都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」 千葉市美術館
千葉市美術館
「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」
1/6~2/25
千葉市美術館で開催中の「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」を見てきました。
1965年に生まれた現代アーティストの小沢剛は、日常や歴史を踏まえつつ、時に「ユーモアと分析的視点」(解説より)交え、ジャンルに囚われない多様な作品を作り続けてきました。最近では、ヨコハマトリエンナーレや、さいたまトリエンナーレにも参加し、豊田市美術館では子ども向けのプロジェクトも展開しました。
それにしても、何やら謎めいた「不完全」なるタイトルは、一体、何を意味しているのでしょうか。
「不完全」 2018年 石膏像、羊毛、綿ほか
冒頭から、大掛かりなインスタレーションが待ち構えていました。その名も「不完全」と題した作品で、壁一面のデッサンを背に、無数の白い綿に包まれた石膏像が立ち上がっています。その姿はまるで小高い丘のようで、一部は天井付近にまで達していました。また白い綿は、雲のようでもあり、棚引く雲海の上の神々の姿にも見えなくはありません。
「不完全」 2018年 石膏像、羊毛、綿ほか
実際のところ、石膏のモデルは、古代ギリシャ・ローマの彫刻を模したもので、自身の教鞭をとる、東京藝術大学の大石膏室に着想を得て、制作されました。小沢は、明治以降、西洋の写実を習得するために教材として導入された石膏像が、今もなお美大の入試科目としての役割を果たしていることを指摘し、日本の近代美術の出発点に再考を促す作品として提示しました。
「不完全」 2018年 石膏像、羊毛、綿ほか
また「不完全」とは、明治時代の美術史家で、藝大の初代学長である岡倉天心が著した、「茶の本」の一節でした。それは「不」が持ち得るようなネガティブな意味ではなく、完璧を目指すべく、より可能性の開かれた豊かな状態を表した言葉でした。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
一転して、見世物小屋風のテントが現れました。赤や黄色の垂れ幕には「金沢七不思議」とあり、緑の屋根の下を抜けると、テントの向こう側へと進むことが出来ました。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
すると目に飛び込んできたのが、何も勇ましく、カラフルで艶やかな「ねぶた」でした。ここに小沢は、金沢を訪ねて見つけた「不思議」を、造形として表現しました。それらは民話や伝説、はたまたB級グルメなどで、いわゆる美術の範疇に留まるものではありませんでした。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
「ねぶた」の周囲の小さな人形にも要注目です。これは金沢市の西福寺に伝わる民話、「弥七の豆殻太鼓」の弥七を象ったもので、ねぶたと同様、博多人形の名人たちが作り上げました。ちなみに小沢自身は、日本で最も迫力のある「美術ではないもの」を、「ねぶた」であると考えているそうです。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
また、金沢に伝わる天狗伝説もモチーフで、既成品のお面やFRPなどを用い、手を振り上げては、さも威嚇するような天狗の人形を作りました。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
さらに死んだ母親が子を思って、飴を買って育てるという「飴買い幽霊」の話も引用し、同じく金沢で伝承された「布屋たみ」と呼ばれる女性の残した赤ん坊の伝説を取り上げました。幽霊の姿はいずれも人形ではなく掛け軸で、実際に金沢には、伝応挙作の「幽霊母像」も残されているそうです。ちなみに掛け軸画は、通称、「醤油画」でした。ようは醤油で描いた作品であるわけです。
「帰って来たペインターF」 2015年 森美術館
小沢が「もう一つの歴史」を築こうと制作した、「帰って来た」シリーズの主人公は、かの藤田嗣治でした。言うまでもなく、フジタはエコール・ド・パリの時代、フランスで賞賛を受けていた画家で、第二次世界大戦を契機に帰国し、いわゆる従軍画家として戦争画を描きました。そして戦後、戦争責任を問われ、フランスへと移住し、帰化しては、二度と日本へ戻ることはありませんでした。
