像」 明治26年頃 絹本・彩色
冒頭は青邨も属した日本美術院の先人たちです。堂々たるは「日本武尊像」。描いたのは橋本雅邦です。青邨よりも50歳年上の画家、生まれは江戸時代の天保年間です。元々は狩野派に学びました。確かに本作でも岩や木に狩野派風の表現が見られるのではないでしょうか。
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横山大観「燕山の巻」 明治43年 紙本・墨画
大観はどうでしょうか。それこそ雅邦や天心の薫陶を受けた日本美術院の一期生。長大な「燕山の巻」が目を引きました。大観自身が中国へ行き、初めて描いたという水墨画巻。かの大作「生々流転」の先駆けとしても知られていますが、ここには雪舟に対する意識を汲み取ることも出来ます。軽妙な水墨の筆致が中国北方の雄大な景色を情緒的に表しています。
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下:梶田半古「赤いショール(口絵木版)」 明治30年代 多色刷木版
青邨の師が梶田半古です。「赤いショール」、小ぶりの木版の作品ですが、そもそも半古は挿絵画家として人気を集めていました。ゆえに多くの木版が世に出回ったそうです。
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下村観山「老松白藤」 大正10年 紙本金地・彩色
青邨が深く尊敬していたのが下村観山でした。やはり目立つのが「老松白藤」、6曲1双の金地の屏風です。明治神宮の命によって伏見宮家に奉献するために制作した作品、琳派を思わせる面もありますが、構図自体は等伯や永徳らの桃山の大障壁画を踏襲しています。しかしながら藤の精緻な描写や蔓の表現などは応挙風でもあります。つまり円山四条派と桃山の折衷のスタイルです。ちなみに画面には一匹の熊蜂が飛んでいます。巨大な松からすればあまりにも小さい。写真では分かりません。是非会場で確かめて下さい。
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下村観山「不動明王」 明治37年頃 絹本・彩色
観山では「不動明王」にも目が留まりました。雲に乗って飛来した不動明王、ともかく体つきに注目です。何やら奇妙なほどに筋肉は隆々、まるでギリシャ彫刻のようではありませんか。西洋絵画の影響を指摘されますが、実際にも観山はこの作品を英国留学時に描きました。左下にはアルファベットのサインもあります。またニューヨークタイムスにレビューが掲載されたことから、アメリカの展覧会に出品されたとも考えられているそうです。
ちなみに青邨は観山の死に際して、古径とともに下村邸に参じては、観山のデスマスクを制作しました。その深い悲しみは想像に難くありません。
さて主役の青邨です。安田靫彦は青邨を「色彩家」、「類のない達筆」、「人を愉快にさせること無類」と評しています。確かに色彩は非常に華やかです。それでいておおらかとも呼べる筆致が明朗な画面を作り上げてもいます。
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前田青邨「大物浦」 昭和43年 紙本・彩色
色の魅力、まずは「大物浦」でしょう。この深く、またニュアンスに富んだ青み。美しい。主題は源平の争乱です。頼朝に追われた義経が摂津辺りを航行中、大きな嵐に襲われたというエピソード。船上の武士たちは波に飲まれまいと必死にしがみついています。甲冑は思いがけないほど細かく描かれていました。そして折重なる大波は力強い。波や屋根における三角形が目立ちはしないでしょうか。どこか面的な構成が目につきます。
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前田青邨「腑分」 昭和45年 紙本・彩色
「腑分」には驚きました。時は宝暦4年、山脇東洋が日本で初めて解剖を行った様子を描いたものです。いわゆる白衣なのでしょうか。うっすら灰色を帯びた衣に身を纏った人々たち。画面右下に裸の女性の姿が見えます。その上の半袖の男が執刀者です。皆鋭い目つき、ふと見やると手を前にして祈りを捧げている者もいます。
このように青邨は歴史画を得意としていました。いわゆる有職故実や古典を熱心に研究します。また実地の取材にも事欠きません。例えば先の「腑分」では解剖学者の協力を得て、わざわざ大学病院にまで手術を見学しに行ったそうです。また「異装行列の信長」では、信長の穿いた豹や虎の袴を描くため、実際の動物園へ出かけては観察、スケッチをしたこともありました。
色彩に関して目立つのはたらし込みでしょうか。いずれも瑞々しい。色は時に輪郭線を超えて広がっています。
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小林古径「闘草」 明治40年 絹本・彩色
