●シン・ゴジラ
ゴジラシリーズは平成ゴジラから入って、キングギドラ、デストロイアが好きで、
大体TVで放送されていたのは見て旧作も中学上る前くらいには大体見ていた気がする。
00年代以降はファイナルウォーズとハリウッド版は見ている。
311以降はいつ日本でまたゴジラが見られるかと期待していた。
災害というものをゴジラを通してより深く自分の身近に感じたかったのもあるし、
何より復活して欲しいという気持ちもあったので。
庵野秀明監督作として見る前は戦々恐々としてましたが、
シン・ゴジラの名に恥じない作品で、
正に現代のゴジラであると強く感じられる素晴らしい作品でした。
以下ネタバレ感想。
シン・ゴジラは誰もが考える、もし今の日本にゴジラが出現したら?
というifを全力で描き切っているのが素晴らしいと思う。
初代ゴジラは芹沢博士など科学者の分野での苦悩を描いていましたが、
今作はゴジラを研究する科学者は既に失踪しており戦いの主戦場は政治の世界に移されている。
初代は水爆など新たな兵器を開発していた人々こそにスポットが当たっていましたが、
今作では政治の舞台でゴジラをどう扱うかを描いている。
災害としてのゴジラを初代は原爆を作り出した科学者たちの責任へ、
今作ではどのように災害を扱っていくかという判断を迫る作品になっているように感じたかな。
技術を作り出したものより、運用するものの責任が問われる形になっているのが現代なんだろうなと。
科学者というのがゴジラなど必要とせずとも世界に殺されているような気がしてその点は気になった。
スマホで動画を見て巨大生物だと断定する若者が正しいとする感じはなんかムズムズしたな。
ゴジラを見てるんだからそりゃ巨大生物はいるだろうっていう視点でその正しさを肯定しちゃうけど、
デマの可能性もあるのでちょっと安易すぎるかなと思った。
政治の硬さの批判的なシーンなんだろうけど、それでも安易かなーと。
大臣たちにカンペを渡すのなんかは見ていて思わずニヤッとしてしまった。
まあそういうものなんだろうな、と思っても。
ニコニコ動画やtwitter式の画面など自分たちが集めるであろう情報をすくい上げる描写が序盤は多くて、
そういう日本の反応を様々なメディアを通してる辺りが非常に事件を身近なものにしていたな、と。
戦いは数だよじゃないけど、考えうる反応の描写の渦がより混沌を産んでる感じだったかなとか。
最初に巨大生物が現れる辺りは本当に騙された。
いやこれゴジラじゃねーじゃん、ハリウッド版と同じことやってんな!コイツとゴジラが戦うのか!?
と驚き半分呆れ半分で見ていたらあら不思議、
いつの間にかどんどんゴジラっぽくなっていくじゃありませんか。
進化していく生物というのは全くの盲点で驚かされたな。
最初からゴジラはゴジラとしてではなく未知の生命体だと思わされるところが新鮮だった。
現代社会が舞台なのに虚構の日本に「ゴジラ」という文化が無いのが非常に強い違和感になって、
序盤はそういう怪獣映画という文法が無いような日本という描き方なのかと思ったけど、
進化というものを目の当たりにして、誰も知らない本当に未知のものが出ることで、
全く新しいゴジラを見せられているのだというのを強く実感した。
シン・ゴジラの名を冠するにふさわしいと思わざるを得なかった。
自衛隊が出動するも攻撃命令が出来なかったのが運命の分かれ道という感じであったけど、
それが後々に言及されていなくてよかった。
逃げ遅れた住人など放っておいて攻撃しておけば、みたいな後悔の仕方されたら悲しいなと思ったので。
初動に迅速な判断が求められると言いながら、
この点をスルーするのはちょっと納得できない部分でもあるけど。
まあ倒せたかどうかはわからないifだけども。
こういう作品内でその是非を保留したものが、後々作品を語る時の味になっていくかなぁ。
いきなり時間が飛んでちょっとビックリ。