「帰って来たペインターF」 2015年 油彩、カンヴァス
その藤田が、「帰って来た」シリーズでは、フランスのパリではなく、インドネシアのバリへと渡りました。小沢は、かつての日本の植民地下のインドネシアにおける「啓民文化指導所」にて、日本とインドネシアの芸術家らが交流していたとする歴史に基づき、この作品を制作しました。12分の映像と8点の絵画が向き合う形のインスタレーションで、フィクションと事実が入り混じり、まさに展覧会のタイトルにもある「パラレルな美術史」が紡がれていました。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
明治時代、洋画家の五姓田芳柳と義松親子が、油絵を見せるために行った「油絵茶屋」が、現代に蘇りました。その名も「油絵茶屋再現」で、当時、浅草や両国で開かれたという見世物小屋を、美術館の中に作り上げています。五姓田らはいわゆる新技術であった油絵を見せるべく、こうした小屋で展示し、時に口上で人を引きつけ、時にコーヒーなどを振舞ったと伝えられているそうです。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
コーヒの振る舞いこそありませんが、のぼり旗も立つ小屋の雰囲気には臨場感があり、それこそ明治時代にタイムスリップかのような錯覚に陥るかもしれません。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
実際のところ、当時の油絵はすべて焼失し、引札と呼ばれるチラシしか残っていないそうですが、それを元に作品を再現していました。また作品は、東京藝大の卒業生を含む11名の「油絵茶屋実行委員」によるもので、明治時代の五姓田親子の技法を研究し、議論を重ねては、油絵を描いていったそうです。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
歌舞伎や浄瑠璃のワンシーンを捉えた油絵が目立つのではないでしょうか。また再現のプロセスを解説したパネルも細かく、当時の引札と見比べることが出来るのも、興味深いものがありました。
「醤油画資料館」 1999年 ミクストメディア 福岡アジア美術館
「金沢七不思議」でも登場した醤油画を、資料館の形にして見せたのが、「醤油画資料館」でした。ここで小沢は、醤油で描く醤油画の歴史を、いわば捏造して提示します。つまりさも実際の日本の美術の中に、醤油画というジャンルがあるかのようにして見せているわけです。
「醤油画資料館」 1999年 ミクストメディア 福岡アジア美術館
これが実に徹底していました。まず「平安時代に中国から伝来した醤油を、大和絵の絵師が画材として優れていることを発見し、醤油画を確立した。」としています。さらに「桃山時代に花開いたものの、江戸時代の浮世絵の台頭とともに衰退し、明治時代はかの天神とフェノロサが醤油画を改革して、新たな展開がもたらされた。」と定義しました。そして「戦後に醤油画は忘れ去られた。」と言いました。
「醤油画資料館」 1999年 ミクストメディア 福岡アジア美術館
もちろん全ては小沢の創作に過ぎませんが、冒頭の挨拶文を読み、作品を追っていくと、あたかも実際に日本に醤油画史が存在したと思い込んでしまうかもしれません。小沢は、醤油で日本美術を辿ることが重要だと考えているそうです。ここでも「パラレルな美術史」を創作していました。日本人にとって身近な醤油を、美術に落とし込むというアイデア自体からして新奇と言えるのではないでしょうか。
「なすび画廊ー宇治野宗輝」 1993年(2004年再制作) 牛乳箱、ミニボトル、ミニチュアグラス、ELライトなど 作家蔵
ラストは「なすび画廊」のシリーズでした。これは1993年、アーティストの中村政人のディレクションによるゲリラ展、「ザ・ギンブラート」に際して制作されたもので、数多くの画廊の立ち並ぶ銀座にて、「内側が白ければ画廊」とのコンセプトの元、既製の牛乳箱の内側などを白く塗り、中へに作品と言えぬような物を入れ、路上へと置きました。いわゆる貸画廊のシステムへの批判の意味もあったようです。
「新なすび画廊ーアイ・ウェイウェイ」 2006年 牛乳箱、粉砕した新石器時代の壺、ガラス瓶
