『江戸の坂・東京の坂』その39。田端付近の坂道の2回目。ポプラ坂を上がりきり、右折すると陶芸家の板谷波山夫妻の旧居跡兼窯跡や新しい老人介護施設などが立ち並ぶ新しく広い道に出る。
この道は平成20年に整備されたもの。その先、左側に東覚寺が現れる。
東覚寺は江戸府内88カ所霊場の66番札所。しかし、有名なのは赤紙仁王で1641年に作られた仁王像の具合の悪いところに赤紙を貼り、祈願すると病気が治ると信じられている。その為、2体の仁王像は赤紙で一杯になり、像の姿が分からないほどである。
この仁王像が作られた時期は疫病が流行っており、これを鎮める目的であったようだ。元は八幡神社にあったが、明治初期の廃仏棄釈の際にこのお寺に移された。今も信仰は途絶えることなく、赤い紙は貼られ続けている。
その先、田端駅に向かう車道から分かれ、台地を上る急坂が『東覚寺坂』である。
少し戻り、バス通りを信号のところで渡ってまっすぐ行くと突き当たるが、これが『与楽寺坂』で由来は坂の下にある寺の名前に因む。この坂の途中は空き地があり、大根の紫色の花が咲き乱れるなど山手線の駅の周辺とは思えない静けさとのどかな風景に驚く。
細く左にくねくねと上る坂の頂上を左に行くと右に下りていく細い坂が『上の坂』。坂の名前の由来は不詳である。この途中から石段になる坂上西側に芥川龍之介は大正3年から住んでおり、数々の作品を創作した。
また、与楽寺坂の頂上まで戻り、左に向かう(与楽寺坂をまっすぐ行く)と信号にぶつかるが、その先、JRの線路方向に向かう石段の坂が『不動坂』である。かつては田端駅東口付近に石造りの不動明王像と不動の滝があったことによるらしい。1935年に駅拡張によって田端不動尊(田端3ー14ー1)に移されて坂の名前だけが残された。坂の先まで行くと新幹線などがよく見える。
不動坂からはすぐに田端駅に着くが、ぐるっと回って分かるが、寺が今だに多く残り、昔の風情を残す町巡りはなかなか愉しいものだ。そうだ、田端へいこう!