家屋の崩壊の仕方や1人だけ手を合わせるのとか、私だけはちゃんと弔ってますみたいな態度で、
そういうのはちょっとどうかなと思った。
ゴジラが街をぶっ壊して回るけど、
ビルが壊れるだとかアカデミックな部分からゴジラによって吹っ飛んでいく車など、
滅びの美学を追求されてる点が良かったなと。瓦が揺れたりとか。
特に車が簡単に吹っ飛んで行くのを見ると311の津波を思い出す感じで、
正に災害が出現したという感じになっていたのが目を引かれたなと。
自分的に津波の映像で一番衝撃を覚えたのが容易く流される大量の車だったので、
非常にシンパシーを感じる破壊だなと感じました。
今作でゴジラが出現した場所で行ったことないところがあまり無いのも新鮮だったな。
自分が知っているところが映るっていうのはこういう感覚かというのを改めて感じられたなと。
地図を作ってここでゴジラはこう動いて自衛隊の舞台はこう動いて、
というシュミレーションをやるのが面白そうだったのでちょっとやってみたくなる。
地図を見る面白さのある作品のように思えるし状況をより正確に理解する面でも楽しそうかなと。
逃げ惑う人々や総理に判断を求める場面だったりはきっとゴジラが出たらこんな感じなんだろうな、
っていうリアリティが感じられて良かったなと。人はやはり数が必要だなと感じたな。
自衛隊や米軍の攻撃で「やったか!?」のフラグを思い切り立てているのはお約束的だけど、
ゴジラがそんな攻撃で負けるかよって見てる側が鼻で笑っちゃう印象だったのは面白い。
それくらいあからさまな「やったか!?」だった。
ゴジラが進んでいくことで停電していくのがどこか美しく感じたな。
文明が停止した瞬間、光にあふれていた世界が、
一瞬で暗闇に包まれる恐怖というのを意識させられたな。
そこにある非日常性が美しく見えてもそれは一瞬なんだろうなと思わされる。
最近ジャイアントロボ見返していて美しい夜を目指す理由とは何かを考えていたりしたけど、
やはり恐怖を克服するために使われていたエネルギーが無くなるというのは恐ろしいことだよな、
というのを強く実感できて、インフラというのを強く意識しちゃったなぁ。
放射能を吐くのがゴジラ花型のシーンなので期待してましたが、
まず大量の炎が出て街が火の海になってビックリさせられ、
次にガスバーナーの空気調整を済ませたように炎が細いレーザーのようになり、
次々に街が破壊されていくのは圧巻だった。
背中からもビームを出すなど反則もいいところで大スペクタクルシーンでした。
だがしかし、これ完全にエヴァンゲリオンに出てくる第五使徒ラミエルじゃありませんか?
という印象が邪魔をして素直にその後のシーンを受け取っていいのかと葛藤させられる。
体内の放射能を使い尽くして立ち尽くすゴジラを調べようにも近づくと破壊されるとか、
それもラミエルっぽさに拍車をかけてる。
多国籍軍の核攻撃ではなく日本中からものを集めてゴジラを凍結させるぞ!
もエヴァのヤシマ作戦という感じ。
作戦名に言及している時点でわかってやってるし、
そもそも対策チームの場面のBGMでエヴァのものを使ってるので、
対策チーム=特務機関ネルフなのは明らか。
いやー、それでいいのか?と首を傾げたくなる。
俺はゴジラを見に来てるんやで!という強い気持ちにさせられる。
自分が気づいていないだけでエヴァもゴジラ的な部分あるから逆輸入やでッて感じなんだろうか。
ちょっと自分が不勉強過ぎかなと思わされる。
あと対策チームが暗そうのはなぜだったんだろう(オタクっぽくはない)。
市川実日子の印象だけが強い気もするけど。
個人的には市川実日子が凄い好みの役やってるなという感じだった。
人も物も集まって核攻撃のカウントダウンも伸ばして、
作戦決行からのBGMが怪獣大戦争マーチ(であってるのだろうか?)でと大盛り上がり。
ビルを崩してゴジラを動けなくしてさあゴジラを凍結させるぞ!