そのポータブルな性格もあるのか、「なすび画廊」は次々と制作され、中には駆け出しのアーティストらが参加することもありました。1995年に一度、休止するも、97年に再開し、今度は「新なすび画廊」として世界へ展開し、各国のアーティストとのコラボレーションも行われました。
「新なすび画廊ー有馬純寿」 2011年 牛乳箱、デジタル・フォトフレーム 作家蔵
「なすび画廊」に加わったアーティストらは、何も画家らに留まりません。例えば現代音楽の分野でも活動する有馬純寿は、「新なすび画廊」の中へフォトフレームを設置し、イメージを見せていました。
「新なすび画廊ーディン・Q・レ」 2006年 牛乳箱、ミクストメディア オオタファインアーツ/作家蔵
またアイ・ウェイウェイや、ディン・Q・レによる「新なすび画廊」も目を引きました。これからもまた新たな「なすび画廊」が生み出されていくのかもしれません。
大掛かりなインスタレーションも多く、空間を大胆にレイアウトした構成も目を引きました。通常の所蔵作品展のスペースもありません。そもそも関東では、森美術館での「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」(2004年)に続く、約14年ぶりの大規模な個展です。いずれの作品も日本美術史をテーマとしていますが、表現の幅が大きく、ともすると同じ作家の個展とは思えないかもしれません。確かに「ユニーク」(チラシより)でした。
近年の小沢剛の集大成と言っても差し支えないのではないでしょうか。会場内の撮影も可能でした。(動画、フラッシュなどは不可。)
2月25日まで開催されています。
「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」 千葉市美術館(@ccma_jp)
会期:1月6日(土)~2月25日(日)
休館:2月5日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口よりC-bus(バスのりば16)にて「中央区役所・千葉市美術館前」下車。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」
1/6~2/25
千葉市美術館で開催中の「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」を見てきました。
1965年に生まれた現代アーティストの小沢剛は、日常や歴史を踏まえつつ、時に「ユーモアと分析的視点」(解説より)交え、ジャンルに囚われない多様な作品を作り続けてきました。最近では、ヨコハマトリエンナーレや、さいたまトリエンナーレにも参加し、豊田市美術館では子ども向けのプロジェクトも展開しました。
それにしても、何やら謎めいた「不完全」なるタイトルは、一体、何を意味しているのでしょうか。
「不完全」 2018年 石膏像、羊毛、綿ほか
冒頭から、大掛かりなインスタレーションが待ち構えていました。その名も「不完全」と題した作品で、壁一面のデッサンを背に、無数の白い綿に包まれた石膏像が立ち上がっています。その姿はまるで小高い丘のようで、一部は天井付近にまで達していました。また白い綿は、雲のようでもあり、棚引く雲海の上の神々の姿にも見えなくはありません。
「不完全」 2018年 石膏像、羊毛、綿ほか
実際のところ、石膏のモデルは、古代ギリシャ・ローマの彫刻を模したもので、自身の教鞭をとる、東京藝術大学の大石膏室に着想を得て、制作されました。小沢は、明治以降、西洋の写実を習得するために教材として導入された石膏像が、今もなお美大の入試科目としての役割を果たしていることを指摘し、日本の近代美術の出発点に再考を促す作品として提示しました。
「不完全」 2018年 石膏像、羊毛、綿ほか
また「不完全」とは、明治時代の美術史家で、藝大の初代学長である岡倉天心が著した、「茶の本」の一節でした。それは「不」が持ち得るようなネガティブな意味ではなく、完璧を目指すべく、より可能性の開かれた豊かな状態を表した言葉でした。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
一転して、見世物小屋風のテントが現れました。赤や黄色の垂れ幕には「金沢七不思議」とあり、緑の屋根の下を抜けると、テントの向こう側へと進むことが出来ました。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