古径は全部で6点ほど出ていました。うちやはり見入るのは「闘草」です。既によく知られた名品ですが、人物の輪郭線を朱色で描いていることに気がつくでしょうか。ここで古径は仏画の描法を踏襲しています。また近年、修復がなされました。それゆえか以前よりもより明るく見えるかもしれません。
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左:奥村土牛「犢」 昭和59年 紙本・彩色
同時代の院展では、奥村土牛、小茂田青樹、速水御舟らの画家が取り上げられています。それに院展参加前の青邨に影響を与えた紅児会の画家たちも重要です。安田靫彦を筆頭に、今村紫紅、御舟、さらに古径と青邨らを加えたグループが結成されます。彼らは親しく交じながらも、切磋琢磨しては制作に励みました。
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右:今村紫紅「大原の奥」 明治42年 絹本・彩色
紫紅の「大原の奥」は紅児会への出品作です。清盛の娘である徳子が晩年、出家して建礼門院と名乗って余生を過ごしたことに因んだ一作、舞台は京都大原の寂光院です。薄墨の衣をまとい、全てを達観したかのような表情を見せる建礼門院の姿。背景はやや装飾的とも言えるのではないでしょうか。何とももの悲し気な作品でもあります。
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守屋多々志「平家厳島納経」 昭和53年 紙本・彩色
青邨の後進の画家にも着目しています。名は守屋多々志、月岡栄貴、平山郁夫、小山硬らです。中でも守屋の「平家厳島納経」が目立っていました。清盛一門が厳島神社に平家納経を奉納した当日の様子を表した屏風、武士らが船で大鳥居をくぐっては進み行きます。制作の前年に亡くなった師の青邨を悼んで描いた作品だそうです。
ラストは「炎舞」です。山種コレクションでも最も人気のあると言って良い傑作、思いの外に久々のお出ましです。2年ぶりに公開されています。
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速水御舟「炎舞」 大正14年 絹本・彩色 重要文化財
深い闇を背景に浮かぶ炎。蛾はまるで煙に沿って舞うように群がっています。御舟は本作にあたって毎晩のように焚き火し、蛾を熱心に観察しました。ゆえに蛾などは写実的です。ただしそれだけではありません。炎は仏画を連想させる面もあります。さも彼岸の世界をも覗き込んだような妖気すら漂っているのです。
ぐっと抑えられた照明の効果もあってか、ともかく炎の赤みが際立っていますが、実は照明をLEDに交換してから初めての公開だそうです。監修の山下先生によれば「より赤みが増した。」と評する今回の展示。言葉を変えれば「凄みが増した。」とも表せないでしょうか。思わず炎に吸い寄せられてしまうかのような迫力すらあります。身震いしてしまいました。
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「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」会場風景
青邨から院展の流れを前史を踏まえて追える展覧会です。相互の影響関係にも言及しています。まさに青邨のメモリアルイヤーならではの企画だと言えそうです。
8月23日まで開催されています。
「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」 山種美術館(@yamatanemuseum)
会期:6月27日(土)~8月23日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1000(800)円、大・高生800(700)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*きもの・ゆかた割引:きもの・ゆかたで来館すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。
注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。作品は全て山種美術館蔵。
「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」
6/27-8/23
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山種美術館で開催中の「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」のプレスプレビューに参加してきました。
今年、生誕130年を迎えた日本画家、前田青邨(1885~1977)。山種コレクションの青邨作品が全て公開されるのは、1994年以来、21年ぶりのことです。
