都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「小村雪岱ー「雪岱調」のできるまで」 川越市立美術館
川越市立美術館
「生誕130年 小村雪岱ー「雪岱調」のできるまで」
1/20~3/11
川越市立美術館で開催中の「生誕130年 小村雪岱ー雪岱調のできるまで」を見てきました。
装釘や挿絵、舞台装置の仕事で知られる画家、小村雪岱は、明治20年、元は川越藩士の家に生まれました。
まさにゆかりの地での回顧展です。出展数も、スケッチや資料を含めて190点超と、不足ありません。着目点は挿絵の仕事で、いかに雪岱が挿絵画家として名を馳せ、また画風、すなわち雪岱調を確立していったのかを明らかにしていました。
冒頭は意外にも複製の版画でした。とは言え、それらはまさに雪岱調で人気の高い「おせん」で、白黒二階調の配色や、繊細な描線、または春信画を思わせる美人像、さらには時に幾何学的とも受け取れるような大胆な構図を見ることが出来ました。いずれも雪岱の没後に作られた作品ですが、生前においても、人々が雪岱を知っていたのは、雑誌や新聞に掲載された挿絵の図版でした。
そうした雪岱調のイメージを頭に入れておくと、最初期の日本画は、ともすると雪岱とは分からないかもしれません。「春昼」は、明治40年、雪岱が東京美術学校の日本画科を卒業時に描いた作品で、蝶が舞い、菜の花や草に覆われた朱塗りの社を、かなり濃い色彩にて表現していました。また「柳」も同年の作品で、大きく葉をつけ、枝を振り下ろす柳の木を、正面からの構図で描いていました。芝垣に這う夕顔の繊細な描写こそ、雪岱風かもしれませんが、色彩しかり、量感溢れる表現などは、先の「おせん」とは似ても似つきませんでした。
小村雪岱(装釘) 泉鏡花「日本橋」 大正3(1914)年 田中屋コレクション
雪岱が装釘の仕事に入る切っ掛けとなったのが、人気作家の泉鏡花との出会いでした。大学卒業の翌年、泉鏡花の知遇を得た雪岱は、鏡花の書き下ろしの「日本橋」の装釘を、本人から任されました。この頃の雪岱は、新人であり、ほぼ無名で、大抜擢と言って差し支えありません。よほど鏡花は、雪岱の才能に惚れ込んだのでしょうか。結果的に二人の協働は、鏡花が亡くなるまで続きました。「日本橋」の仕事も高く評価されたそうです。
実際に「日本橋」からして大変に魅惑的でした。河岸の土蔵を表紙に描き、真正面から横一線に並べた構図はリズミカルで、赤や黄色の蝶が画面に舞う姿は、さも料紙を散らしたように意匠的でもありました。また表紙、見返しとも木版で、濃い色を好まなかった鏡花の意向を受け、淡い色を採用しました。細い描線にも、雪岱調が見られるのではないでしょうか。
同じく鏡花の「愛艸集」も美しい作品で、水をたたえた堀を俯瞰した構図の中に、十二単姿の女性を描きこんでいました。余白を広くとった空間は実に大胆で、もはや抽象的と言っても良い作品かもしれません。
また「日本橋」で好評を得た雪岱は、高いデザイン性を買われ、大正期の一時期、資生堂意匠部に勤務しました。ここでは、香水瓶のデザインを担当していたそうです。おそらく雪岱の手がけたとされる何点かの瓶が展示されていました。
しかし雪岱は、何も一朝一夕に雪岱調を確立したわけではありませんでした。谷崎潤一郎の「近代情痴集」では、肌を露わにした女性を、さながら清方画を思わせるような劇画調に表しました。明治期の雪岱の画は、清方らの美人様式を通して、江戸の浮世絵の作風に接することもありました。
小村雪岱「青柳」 大正13(1924)年頃 埼玉県立近代美術館
雪岱の最初の本格的な挿絵の仕事は、大正11年から「時事新報」に掲載された「多情私心」でした。家屋を上から俯瞰して見るかのような見返し絵は、いかにも雪岱調でしたが、これまでの装釘の仕事で見せた表現とは異なったため、あまり評判は芳しくなかったそうです。よってしばらく新聞挿絵から離れ、歌舞伎などの舞台装置の仕事を手がけるようになりました。そして大正末期、大衆文芸ブームが起こると、挿絵がより重要視され、時代考証力を持ち得た雪岱の絵は、特に時代小説との相性が良く、再び頭角を表していきました。
小村雪岱「お伝地獄」 昭和10(1935)年 埼玉県立近代美術館
上村行彰編の「日本遊里史」の表紙に写されたのは、鈴木春信の「絵本青楼美人合」の一場面でした。実際、雪岱は、春信の複製本を所持していて、おそらくは折に触れて見ていたのかもしれません。その後、昭和8年に東京、および大阪朝日新聞に「おせん」が連載されると、春信の錦絵からイメージを借りた雪岱の挿絵は、「昭和の春信」として大いに人気を博しました。