すると目に飛び込んできたのが、何も勇ましく、カラフルで艶やかな「ねぶた」でした。ここに小沢は、金沢を訪ねて見つけた「不思議」を、造形として表現しました。それらは民話や伝説、はたまたB級グルメなどで、いわゆる美術の範疇に留まるものではありませんでした。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
「ねぶた」の周囲の小さな人形にも要注目です。これは金沢市の西福寺に伝わる民話、「弥七の豆殻太鼓」の弥七を象ったもので、ねぶたと同様、博多人形の名人たちが作り上げました。ちなみに小沢自身は、日本で最も迫力のある「美術ではないもの」を、「ねぶた」であると考えているそうです。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
また、金沢に伝わる天狗伝説もモチーフで、既成品のお面やFRPなどを用い、手を振り上げては、さも威嚇するような天狗の人形を作りました。
「金沢七不思議」 2008年 和紙、木、電球、蝋、墨、FRP、羊毛、綿、セラミック 金沢21世紀美術館
さらに死んだ母親が子を思って、飴を買って育てるという「飴買い幽霊」の話も引用し、同じく金沢で伝承された「布屋たみ」と呼ばれる女性の残した赤ん坊の伝説を取り上げました。幽霊の姿はいずれも人形ではなく掛け軸で、実際に金沢には、伝応挙作の「幽霊母像」も残されているそうです。ちなみに掛け軸画は、通称、「醤油画」でした。ようは醤油で描いた作品であるわけです。
「帰って来たペインターF」 2015年 森美術館
小沢が「もう一つの歴史」を築こうと制作した、「帰って来た」シリーズの主人公は、かの藤田嗣治でした。言うまでもなく、フジタはエコール・ド・パリの時代、フランスで賞賛を受けていた画家で、第二次世界大戦を契機に帰国し、いわゆる従軍画家として戦争画を描きました。そして戦後、戦争責任を問われ、フランスへと移住し、帰化しては、二度と日本へ戻ることはありませんでした。
「帰って来たペインターF」 2015年 油彩、カンヴァス
その藤田が、「帰って来た」シリーズでは、フランスのパリではなく、インドネシアのバリへと渡りました。小沢は、かつての日本の植民地下のインドネシアにおける「啓民文化指導所」にて、日本とインドネシアの芸術家らが交流していたとする歴史に基づき、この作品を制作しました。12分の映像と8点の絵画が向き合う形のインスタレーションで、フィクションと事実が入り混じり、まさに展覧会のタイトルにもある「パラレルな美術史」が紡がれていました。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
明治時代、洋画家の五姓田芳柳と義松親子が、油絵を見せるために行った「油絵茶屋」が、現代に蘇りました。その名も「油絵茶屋再現」で、当時、浅草や両国で開かれたという見世物小屋を、美術館の中に作り上げています。五姓田らはいわゆる新技術であった油絵を見せるべく、こうした小屋で展示し、時に口上で人を引きつけ、時にコーヒーなどを振舞ったと伝えられているそうです。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
コーヒの振る舞いこそありませんが、のぼり旗も立つ小屋の雰囲気には臨場感があり、それこそ明治時代にタイムスリップかのような錯覚に陥るかもしれません。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
実際のところ、当時の油絵はすべて焼失し、引札と呼ばれるチラシしか残っていないそうですが、それを元に作品を再現していました。また作品は、東京藝大の卒業生を含む11名の「油絵茶屋実行委員」によるもので、明治時代の五姓田親子の技法を研究し、議論を重ねては、油絵を描いていったそうです。
「油絵茶屋再現」 2011年 油彩、カンヴァスほか 小沢剛+油絵茶屋再現実行委員会
歌舞伎や浄瑠璃のワンシーンを捉えた油絵が目立つのではないでしょうか。また再現のプロセスを解説したパネルも細かく、当時の引札と見比べることが出来るのも、興味深いものがありました。
「醤油画資料館」 1999年 ミクストメディア 福岡アジア美術館
「金沢七不思議」でも登場した醤油画を、資料館の形にして見せたのが、「醤油画資料館」でした。ここで小沢は、醤油で描く醤油画の歴史を、いわば捏造して提示します。つまりさも実際の日本の美術の中に、醤油画というジャンルがあるかのようにして見せているわけです。
