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本来は「災いを転じて福となす」なのですが、助詞の「を」を省いてしまい、その結果、「福となす」という積極的な意味が薄れてしまっています。つまり、「災い転じて福となる」という意味になっているのです。でも、「福となる」とはっきり聞いたことはない、災い転じて、何だっけ? 災い転じて何とかって・・・とごまかしていませんか。でも、いつもそんなうまい展開になるとはかぎらないのですから、災いを転じて福となすべく努力しないとね。
「流れに掉さす」は、本来の意味の「流れに乗じる」から「流れに逆らう」へ移ってしまいましたが、船頭さんが流れに棹さし舟を進めるという光景が見られなくなった現代では、「棹さす」というと、流れに逆らう、止まるというイメージになる、これはもうやむをえないと思います。でも、「舌鼓」を「したずつみ」と発音するのを容認してはいけないと思うのです。
日本に昔からある楽器、鼓、これは「つづみ」です。鼓には大鼓(おおつづみ)と小鼓(こつづみ)があります。「こずつみ」ではありません。「こずつみ」と入力して変換すると「個ずつ身」となり、「こづつみ」と入力して変換すると「小包」となります。「包(つつみ)」に「小(こ)」が付き、最初の「つ」が濁って「づ」になります。しかし、「つづみ」は「つづみ」であって、「ずつみ」にはなりえないし、なってはいけないのです。
今日の写真の背景は、金沢駅東口の鼓門(つづみもん)です。
「流れに掉さす」は、本来の意味の「流れに乗じる」から「流れに逆らう」へ移ってしまいましたが、船頭さんが流れに棹さし舟を進めるという光景が見られなくなった現代では、「棹さす」というと、流れに逆らう、止まるというイメージになる、これはもうやむをえないと思います。でも、「舌鼓」を「したずつみ」と発音するのを容認してはいけないと思うのです。
日本に昔からある楽器、鼓、これは「つづみ」です。鼓には大鼓(おおつづみ)と小鼓(こつづみ)があります。「こずつみ」ではありません。「こずつみ」と入力して変換すると「個ずつ身」となり、「こづつみ」と入力して変換すると「小包」となります。「包(つつみ)」に「小(こ)」が付き、最初の「つ」が濁って「づ」になります。しかし、「つづみ」は「つづみ」であって、「ずつみ」にはなりえないし、なってはいけないのです。
今日の写真の背景は、金沢駅東口の鼓門(つづみもん)です。
私は、「災い転じて福となす」の表現に、何の違和感も感じていませんでしたが、ブログ筆者様の論考を拝読して、正しい言葉遣いを学ぶことが出来ました。
ありがとうございました。
突然ですが、「災いマン」というキャラクターがいると仮定します。
この「災いマン」は二つの性質を持っています。
1. 人にまとわりついて、悪質な嫌がらせをする。
2. 転倒すると、口から「金の延べ棒」を吐き出す。
この「災いマン」が、誰かに襲いかかってきた時に、自分の力で「災いマン」を投げ飛ばして転倒させて撃退するのと、足元にあるバナナの皮に気付かずに突進してきた「災いマン」が、バナナの皮で滑って転倒して、のたうち回っているのでは、全く違いますね。
前述した例が、「災いを転じて福となす」で、後述した例が「災い転じて福となる」ですね。
……何だか一人で勝手に納得して、申し訳ありませんでした。
私の日本語に間違いがありましたら、指摘していただけると、ありがたいです。
思わぬことが起きて、ブログの更新を休み、
コメントのチェック等もしていませんでした。
今日、久しぶりに投稿し、コメントを拝見しました。
拝見して泣きました。
まさに今、災いを転じて福となす努力をしています。
災いマンと私との間にバナナの皮があるかどうかまだ分からないので、
自分で投げ飛ばさなければいけないと覚悟しています。
これからが本当の戦いです。
災いマンが倒れて口から金の延べ棒・・・いいですね、
希望がわいてきます。
一般庶民様、本当に感謝します。