hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

くりはら田園鉄道

2014-03-03 05:00:00 | 日記

鉄道シリーズ その49。くりはら田園鉄道を訪れたのは2006年8月9日、夏の旅行で遠野や八幡平を訪問し、松島に向かう途中であった。以前から廃止が近いという噂を聞いていたこともあり、少し遠回りになったがまず若柳駅にむかった。この駅に本社があり、車両基地もあるということで道に迷いながらたどり着いた。駅は商店街の外れに位置しており、駐車場もなかったので近所の農協の駐車場を拝借させてもらった。



くりはら田園鉄道の前身である栗原電鉄は1921年に軽便鉄道(762mm)として開通。しかし細倉鉱山の亜鉛や鉛などの鉱石を運搬するために電化及び改軌(1067mm)し、近代的な鉄道として成長した。しかし、貨客載現象により1970年代から赤字に転落、1988年の細倉鉱山の閉山により打撃を受けた。地元自治体はその存続にこだわり1993年に三セク化、1995年には電化を廃止して気動車による運行に切り替えた。そのため、写真にもあるとおり、若柳駅に留置されている車両にはバンダグラフがあり、電化時代の痕跡をとどめている。その日は若柳駅から東北本線と乗り継ぎのある石越駅まで3.8Kmを乗車した。廃止前の夏休みの割には鉄道少年やマニヤも少なく静かな鉄道だった。



この鉄道は軽便鉄道⇒電化された私鉄⇒非電化三セク鉄道と数奇な運命を辿ったもので、同じような例は少ない。KD95型気動車は1995年に3台新造されたもので、駅舎などの施設と比較してかなり新しかった。しかし、『くりでん』の名前で親しまれ、石越~細倉マインパーク間25.7kmを運行したくりはら田園鉄道もマインパーク以外に観光資源も少なく、乗車人員の現象には止めをかけられなかったことから結局2007年4月を持って全線廃止となってしまった。今も本社のあった若柳駅は2010年に地元自治体の手で鉄道公園として保存され、また、石越方向に500mの区間を動体保存できるようにし、月1回の割合で運転を続けている。是非一度行ってみたいものである。

この旅行はその後松島に泊まり、石巻の日高見で有名な平孝酒造や女川のマリンパークを訪れた。そして、わずか5年後にあのような大地震が来ることなど夢にも思わなかった。