hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

地下鉄有楽町線

2014-03-27 06:42:40 | 日記

鉄道シリーズ その53。今回は地下鉄有楽町線。1974年10月30日、この日のことは今もよく覚えている。当時、小生は文京区大塚2丁目に住んでおり、最寄の駅は地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅だったが、歩くと10分以上かかり、不便さを感じていた。


また、少し前までは都電や都バスの路線が近くを走っていたが、都電20系統(江戸川橋~須田町)は1971年に廃止、都バスも新橋~豊島園、常盤台教会~東京駅北口もこのあたりで廃止され、より不便になっていた。そこに今日の主役の地下鉄有楽町線が池袋~護国寺~銀座一丁目で開通したのである。


当時、高校生だったため、学校を終えて早速試乗し、池袋駅や市ヶ谷駅、江戸川橋駅などの記念切符を、買い集めに走った。家から改札口まで歩いて5分、これは画期的であり、初めて当時導入された7000系に乗って、神楽坂や麹町に行ったのもこの開通がきっかけであった。

地下鉄の新線の名前を公募していて、親父が外堀線と投票したことを後で聞いた。トップは麹町線であったが、有楽町線・有楽線の合計得票が多く、加えて『麹町』が字が難しく読みにくいという理由から有楽町線と決まるという余り冴えない結果だった。また、小生も有楽町の名前に使うのは冴えないなあと感じたものである。

有楽町線はその後1980年に銀座一丁目~新富町、1983年に営団成増~池袋、小竹向原~新桜台(西武有楽町線)開通、1985年に営団成増~和光市開通及び東武東上線との相互乗り入れ、1988年新富町~新木場開業により全線開通、1998年新桜台~練馬開通と西武池袋線との相互乗り入れ開始と当初から14年かけて今の形となった。(副都心線は後日)


当初は丸ノ内線のバイパスとして開業し、相互乗り入れ前はあまり混雑もしなかったが、今はラッシュ時は丸ノ内線以上に通勤の足として益々活躍している。