で、やることがポンプ車で口の中に直接液体入れるのを見て驚かされた。
これは将来ポンプ車に乗りたくなる子供が増えるだろうなって感じで見てたけど、
ずっとゴジラの口の中に多数の管を突っ込んでるだけの絵で面食らってしまった。
途中で放射熱線吐いたりとか抵抗もするんだけど結局それだけでゴジラが凍結して終わるので、
一大スペクタクルを期待しているとちょっとガッカリさせられた。
ただ派手なシーンというのはやはり爆発は欠かせないわけで、
一番の爆発とは何かと考えたら核攻撃なわけで、
派手なシーンにしないことで反核的なシーンとして扱っているのかなと思えたり。
確かに電車が突撃したり大量の重機が動きまわるのは圧巻で、
正に日本の力を目の当たりにさせられたわけだけど、うーん、
もっとかっこよくても良かったなと思わずにはいられなかった。
とりあえず見ながら思ったのはこんなところだったかな。
福島原発への言及はなくゴジラがそのメタファーっぽい感じで、
日本の力でゴジラに立ち向かっていくのは頼もしい描写で素晴らしかったなと。
日本を肯定する力強さがある。
問題はその強さを受け入れられるかどうかにかかってくるかなぁ、と。
どさくさで総理になった人間が思い描いた図が果たして現実になるのか?
という思いというか。
最後は一つ一つの描写、物語の流れを果たして信じられるのか?
という個々のパーソナリティに委ねられるんでしょうが、
ここで判断を保留するのも術中にハマってる気もしてくるかなぁと。
現実対虚構っていうのをこういうところでも意識しちゃうかなというか。
画コンテでエヴァの演出家の名前が並んでいてちょっと意外だった。
どのくらい反映されてるものなんだろう。
面白い映画だったし、日本映画ここにあり、ゴジラここにありと絶賛したい。
でもエヴァ色もあって果たしてそれを認めてもいいのかとやはり葛藤させられる。
核の恐怖が結局原爆投下まで戻ってしまうのもそれでいいのかな、福島はいいのかな、
そもそもゴジラ海底に捨てられた廃棄物食べて進化したみたいだけど、
果たしてそんな生物の責任を日本が取るような形になっていいのかなとか、色々考えてしまう。
ゴジラが凍結から戻るかもしれない可能性が考えられるけど、
とりあえず保留という感じだったので、いろんなことを保留にしておくのが一番なのかなとも。
それもまた日本的なのかな。
よくわからなくなってきたけど、面白い作品でした。
ゴジラシリーズは平成ゴジラから入って、キングギドラ、デストロイアが好きで、
大体TVで放送されていたのは見て旧作も中学上る前くらいには大体見ていた気がする。
00年代以降はファイナルウォーズとハリウッド版は見ている。
311以降はいつ日本でまたゴジラが見られるかと期待していた。
災害というものをゴジラを通してより深く自分の身近に感じたかったのもあるし、
何より復活して欲しいという気持ちもあったので。
庵野秀明監督作として見る前は戦々恐々としてましたが、
シン・ゴジラの名に恥じない作品で、
正に現代のゴジラであると強く感じられる素晴らしい作品でした。
以下ネタバレ感想。
シン・ゴジラは誰もが考える、もし今の日本にゴジラが出現したら?
というifを全力で描き切っているのが素晴らしいと思う。
初代ゴジラは芹沢博士など科学者の分野での苦悩を描いていましたが、
今作はゴジラを研究する科学者は既に失踪しており戦いの主戦場は政治の世界に移されている。
初代は水爆など新たな兵器を開発していた人々こそにスポットが当たっていましたが、
今作では政治の舞台でゴジラをどう扱うかを描いている。
災害としてのゴジラを初代は原爆を作り出した科学者たちの責任へ、
今作ではどのように災害を扱っていくかという判断を迫る作品になっているように感じたかな。
技術を作り出したものより、運用するものの責任が問われる形になっているのが現代なんだろうなと。
科学者というのがゴジラなど必要とせずとも世界に殺されているような気がしてその点は気になった。
スマホで動画を見て巨大生物だと断定する若者が正しいとする感じはなんかムズムズしたな。
ゴジラを見てるんだからそりゃ巨大生物はいるだろうっていう視点でその正しさを肯定しちゃうけど、
デマの可能性もあるのでちょっと安易すぎるかなと思った。
政治の硬さの批判的なシーンなんだろうけど、それでも安易かなーと。
大臣たちにカンペを渡すのなんかは見ていて思わずニヤッとしてしまった。
まあそういうものなんだろうな、と思っても。
ニコニコ動画やtwitter式の画面など自分たちが集めるであろう情報をすくい上げる描写が序盤は多くて、
そういう日本の反応を様々なメディアを通してる辺りが非常に事件を身近なものにしていたな、と。
戦いは数だよじゃないけど、考えうる反応の描写の渦がより混沌を産んでる感じだったかなとか。
最初に巨大生物が現れる辺りは本当に騙された。
いやこれゴジラじゃねーじゃん、ハリウッド版と同じことやってんな!コイツとゴジラが戦うのか!?