本展では青邨を中心に、日本美術院の先人である大観、春草、観山、そして同時代の古径、靫彦、御舟、さらには院展の後進の画家までを紹介します。
[前田青邨と日本美術院 展示構成]
第1章:日本美術院の開拓者たち
第2章:青邨と日本美術院の第二世代ー古径・靫彦とともに
第3章:紅児会の仲間と院展の後進たち
出品は全58点。うち青邨が13点です。途中の展示替えはありません。
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左:橋本雅邦「日本武尊像」 明治26年頃 絹本・彩色
冒頭は青邨も属した日本美術院の先人たちです。堂々たるは「日本武尊像」。描いたのは橋本雅邦です。青邨よりも50歳年上の画家、生まれは江戸時代の天保年間です。元々は狩野派に学びました。確かに本作でも岩や木に狩野派風の表現が見られるのではないでしょうか。
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横山大観「燕山の巻」 明治43年 紙本・墨画
大観はどうでしょうか。それこそ雅邦や天心の薫陶を受けた日本美術院の一期生。長大な「燕山の巻」が目を引きました。大観自身が中国へ行き、初めて描いたという水墨画巻。かの大作「生々流転」の先駆けとしても知られていますが、ここには雪舟に対する意識を汲み取ることも出来ます。軽妙な水墨の筆致が中国北方の雄大な景色を情緒的に表しています。
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下:梶田半古「赤いショール(口絵木版)」 明治30年代 多色刷木版
青邨の師が梶田半古です。「赤いショール」、小ぶりの木版の作品ですが、そもそも半古は挿絵画家として人気を集めていました。ゆえに多くの木版が世に出回ったそうです。
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下村観山「老松白藤」 大正10年 紙本金地・彩色
青邨が深く尊敬していたのが下村観山でした。やはり目立つのが「老松白藤」、6曲1双の金地の屏風です。明治神宮の命によって伏見宮家に奉献するために制作した作品、琳派を思わせる面もありますが、構図自体は等伯や永徳らの桃山の大障壁画を踏襲しています。しかしながら藤の精緻な描写や蔓の表現などは応挙風でもあります。つまり円山四条派と桃山の折衷のスタイルです。ちなみに画面には一匹の熊蜂が飛んでいます。巨大な松からすればあまりにも小さい。写真では分かりません。是非会場で確かめて下さい。
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下村観山「不動明王」 明治37年頃 絹本・彩色
観山では「不動明王」にも目が留まりました。雲に乗って飛来した不動明王、ともかく体つきに注目です。何やら奇妙なほどに筋肉は隆々、まるでギリシャ彫刻のようではありませんか。西洋絵画の影響を指摘されますが、実際にも観山はこの作品を英国留学時に描きました。左下にはアルファベットのサインもあります。またニューヨークタイムスにレビューが掲載されたことから、アメリカの展覧会に出品されたとも考えられているそうです。
ちなみに青邨は観山の死に際して、古径とともに下村邸に参じては、観山のデスマスクを制作しました。その深い悲しみは想像に難くありません。
さて主役の青邨です。安田靫彦は青邨を「色彩家」、「類のない達筆」、「人を愉快にさせること無類」と評しています。確かに色彩は非常に華やかです。それでいておおらかとも呼べる筆致が明朗な画面を作り上げてもいます。
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前田青邨「大物浦」 昭和43年 紙本・彩色
色の魅力、まずは「大物浦」でしょう。この深く、またニュアンスに富んだ青み。美しい。主題は源平の争乱です。頼朝に追われた義経が摂津辺りを航行中、大きな嵐に襲われたというエピソード。船上の武士たちは波に飲まれまいと必死にしがみついています。甲冑は思いがけないほど細かく描かれていました。そして折重なる大波は力強い。波や屋根における三角形が目立ちはしないでしょうか。どこか面的な構成が目につきます。
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前田青邨「腑分」 昭和45年 紙本・彩色
「腑分」には驚きました。時は宝暦4年、山脇東洋が日本で初めて解剖を行った様子を描いたものです。いわゆる白衣なのでしょうか。うっすら灰色を帯びた衣に身を纏った人々たち。画面右下に裸の女性の姿が見えます。その上の半袖の男が執刀者です。皆鋭い目つき、ふと見やると手を前にして祈りを捧げている者もいます。