小村雪岱「おせん 傘」 昭和12(1937)年 資生堂アートハウス
「おせん」の貴重な挿絵原画も見どころの1つでした。そもそも同作の原画は、雪岱の没した頃に殆どが失われてしまい、長らく行方不明となっていました。それが近年、4図が発見され、うち2図が、今回の展覧会で公開されました。極細でかつ淀みない線描に、雪岱の筆の息遣いが感じられるかもしれません。
小村雪岱「名作挿画全集」 昭和10(1935)年 田中屋コレクション
人気挿絵画家となった雪岱は、新聞や雑誌の挿絵を次々と手がけ、実に精力的に活動していきました。この頃の雪岱は、画風の完成期と呼んでも良いかもしれません。時に江戸情緒を漂わせながらも、実にモダンで、全てに無駄のない描線に構図をとりながら、物語の抒情性を巧みに伝えていました。
幾つか珍しい作品が出ているのも見逃すことは出来ません。うち1枚が「Tokyo Today and Tomorrow」に付いた版画の「もみじ」で、雪岱の生前に作られた貴重な版画だと言われています。また「第一東京市立中学校之図」は、中学校の建物を俯瞰して表した木版で、俳人の内田誠の夭折した息子のために描かれました。いわゆる私家版であったそうです。
小村雪岱「見立寒山拾得」 埼玉県立近代美術館
ラストは日本画でした。そもそも画壇とは縁の遠かった雪岱は、日本画を多く制作せず、個人の私的な注文による美人画などを描きました。とはいえ、「春告鳥」や「美人立葵」にも、挿絵に通じる雪岱調が見られるのではないでしょうか。惚れ惚れするかのように美しい作品ばかりでした。
続く常設展にも、雪岱の作品が何点か出展されていました。お見逃しなきようご注意下さい。
最後にアクセスの情報です。川越市立美術館は西武線の本川越駅から、道なりで約1.8キロほどあり、歩くと30分程度はかかります。またJR線、東武東上線の川越駅からは2キロ半を超えます。もちろん歩けないことはありませんが、基本的にはバスで移動する必要がありました。
川越駅、本川越駅ともに、最も本数が多いのが、東武バスの「蔵のまち」経由のバスで、美術館の前までは行きませんが、「札の辻」で降車すると、バス停から歩いて7~8分で美術館にたどり着きます。バスも10分に1本程度、出ていました。
しかし土日の川越はかなり渋滞します。実際に私が乗ったバスも、一番街付近で渋滞に見舞われ、結局、最寄りの「札の辻」まで30分近くかかりました。美術館の前に発着する「小江戸巡回バス」も、交通事情により、必ずしもスムーズに運行されていないようです。
美術館の向かい側に駐車場がありましたが、常に満車の状態でした。バスも時間が読めません。ともかく余裕を持ってお出かけ下さい。
2010年の埼玉県立近代美術館での「小村雪岱とその時代」展にて、殆ど初めて見知った雪岱に、惚れに惚れたことを思い出しました。以来、約8年経っての再び大規模な展覧会です。久しぶりに雪岱画の魅力に触れることが出来ました。
「意匠の天才 小村雪岱/とんぼの本」
3月11日まで開催されています。ご紹介が遅くなりましたが、おすすめします。
「生誕130年 小村雪岱ー「雪岱調」のできるまで」 川越市立美術館
会期:1月20日(土)〜3月11日(日)
休館:月曜日。但し2/12は開館。翌2/13は休館。
時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般600(480)円、大学・高校生300(240)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*「川越きものの日」にちなみ、8日、18日、28日に着物で来館すると団体料金を適用。
住所:埼玉県川越市郭町2-30-1
交通:JR線・東武東上線川越駅より西口2番のりばから、イーグルバス「小江戸巡回バス」で「博物館美術館前」下車。東口3番のりばから、東武バス「小江戸名所めぐりバス」で「博物館」下車。東口7番のりばから、東武バス「川越運動公園/埼玉医大/上尾駅西口」行きで「市役所前」下車徒歩5分。東口1.2.4.5.6番のりばから、東武バス「蔵のまち」経由で「札の辻」下車徒歩8分。(いずれも途中、西武新宿線本川越駅を経由。)
「生誕130年 小村雪岱ー「雪岱調」のできるまで」
1/20~3/11
川越市立美術館で開催中の「生誕130年 小村雪岱ー雪岱調のできるまで」を見てきました。
装釘や挿絵、舞台装置の仕事で知られる画家、小村雪岱は、明治20年、元は川越藩士の家に生まれました。
