hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

市ヶ谷見附周辺の坂道(1)

2015-05-27 05:00:06 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その42。今回は市ヶ谷見附付近の坂道を歩く。市ヶ谷駅からお堀を渡って向かいに渡った辺りにある坂だが、市ヶ谷見付が底にあたり、台地に向かって坂道が並んでいる。

外堀通りを飯田橋方面に歩き、牛込中央通りを納戸町方面に曲がる。坂道を少し上り、法政大学市ヶ谷田町キャンパスの横にあるのが、『歌坂』。この名前は台地が鳥の善知鳥の嘴に形状が似ているため、善知鳥坂と言ったものがなまって『うたさか』、漢字を当てて『歌坂』になったという説がある。



歌坂の一つ目の角を左に曲がる。すると払方町教会が出てくるが、そこを左に曲がると『鰻坂』。これはその名前の通り2回曲がっており、そのくねくねしたところから名付けられたのが容易に分かる。鰻坂は細長く、広い車道を跨ぎ、最初下りだったのに途中から緩い上り坂となる。




その先は道が細くなり、DNPの社宅を左に曲がると『浄瑠璃坂の仇討ち』跡を示す看板が出てくる。

1672年に宇都宮藩を脱藩した奥平源八が父の仇である同藩の奥平隼人を討った事件で当時伊賀越の仇討ちと共に大変世間で有名になり、歌舞伎や講談の題材にも取り上げられ、また、火事装束で徒党を組み火事を装って討ち入る方法は赤穂浪士が参考にしたとも言われている。


その先の細くて長い坂が『鼠坂』である。ただし、周囲には鋼矢板が置かれ、DNPの建物が建築中であり、場合によっては坂道が変わってしまうかもしれない気がした。


その先にT字路があるが、丁度底の位置になり、左右に上り坂がある。まず、右に行くと『中根坂』、これはこの坂の西側に旗本中根家の屋敷があったのが、その名前の起源である。


また、反対に登ると『安藤坂』となる。これも坂の北側に安藤杢之助の屋敷があったからと言われるが、とにかく周りすべてがDNPの建物や社宅、安藤坂の上には奨学金の日本学生支援機構と防衛省がある。(この先は次回に続く)