「醤油画資料館」 1999年 ミクストメディア 福岡アジア美術館
これが実に徹底していました。まず「平安時代に中国から伝来した醤油を、大和絵の絵師が画材として優れていることを発見し、醤油画を確立した。」としています。さらに「桃山時代に花開いたものの、江戸時代の浮世絵の台頭とともに衰退し、明治時代はかの天神とフェノロサが醤油画を改革して、新たな展開がもたらされた。」と定義しました。そして「戦後に醤油画は忘れ去られた。」と言いました。
「醤油画資料館」 1999年 ミクストメディア 福岡アジア美術館
もちろん全ては小沢の創作に過ぎませんが、冒頭の挨拶文を読み、作品を追っていくと、あたかも実際に日本に醤油画史が存在したと思い込んでしまうかもしれません。小沢は、醤油で日本美術を辿ることが重要だと考えているそうです。ここでも「パラレルな美術史」を創作していました。日本人にとって身近な醤油を、美術に落とし込むというアイデア自体からして新奇と言えるのではないでしょうか。
「なすび画廊ー宇治野宗輝」 1993年(2004年再制作) 牛乳箱、ミニボトル、ミニチュアグラス、ELライトなど 作家蔵
ラストは「なすび画廊」のシリーズでした。これは1993年、アーティストの中村政人のディレクションによるゲリラ展、「ザ・ギンブラート」に際して制作されたもので、数多くの画廊の立ち並ぶ銀座にて、「内側が白ければ画廊」とのコンセプトの元、既製の牛乳箱の内側などを白く塗り、中へに作品と言えぬような物を入れ、路上へと置きました。いわゆる貸画廊のシステムへの批判の意味もあったようです。
「新なすび画廊ーアイ・ウェイウェイ」 2006年 牛乳箱、粉砕した新石器時代の壺、ガラス瓶
そのポータブルな性格もあるのか、「なすび画廊」は次々と制作され、中には駆け出しのアーティストらが参加することもありました。1995年に一度、休止するも、97年に再開し、今度は「新なすび画廊」として世界へ展開し、各国のアーティストとのコラボレーションも行われました。
「新なすび画廊ー有馬純寿」 2011年 牛乳箱、デジタル・フォトフレーム 作家蔵
「なすび画廊」に加わったアーティストらは、何も画家らに留まりません。例えば現代音楽の分野でも活動する有馬純寿は、「新なすび画廊」の中へフォトフレームを設置し、イメージを見せていました。
「新なすび画廊ーディン・Q・レ」 2006年 牛乳箱、ミクストメディア オオタファインアーツ/作家蔵
またアイ・ウェイウェイや、ディン・Q・レによる「新なすび画廊」も目を引きました。これからもまた新たな「なすび画廊」が生み出されていくのかもしれません。
大掛かりなインスタレーションも多く、空間を大胆にレイアウトした構成も目を引きました。通常の所蔵作品展のスペースもありません。そもそも関東では、森美術館での「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」(2004年)に続く、約14年ぶりの大規模な個展です。いずれの作品も日本美術史をテーマとしていますが、表現の幅が大きく、ともすると同じ作家の個展とは思えないかもしれません。確かに「ユニーク」(チラシより)でした。
「小沢剛 不完全―パラレルな美術史」では、最新作に久々の絵画作品も。鶴田吾郎の戦争記録画をモチーフに、ロールシャッハテストのように中央で線対称になっています。敵兵が描かれていない戦争画でも、鏡面にすると銃口の先には…?これまでの、これからの戦争について考えさせられます。 pic.twitter.com/8HFAmI6Dml
— 千葉市美術館 (@ccma_jp) 2018年1月30日
近年の小沢剛の集大成と言っても差し支えないのではないでしょうか。会場内の撮影も可能でした。(動画、フラッシュなどは不可。)
2月25日まで開催されています。
「小沢剛 不完全-パラレルな美術史」 千葉市美術館(@ccma_jp)
会期:1月6日(土)~2月25日(日)
休館:2月5日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口よりC-bus(バスのりば16)にて「中央区役所・千葉市美術館前」下車。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
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