まさにゆかりの地での回顧展です。出展数も、スケッチや資料を含めて190点超と、不足ありません。着目点は挿絵の仕事で、いかに雪岱が挿絵画家として名を馳せ、また画風、すなわち雪岱調を確立していったのかを明らかにしていました。
冒頭は意外にも複製の版画でした。とは言え、それらはまさに雪岱調で人気の高い「おせん」で、白黒二階調の配色や、繊細な描線、または春信画を思わせる美人像、さらには時に幾何学的とも受け取れるような大胆な構図を見ることが出来ました。いずれも雪岱の没後に作られた作品ですが、生前においても、人々が雪岱を知っていたのは、雑誌や新聞に掲載された挿絵の図版でした。
そうした雪岱調のイメージを頭に入れておくと、最初期の日本画は、ともすると雪岱とは分からないかもしれません。「春昼」は、明治40年、雪岱が東京美術学校の日本画科を卒業時に描いた作品で、蝶が舞い、菜の花や草に覆われた朱塗りの社を、かなり濃い色彩にて表現していました。また「柳」も同年の作品で、大きく葉をつけ、枝を振り下ろす柳の木を、正面からの構図で描いていました。芝垣に這う夕顔の繊細な描写こそ、雪岱風かもしれませんが、色彩しかり、量感溢れる表現などは、先の「おせん」とは似ても似つきませんでした。
小村雪岱(装釘) 泉鏡花「日本橋」 大正3(1914)年 田中屋コレクション
雪岱が装釘の仕事に入る切っ掛けとなったのが、人気作家の泉鏡花との出会いでした。大学卒業の翌年、泉鏡花の知遇を得た雪岱は、鏡花の書き下ろしの「日本橋」の装釘を、本人から任されました。この頃の雪岱は、新人であり、ほぼ無名で、大抜擢と言って差し支えありません。よほど鏡花は、雪岱の才能に惚れ込んだのでしょうか。結果的に二人の協働は、鏡花が亡くなるまで続きました。「日本橋」の仕事も高く評価されたそうです。
実際に「日本橋」からして大変に魅惑的でした。河岸の土蔵を表紙に描き、真正面から横一線に並べた構図はリズミカルで、赤や黄色の蝶が画面に舞う姿は、さも料紙を散らしたように意匠的でもありました。また表紙、見返しとも木版で、濃い色を好まなかった鏡花の意向を受け、淡い色を採用しました。細い描線にも、雪岱調が見られるのではないでしょうか。
同じく鏡花の「愛艸集」も美しい作品で、水をたたえた堀を俯瞰した構図の中に、十二単姿の女性を描きこんでいました。余白を広くとった空間は実に大胆で、もはや抽象的と言っても良い作品かもしれません。
また「日本橋」で好評を得た雪岱は、高いデザイン性を買われ、大正期の一時期、資生堂意匠部に勤務しました。ここでは、香水瓶のデザインを担当していたそうです。おそらく雪岱の手がけたとされる何点かの瓶が展示されていました。
しかし雪岱は、何も一朝一夕に雪岱調を確立したわけではありませんでした。谷崎潤一郎の「近代情痴集」では、肌を露わにした女性を、さながら清方画を思わせるような劇画調に表しました。明治期の雪岱の画は、清方らの美人様式を通して、江戸の浮世絵の作風に接することもありました。
小村雪岱「青柳」 大正13(1924)年頃 埼玉県立近代美術館
雪岱の最初の本格的な挿絵の仕事は、大正11年から「時事新報」に掲載された「多情私心」でした。家屋を上から俯瞰して見るかのような見返し絵は、いかにも雪岱調でしたが、これまでの装釘の仕事で見せた表現とは異なったため、あまり評判は芳しくなかったそうです。よってしばらく新聞挿絵から離れ、歌舞伎などの舞台装置の仕事を手がけるようになりました。そして大正末期、大衆文芸ブームが起こると、挿絵がより重要視され、時代考証力を持ち得た雪岱の絵は、特に時代小説との相性が良く、再び頭角を表していきました。
小村雪岱「お伝地獄」 昭和10(1935)年 埼玉県立近代美術館
上村行彰編の「日本遊里史」の表紙に写されたのは、鈴木春信の「絵本青楼美人合」の一場面でした。実際、雪岱は、春信の複製本を所持していて、おそらくは折に触れて見ていたのかもしれません。その後、昭和8年に東京、および大阪朝日新聞に「おせん」が連載されると、春信の錦絵からイメージを借りた雪岱の挿絵は、「昭和の春信」として大いに人気を博しました。
小村雪岱「おせん 傘」 昭和12(1937)年 資生堂アートハウス
「おせん」の貴重な挿絵原画も見どころの1つでした。そもそも同作の原画は、雪岱の没した頃に殆どが失われてしまい、長らく行方不明となっていました。それが近年、4図が発見され、うち2図が、今回の展覧会で公開されました。極細でかつ淀みない線描に、雪岱の筆の息遣いが感じられるかもしれません。
小村雪岱「名作挿画全集」 昭和10(1935)年 田中屋コレクション
