都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「狩野芳崖と四天王」 泉屋博古館分館
泉屋博古館分館
「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」
9/15~10/28
泉屋博古館分館で開催中の「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」を見てきました。
近代日本画の父と言われる狩野芳崖には、晩年に師事された4人の高弟がいました。
その一人が、福井に生まれ、岡倉天心の甥である岡倉秋水でした。秋水は、図画教育に従事し、師を顕彰するために遺墨展を開催しては、作品の鑑定も行いました。「慈母観音図」は、まさに芳崖作の写しで、装身具の部分などはより立体的に表されていました。
そして二人目が、岐阜の大垣に生まれ、東京美術学校に入門するも、自らを「仏画師」と称しては、全国の寺院を歩いた高屋肖哲でした。生涯を通して観音像を描き、高野山にも参籠しました。おそらく旅先で描いたのか、山を細かにスケッチした「妙義山地取図」も印象に残りました。
続くのが、関宿藩士の子で、東京美術学校の助教授も務めた本多天城でした。大正以降はあまり名を残さなかったものの、一時は文展に入選するなどして活動し、山水画を得意しました。
本多天城「山水」 明治35年 川越市立美術館 *通期展示
その本多に力作がありました。まさに「山水」で、高い松林の向こうで、霞に覆われてそびえ立つ山々の姿を、鳥瞰的に描いていました。手前の松は細かい線で表している一方、後景の山々は朧げに示されていて、その対比も効果的に映りました。渓谷には白く波打つ水も流れていて、人里離れた渓谷を、雄大に表現していました。
福井に生まれ、東京美術学校に入学するも、後半生を本草学の研究に傾倒した岡不崩も、芳崖の門下の一人でした。学者でもあった岡は、多くの著作も残し、植物画としても正確さを持つ花鳥画を得意としました。
その力量は「群蝶図」からしても明らかでした。色とりどりの草花が並ぶ中、多くの蝶が舞っていて、いずれの植物も写実的でした。他にも「朝顔図説と培養法」における朝顔のスケッチも魅惑的で、実のところ私自身、芳崖の四天王のうちで最も惹かれたのが岡でした。
狩野芳崖「伏龍羅漢図」 明治18年 福井県立美術館 *前期展示
一方で、師の芳崖の作品も、点数こそ少ないものの、力作が揃っていました。うち「神仙愛獅図」は、西洋の聖人のような人物が、獅子を前に座る光景を描いていました。また「獅子図」も充実していて、芳崖はイタリアの曲芸団が来日した際、神田で実際に見たライオンをスケッチして制作しました。ほかにも橋本雅邦の作品も出展されていて、水辺の前で、彼方を見やるように西行が立つ「西行法師図」にも惹かれました。夕景を示すのか、画面はややオレンジ色に染まっていて、金砂子によって明かりも表現されていました。
菱田春草「春色」 明治38年 豊田市美術館 *前期展示
ラストを飾るのが、雅邦の四天王である、横山大観、下村観山、菱田春草、西郷弧月で、同じく日本美術院の画家の木村武山の作品とともに展示されていました。春草の「海辺朝陽」は、朦朧体の様式をとっていて、朝陽に包まれた海辺の景色を、淡い光と色彩で包み込むように描いていました。その茫洋たる景色は判然とせず、どこか抽象性を帯びていると言っても良いかもしれません。
会期の情報です。前後期で相当数の作品が入れ替わります。
「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」(出品リスト)
前期: 9月15日(土)~10月8日(月・祝)
後期:10月10日(水)~10月28日(日)
既に後期展示に入りました。狩野芳崖の三大名画、「悲母観音」、 「不動明王」、「仁王捉鬼図」も出揃いました。
いかんせんスペースに限界がありますが、知られざる芳崖の門下の画家を紹介する好企画ではないでしょうか。
10月28日まで開催されています。
「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」 泉屋博古館分館(@SenOkuTokyo)
会期:9月15日(土)~10月28日(日)
休館:月曜日。但し9/17、9/24、10/8は開館。9/18、9/25、10/9は休館。
時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
料金:一般800(640)円、学生600(480)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体。
住所:港区六本木1-5-1
交通:東京メトロ南北線六本木一丁目駅北改札1-2出口より直通エスカレーターにて徒歩5分。
「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」
9/15~10/28
