鉄道シリーズ その52。今日の話は地下鉄日比谷線。開業は1961年に南千住~仲御徒町3.7km、全身銀色の3000系が走った。その翌年には北千住~人形町まで、1963年には人形町~東銀座、1964年8月には北千住~中目黒の全線が開業した。
開業時には東急東横線日吉駅まで直通運転を開始した。さらに1966年には東武伊勢崎線北春日部駅まで直通運転を開始し、ほぼ今の運行状況になった。
この線が相互乗り入れを始めた頃は東武伊勢崎線は浅草駅までは来ていたものの、浅草駅の乗り換えが不便だったため、沿線開発がなかなか進まなかった。しかし、日比谷線開業以降は地価がもともと安かったこともあり、一気に沿線開発が進み、従来の6両では足りなくなり、8両にしたというエピソードもある。
この路線は相互乗り入れする東横線も東武伊勢崎線も全て各駅停車の運行となっており、不思議に思っていた。これは元来日比谷線の混雑解消のため、半蔵門線を開業したが、なかなか効果が現れなかった。このため、半蔵門線の運行本数を増やすと共に、半蔵門線では東武伊勢崎線の優等列車を乗り入れする策を取り、効果を出した結果とのことである。
日比谷線は今の仕事場の人形町から各所に行く時によく使うが、便利な反面、地上出口が兎に角わかりにくい。人形町駅だけをとって見ても、人形町交差点側に降りないと都営浅草線には乗り換えられないし、エレベーターだけで階段がない出口もある。なかなかやり直しが効かないのが地下鉄だが、古い駅の構造には問題も多い気がする。