『metroに乗って その18』。このシリーズは前回が1月30日の牛込柳町駅だからかれこれ3ヶ月ぶりとなる。今回訪ねたのが、都営浅草線蔵前駅。同じ都営地下鉄でも大江戸線とは離れており、地上に出て乗り換える方が便利である。
蔵前駅を厩橋寄りの出口に出ると目の前を江戸通りが通っている。大通りから一本中に入ると直ぐに蔵前神社に到着。この神社は江戸の鬼門を固めんと1694年に岩清水八幡宮として5代将軍綱吉により建てられたもの。大相撲ゆかりの神社で協会から色々なものが奉納されている。
元犬の像があるが、この神社は古典落語の『元犬』『阿武松』の舞台になったことに因む。『元犬』は白い犬が神様に人になることを祈願してその願いが叶い、人になって色々な騒動を起こす中々面白い噺である。
蔵前神社を出て直ぐ隣にあるのが、榧寺。この寺は1575年頃に草庵として開かれたもので、1599年には観智国師が開山。寺には榧の木が茂り、寺宝を火災から守ったことから榧寺と言われた。また、日本では珍しい銅造菩薩立像があるが、朝鮮半島にあった高麗製といわれている。昔は大きな灯篭があり、これを目印に渡し船が通っていた。
榧寺から少し歩くと春日通りと江戸通りの交わる厩橋交差点、その先が隅田川の橋のひとつ厩橋である。
1970年頃にはこの橋を都電16系統錦糸町駅行きが走っていた。今も橋の袂には屋形船の乗り場があり、まだ、時間も早いためのんびりムードである。
春日通りを渡ると隅田川沿いに遊歩道が伸び、黄色く塗られた蔵前橋が見える。川の護岸には昔の米倉の地図や錦絵が描かれており、10分ほど歩くと蔵前橋。
蔵前橋の袂には浅草御蔵の碑があるが、江戸時代には幕府の米蔵が並んでいたことを示している。
そして、その先のピンクの建物が下水道事務所だが、かつてはここに蔵前国技館があった。戦後GHQに両国国技館が接収され、その代替として1949年に建設開始、1950年から仮設で開館、正式に完成したのが1954年である。その後、両国国技館(2代目)が落成した1984年までここで大相撲の興行が行なわれた。
向かい側に渡ると『首尾の松』の碑がある。この松には幾つかの説があるが、隅田川が氾濫した際に謹慎中の阿部忠秋が、将軍家光目前で人馬共々川に飛び込み、見事対岸に渡り付き、これを家光が賞して勘気を解いたので傍の松を首尾(しゅび)の松と称したという説もある。
また。蔵前橋通りを戻り、交差点の手前に楫取稲荷神社がある。これは江戸時代前期に江戸幕府米倉造営用の石材を船で運んだが、その遭難を避けるため、浅草御蔵内に造った稲荷神社である。楫取とは神徳に因んだもので、船の楫取りをした稲荷神の社の意味と云われる。
僅かな距離を廻るだけでこれだけ色々な史跡がある蔵前は江戸時代の繁栄を彷彿させる街である。