泉屋博古館分館で開催中の「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」を見てきました。
近代日本画の父と言われる狩野芳崖には、晩年に師事された4人の高弟がいました。
その一人が、福井に生まれ、岡倉天心の甥である岡倉秋水でした。秋水は、図画教育に従事し、師を顕彰するために遺墨展を開催しては、作品の鑑定も行いました。「慈母観音図」は、まさに芳崖作の写しで、装身具の部分などはより立体的に表されていました。
そして二人目が、岐阜の大垣に生まれ、東京美術学校に入門するも、自らを「仏画師」と称しては、全国の寺院を歩いた高屋肖哲でした。生涯を通して観音像を描き、高野山にも参籠しました。おそらく旅先で描いたのか、山を細かにスケッチした「妙義山地取図」も印象に残りました。
続くのが、関宿藩士の子で、東京美術学校の助教授も務めた本多天城でした。大正以降はあまり名を残さなかったものの、一時は文展に入選するなどして活動し、山水画を得意しました。
本多天城「山水」 明治35年 川越市立美術館 *通期展示
その本多に力作がありました。まさに「山水」で、高い松林の向こうで、霞に覆われてそびえ立つ山々の姿を、鳥瞰的に描いていました。手前の松は細かい線で表している一方、後景の山々は朧げに示されていて、その対比も効果的に映りました。渓谷には白く波打つ水も流れていて、人里離れた渓谷を、雄大に表現していました。
福井に生まれ、東京美術学校に入学するも、後半生を本草学の研究に傾倒した岡不崩も、芳崖の門下の一人でした。学者でもあった岡は、多くの著作も残し、植物画としても正確さを持つ花鳥画を得意としました。
その力量は「群蝶図」からしても明らかでした。色とりどりの草花が並ぶ中、多くの蝶が舞っていて、いずれの植物も写実的でした。他にも「朝顔図説と培養法」における朝顔のスケッチも魅惑的で、実のところ私自身、芳崖の四天王のうちで最も惹かれたのが岡でした。
狩野芳崖「伏龍羅漢図」 明治18年 福井県立美術館 *前期展示
一方で、師の芳崖の作品も、点数こそ少ないものの、力作が揃っていました。うち「神仙愛獅図」は、西洋の聖人のような人物が、獅子を前に座る光景を描いていました。また「獅子図」も充実していて、芳崖はイタリアの曲芸団が来日した際、神田で実際に見たライオンをスケッチして制作しました。ほかにも橋本雅邦の作品も出展されていて、水辺の前で、彼方を見やるように西行が立つ「西行法師図」にも惹かれました。夕景を示すのか、画面はややオレンジ色に染まっていて、金砂子によって明かりも表現されていました。
菱田春草「春色」 明治38年 豊田市美術館 *前期展示
ラストを飾るのが、雅邦の四天王である、横山大観、下村観山、菱田春草、西郷弧月で、同じく日本美術院の画家の木村武山の作品とともに展示されていました。春草の「海辺朝陽」は、朦朧体の様式をとっていて、朝陽に包まれた海辺の景色を、淡い光と色彩で包み込むように描いていました。その茫洋たる景色は判然とせず、どこか抽象性を帯びていると言っても良いかもしれません。
会期の情報です。前後期で相当数の作品が入れ替わります。
「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」(出品リスト)
前期: 9月15日(土)~10月8日(月・祝)
後期:10月10日(水)~10月28日(日)
【本日は休館日】明日10月10日(水)からの後期展示に向け、本日は展示替です。重要文化財 狩野芳崖《悲母観音》(東京藝術大学蔵)の展示作業風景をご紹介します。神々しい輝きを、ぜひ会場でご覧ください!#泉屋博古館分館 #狩野芳崖と四天王 pic.twitter.com/DSuhV6nGLO
— 泉屋博古館分館 (@SenOkuTokyo) 2018年10月9日
既に後期展示に入りました。狩野芳崖の三大名画、「悲母観音」、 「不動明王」、「仁王捉鬼図」も出揃いました。
いかんせんスペースに限界がありますが、知られざる芳崖の門下の画家を紹介する好企画ではないでしょうか。
10月28日まで開催されています。
「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈」 泉屋博古館分館(@SenOkuTokyo)
会期:9月15日(土)~10月28日(日)
休館:月曜日。但し9/17、9/24、10/8は開館。9/18、9/25、10/9は休館。
時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
料金:一般800(640)円、学生600(480)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体。
住所:港区六本木1-5-1
交通:東京メトロ南北線六本木一丁目駅北改札1-2出口より直通エスカレーターにて徒歩5分。
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