人気挿絵画家となった雪岱は、新聞や雑誌の挿絵を次々と手がけ、実に精力的に活動していきました。この頃の雪岱は、画風の完成期と呼んでも良いかもしれません。時に江戸情緒を漂わせながらも、実にモダンで、全てに無駄のない描線に構図をとりながら、物語の抒情性を巧みに伝えていました。
幾つか珍しい作品が出ているのも見逃すことは出来ません。うち1枚が「Tokyo Today and Tomorrow」に付いた版画の「もみじ」で、雪岱の生前に作られた貴重な版画だと言われています。また「第一東京市立中学校之図」は、中学校の建物を俯瞰して表した木版で、俳人の内田誠の夭折した息子のために描かれました。いわゆる私家版であったそうです。
小村雪岱「見立寒山拾得」 埼玉県立近代美術館
ラストは日本画でした。そもそも画壇とは縁の遠かった雪岱は、日本画を多く制作せず、個人の私的な注文による美人画などを描きました。とはいえ、「春告鳥」や「美人立葵」にも、挿絵に通じる雪岱調が見られるのではないでしょうか。惚れ惚れするかのように美しい作品ばかりでした。
#川越市立美術館 です。常設展示室に展示している小村雪岱作品は、先週の展示替えで全て入れ替えました。特別展「生誕130年 小村雪岱」をご覧になったあとは、是非常設展示室にも足をお運びください。#雪岱展HP→https://t.co/vX5I5Khl3t pic.twitter.com/YBAAybCGKy
— 川越市 (@KawagoeshiInfo) 2018年2月24日
続く常設展にも、雪岱の作品が何点か出展されていました。お見逃しなきようご注意下さい。
最後にアクセスの情報です。川越市立美術館は西武線の本川越駅から、道なりで約1.8キロほどあり、歩くと30分程度はかかります。またJR線、東武東上線の川越駅からは2キロ半を超えます。もちろん歩けないことはありませんが、基本的にはバスで移動する必要がありました。
川越駅、本川越駅ともに、最も本数が多いのが、東武バスの「蔵のまち」経由のバスで、美術館の前までは行きませんが、「札の辻」で降車すると、バス停から歩いて7~8分で美術館にたどり着きます。バスも10分に1本程度、出ていました。
しかし土日の川越はかなり渋滞します。実際に私が乗ったバスも、一番街付近で渋滞に見舞われ、結局、最寄りの「札の辻」まで30分近くかかりました。美術館の前に発着する「小江戸巡回バス」も、交通事情により、必ずしもスムーズに運行されていないようです。
美術館の向かい側に駐車場がありましたが、常に満車の状態でした。バスも時間が読めません。ともかく余裕を持ってお出かけ下さい。
1/20より開催の【小村雪岱「雪岱調」のできるまで】展(川越市立美術館 〜3/11)。雪岱の画業を「挿絵」という切り口から探り、初期から絶筆までを網羅した意欲的な展覧会です。洗練された「雪岱調」誕生への流れに平行し、作家として、そして仕事人としての雪岱を存分に味わえる内容となっています! pic.twitter.com/vMWPA8XjMf
— 芸術新聞社 (@geishin) 2018年1月19日
2010年の埼玉県立近代美術館での「小村雪岱とその時代」展にて、殆ど初めて見知った雪岱に、惚れに惚れたことを思い出しました。以来、約8年経っての再び大規模な展覧会です。久しぶりに雪岱画の魅力に触れることが出来ました。
「意匠の天才 小村雪岱/とんぼの本」
3月11日まで開催されています。ご紹介が遅くなりましたが、おすすめします。
「生誕130年 小村雪岱ー「雪岱調」のできるまで」 川越市立美術館
会期:1月20日(土)〜3月11日(日)
休館:月曜日。但し2/12は開館。翌2/13は休館。
時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般600(480)円、大学・高校生300(240)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*「川越きものの日」にちなみ、8日、18日、28日に着物で来館すると団体料金を適用。
住所:埼玉県川越市郭町2-30-1
交通:JR線・東武東上線川越駅より西口2番のりばから、イーグルバス「小江戸巡回バス」で「博物館美術館前」下車。東口3番のりばから、東武バス「小江戸名所めぐりバス」で「博物館」下車。東口7番のりばから、東武バス「川越運動公園/埼玉医大/上尾駅西口」行きで「市役所前」下車徒歩5分。東口1.2.4.5.6番のりばから、東武バス「蔵のまち」経由で「札の辻」下車徒歩8分。(いずれも途中、西武新宿線本川越駅を経由。)
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