と驚き半分呆れ半分で見ていたらあら不思議、
いつの間にかどんどんゴジラっぽくなっていくじゃありませんか。
進化していく生物というのは全くの盲点で驚かされたな。
最初からゴジラはゴジラとしてではなく未知の生命体だと思わされるところが新鮮だった。
現代社会が舞台なのに虚構の日本に「ゴジラ」という文化が無いのが非常に強い違和感になって、
序盤はそういう怪獣映画という文法が無いような日本という描き方なのかと思ったけど、
進化というものを目の当たりにして、誰も知らない本当に未知のものが出ることで、
全く新しいゴジラを見せられているのだというのを強く実感した。
シン・ゴジラの名を冠するにふさわしいと思わざるを得なかった。
自衛隊が出動するも攻撃命令が出来なかったのが運命の分かれ道という感じであったけど、
それが後々に言及されていなくてよかった。
逃げ遅れた住人など放っておいて攻撃しておけば、みたいな後悔の仕方されたら悲しいなと思ったので。
初動に迅速な判断が求められると言いながら、
この点をスルーするのはちょっと納得できない部分でもあるけど。
まあ倒せたかどうかはわからないifだけども。
こういう作品内でその是非を保留したものが、後々作品を語る時の味になっていくかなぁ。
いきなり時間が飛んでちょっとビックリ。
家屋の崩壊の仕方や1人だけ手を合わせるのとか、私だけはちゃんと弔ってますみたいな態度で、
そういうのはちょっとどうかなと思った。
ゴジラが街をぶっ壊して回るけど、
ビルが壊れるだとかアカデミックな部分からゴジラによって吹っ飛んでいく車など、
滅びの美学を追求されてる点が良かったなと。瓦が揺れたりとか。
特に車が簡単に吹っ飛んで行くのを見ると311の津波を思い出す感じで、
正に災害が出現したという感じになっていたのが目を引かれたなと。
自分的に津波の映像で一番衝撃を覚えたのが容易く流される大量の車だったので、
非常にシンパシーを感じる破壊だなと感じました。
今作でゴジラが出現した場所で行ったことないところがあまり無いのも新鮮だったな。
自分が知っているところが映るっていうのはこういう感覚かというのを改めて感じられたなと。
地図を作ってここでゴジラはこう動いて自衛隊の舞台はこう動いて、
というシュミレーションをやるのが面白そうだったのでちょっとやってみたくなる。
地図を見る面白さのある作品のように思えるし状況をより正確に理解する面でも楽しそうかなと。
逃げ惑う人々や総理に判断を求める場面だったりはきっとゴジラが出たらこんな感じなんだろうな、
っていうリアリティが感じられて良かったなと。人はやはり数が必要だなと感じたな。
自衛隊や米軍の攻撃で「やったか!?」のフラグを思い切り立てているのはお約束的だけど、
ゴジラがそんな攻撃で負けるかよって見てる側が鼻で笑っちゃう印象だったのは面白い。
それくらいあからさまな「やったか!?」だった。
ゴジラが進んでいくことで停電していくのがどこか美しく感じたな。
文明が停止した瞬間、光にあふれていた世界が、
一瞬で暗闇に包まれる恐怖というのを意識させられたな。
そこにある非日常性が美しく見えてもそれは一瞬なんだろうなと思わされる。
最近ジャイアントロボ見返していて美しい夜を目指す理由とは何かを考えていたりしたけど、
やはり恐怖を克服するために使われていたエネルギーが無くなるというのは恐ろしいことだよな、
というのを強く実感できて、インフラというのを強く意識しちゃったなぁ。
放射能を吐くのがゴジラ花型のシーンなので期待してましたが、
まず大量の炎が出て街が火の海になってビックリさせられ、
次にガスバーナーの空気調整を済ませたように炎が細いレーザーのようになり、
次々に街が破壊されていくのは圧巻だった。
背中からもビームを出すなど反則もいいところで大スペクタクルシーンでした。
だがしかし、これ完全にエヴァンゲリオンに出てくる第五使徒ラミエルじゃありませんか?