このように青邨は歴史画を得意としていました。いわゆる有職故実や古典を熱心に研究します。また実地の取材にも事欠きません。例えば先の「腑分」では解剖学者の協力を得て、わざわざ大学病院にまで手術を見学しに行ったそうです。また「異装行列の信長」では、信長の穿いた豹や虎の袴を描くため、実際の動物園へ出かけては観察、スケッチをしたこともありました。
色彩に関して目立つのはたらし込みでしょうか。いずれも瑞々しい。色は時に輪郭線を超えて広がっています。
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小林古径「闘草」 明治40年 絹本・彩色
古径は全部で6点ほど出ていました。うちやはり見入るのは「闘草」です。既によく知られた名品ですが、人物の輪郭線を朱色で描いていることに気がつくでしょうか。ここで古径は仏画の描法を踏襲しています。また近年、修復がなされました。それゆえか以前よりもより明るく見えるかもしれません。
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左:奥村土牛「犢」 昭和59年 紙本・彩色
同時代の院展では、奥村土牛、小茂田青樹、速水御舟らの画家が取り上げられています。それに院展参加前の青邨に影響を与えた紅児会の画家たちも重要です。安田靫彦を筆頭に、今村紫紅、御舟、さらに古径と青邨らを加えたグループが結成されます。彼らは親しく交じながらも、切磋琢磨しては制作に励みました。
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右:今村紫紅「大原の奥」 明治42年 絹本・彩色
紫紅の「大原の奥」は紅児会への出品作です。清盛の娘である徳子が晩年、出家して建礼門院と名乗って余生を過ごしたことに因んだ一作、舞台は京都大原の寂光院です。薄墨の衣をまとい、全てを達観したかのような表情を見せる建礼門院の姿。背景はやや装飾的とも言えるのではないでしょうか。何とももの悲し気な作品でもあります。
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守屋多々志「平家厳島納経」 昭和53年 紙本・彩色
青邨の後進の画家にも着目しています。名は守屋多々志、月岡栄貴、平山郁夫、小山硬らです。中でも守屋の「平家厳島納経」が目立っていました。清盛一門が厳島神社に平家納経を奉納した当日の様子を表した屏風、武士らが船で大鳥居をくぐっては進み行きます。制作の前年に亡くなった師の青邨を悼んで描いた作品だそうです。
ラストは「炎舞」です。山種コレクションでも最も人気のあると言って良い傑作、思いの外に久々のお出ましです。2年ぶりに公開されています。
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速水御舟「炎舞」 大正14年 絹本・彩色 重要文化財
深い闇を背景に浮かぶ炎。蛾はまるで煙に沿って舞うように群がっています。御舟は本作にあたって毎晩のように焚き火し、蛾を熱心に観察しました。ゆえに蛾などは写実的です。ただしそれだけではありません。炎は仏画を連想させる面もあります。さも彼岸の世界をも覗き込んだような妖気すら漂っているのです。
ぐっと抑えられた照明の効果もあってか、ともかく炎の赤みが際立っていますが、実は照明をLEDに交換してから初めての公開だそうです。監修の山下先生によれば「より赤みが増した。」と評する今回の展示。言葉を変えれば「凄みが増した。」とも表せないでしょうか。思わず炎に吸い寄せられてしまうかのような迫力すらあります。身震いしてしまいました。
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「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」会場風景
青邨から院展の流れを前史を踏まえて追える展覧会です。相互の影響関係にも言及しています。まさに青邨のメモリアルイヤーならではの企画だと言えそうです。
8月23日まで開催されています。
「前田青邨と日本美術院ー大観・古径・御舟」 山種美術館(@yamatanemuseum)
会期:6月27日(土)~8月23日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1000(800)円、大・高生800(700)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*きもの・ゆかた割引:きもの・ゆかたで来館すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。
注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。作品は全て山種美術館蔵。
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