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『古刹を巡る』その32。今回は伺ったのは豊島区雑司ヶ谷にある法明寺。と言っても分からないだろう。だが、雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)堂といえば大概の人は知っている。今は東京メトロ副都心線の駅も出来たが、かつては都電荒川線で行く人が殆どであった。
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早稲田かり都電荒川線を鬼子母神前で降りて左に行くとすぐに参道入口がある。その先には樹齢数百年のケヤキ並木が続く参道、突き当りを左に折れるともう社殿はすぐ前にある。
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境内に入ると左右にはそれほど大きくない石の仁王像が2体、これがお堂を守っている。
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このお堂に祀られている鬼子母神像は1561年に山村丹右衛門という人が近く(現在の文京区目白台)から掘り出し、この辺りで像を清め、東陽坊(現在は法明寺と合併)に納めたのが縁起となっている。その後、安土桃山時代には更に信仰が盛んになり、1578年に現在の地に堂宇が建立された。
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寺の漢字をよく見ると気がつくが、この鬼子母神の鬼という字には『ノ』がないが、それには鬼子母神の縁起に絡んだ話がある。鬼子母神は元々インドでカリテイモと呼ばれていた、王舎城という夜叉の娘。嫁して沢山の子供を産んだが、性格が暴虐で近隣の幼児を捕まえて食べるので恐れられていた。お釈迦様はその過ちから帝母(カリテイモ)を救うことを考え、彼女の末の子供を隠してしまった。すると帝母が大いに悲しむので『千人のうち一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らう時、その父母の嘆きや如何』と諭し、帝母は釈迦に帰依し、安産子育ての神になることを誓い、人々に崇敬された、と言われている。そのため、ツノの付かない鬼の字を用いて『雑司ヶ谷鬼(ノはない)子母神』と尊称している。
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堂宇の中にもその文字が掲げられ、子供の初節句などが絶えない。また、ススキで作られたミミズクも江戸時代から売られており、有名であるが、高価なもので小生は買ったことがない。
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また、先ほどのケヤキ以上に凄いのが境内の大銀杏で樹齢は700年と言われているが、勢いは衰えていない。高さは30メートル、幹周が8メートルもある。
鬱蒼とした古木の中に、他にも大黒堂や法不動堂、武芳稲荷堂などが立ち並び、その威光を今に残している。かつては病で亡くなる子供が多く、その健康な行く末を祈った父母の気持ちが今も生きている気がした。