という印象が邪魔をして素直にその後のシーンを受け取っていいのかと葛藤させられる。
体内の放射能を使い尽くして立ち尽くすゴジラを調べようにも近づくと破壊されるとか、
それもラミエルっぽさに拍車をかけてる。
多国籍軍の核攻撃ではなく日本中からものを集めてゴジラを凍結させるぞ!
もエヴァのヤシマ作戦という感じ。
作戦名に言及している時点でわかってやってるし、
そもそも対策チームの場面のBGMでエヴァのものを使ってるので、
対策チーム=特務機関ネルフなのは明らか。
いやー、それでいいのか?と首を傾げたくなる。
俺はゴジラを見に来てるんやで!という強い気持ちにさせられる。
自分が気づいていないだけでエヴァもゴジラ的な部分あるから逆輸入やでッて感じなんだろうか。
ちょっと自分が不勉強過ぎかなと思わされる。
あと対策チームが暗そうのはなぜだったんだろう(オタクっぽくはない)。
市川実日子の印象だけが強い気もするけど。
個人的には市川実日子が凄い好みの役やってるなという感じだった。
人も物も集まって核攻撃のカウントダウンも伸ばして、
作戦決行からのBGMが怪獣大戦争マーチ(であってるのだろうか?)でと大盛り上がり。
ビルを崩してゴジラを動けなくしてさあゴジラを凍結させるぞ!
で、やることがポンプ車で口の中に直接液体入れるのを見て驚かされた。
これは将来ポンプ車に乗りたくなる子供が増えるだろうなって感じで見てたけど、
ずっとゴジラの口の中に多数の管を突っ込んでるだけの絵で面食らってしまった。
途中で放射熱線吐いたりとか抵抗もするんだけど結局それだけでゴジラが凍結して終わるので、
一大スペクタクルを期待しているとちょっとガッカリさせられた。
ただ派手なシーンというのはやはり爆発は欠かせないわけで、
一番の爆発とは何かと考えたら核攻撃なわけで、
派手なシーンにしないことで反核的なシーンとして扱っているのかなと思えたり。
確かに電車が突撃したり大量の重機が動きまわるのは圧巻で、
正に日本の力を目の当たりにさせられたわけだけど、うーん、
もっとかっこよくても良かったなと思わずにはいられなかった。
とりあえず見ながら思ったのはこんなところだったかな。
福島原発への言及はなくゴジラがそのメタファーっぽい感じで、
日本の力でゴジラに立ち向かっていくのは頼もしい描写で素晴らしかったなと。
日本を肯定する力強さがある。
問題はその強さを受け入れられるかどうかにかかってくるかなぁ、と。
どさくさで総理になった人間が思い描いた図が果たして現実になるのか?
という思いというか。
最後は一つ一つの描写、物語の流れを果たして信じられるのか?
という個々のパーソナリティに委ねられるんでしょうが、
ここで判断を保留するのも術中にハマってる気もしてくるかなぁと。
現実対虚構っていうのをこういうところでも意識しちゃうかなというか。
画コンテでエヴァの演出家の名前が並んでいてちょっと意外だった。
どのくらい反映されてるものなんだろう。
面白い映画だったし、日本映画ここにあり、ゴジラここにありと絶賛したい。
でもエヴァ色もあって果たしてそれを認めてもいいのかとやはり葛藤させられる。
核の恐怖が結局原爆投下まで戻ってしまうのもそれでいいのかな、福島はいいのかな、
そもそもゴジラ海底に捨てられた廃棄物食べて進化したみたいだけど、
果たしてそんな生物の責任を日本が取るような形になっていいのかなとか、色々考えてしまう。
ゴジラが凍結から戻るかもしれない可能性が考えられるけど、
とりあえず保留という感じだったので、いろんなことを保留にしておくのが一番なのかなとも。
それもまた日本的なのかな。
よくわからなくなってきたけど、面白い作品でした。
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