hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東寺(教王護国寺)

2014-03-21 00:07:43 | 旅行

古刹を巡る その6。京都の古刹の中で人に一つ勧めるとすれば、小生は躊躇なく通称『東寺』、正しくは教王護国寺を選ぶ。初めて訪ねたのは意外に新しくまだ10年にならない。しかし、その時の感動はなかなか忘れられない。近いのは京都駅から近鉄奈良線で一駅、歩いてもしれたもので、ただ、敷地が広く、有名な東寺の塔は見えども中々そばまでたどり着かない。京都では弘法さんとよばれ、親しまれている。

入口は講堂横にあり、拝観料は800円と高目?とは思わないが、値段より自動販売機の導入を急いで欲しい位人が並ぶ。入ると左前に五重塔、右手前から講堂、金堂と続く。


まず、手前の講堂から、この講堂自体も1491年に造られた2代目のもので重文である。中に入ると直ぐに菩薩部、真ん中が如来部、奥が明王部となり、21の仏像による立体曼荼羅を構成している。そして6隅を手前から多聞天、梵天、持国天。

1番奥が広目天、帝釈天、増長天と並んでおり、全て国宝。特に人気が高いのが帝釈天、象に乗り端正な顔立ち、梵天はガチョウ4羽に乗り、こちらも涼しげな目鼻立ち。

手前の金剛波羅蜜菩薩ら菩薩部は中尊を除き、全て国宝。真ん中の大日如来の神々しさ、奥の不動明王の激しさにはいつも新たな感動がある。

個人的には明王部に配置されている大威徳明王、手が6本、脚が6本、首が3本、牛に乗り、今にも走りそうな風格には魅せられる。(明王部も全て国宝)

ついで金堂へ、金堂自体は1603年に豊臣秀頼の寄進で再建されたもので国宝。御本尊は江戸前期の作の大きな薬師三尊像、日光・月光両菩薩と共に静かな祈りに満ちている。また、台座の下には十二神将が配されている。

最後に五重塔に赴く。京都のシンボルといっても過言でなく、今の塔は1644年に徳川家光の寄進により建てられたもので国宝。今の時期だけ、中に入ることができ、東西南北に三尊像が4組祀られ、周りには両界曼荼羅や真言八祖像が描かれている。

いつもこの寺に来ると最初の講堂で時間を使いすぎ、後は流してしまう傾向があるが、これはいつも変わらない。それにしても素晴らしい立体曼荼羅である。折角、京都に来たら是非見てもらいたいお寺である。


丼拓~八重洲グルメ

2014-03-20 06:42:55 | グルメ

博多に住んでいたのはもう20年以上前だが、東京に戻っても博多うどんは懐かしい。福岡空港に寄るたびに味わうアゴだしを東京でも味わえれば、と思っていたら、東京駅八重洲口の路面店に『博多うどん』の文字が出ていて思わず入店してしまった。

店の名前は『丼拓』、たぶんドンタクと読ませるのだろう。店は狭いがこぎれいで、入るとすぐのところに自販機があり、チケットを買うシステム。メニューは昆布うどん、エビ天うどん、かき揚げうどん、とり天うどんなどとカレーやおにぎり、天丼などのご飯ものなど多くのボタンが並ぶ。

博多うどんならばいつものようにとゴボウ天うどん(380円)を選択。チケットを渡し、うどんをまっていると、配膳口に『軟らか麺は50円のチケットを購入して欲しい』と書いてある。最初その意味がよくわからなかったが、聞くと軟かい麺は博多直送とのこと。


うどんが出てきて、すぐ横に用意されているおろし生姜、揚げ玉、ネギなどのトッピングをくわえながらしまったと思う。さらに、トッピングに青ネギがない!止むを得ず白ネギと揚げ玉、生姜をいれる。

席の前には一味唐辛子、これはいい。一口汁をのむが、アゴだしが効いて美味い。うどんも普通に美味いが腰がありすぎ、やはり軟かい麺を選ばなかったことに後悔。ネギも青ネギが…と言い出せば切りないが、味は博多風でなかなかいい。また着たくなるこの味、食べるにつれ、博多が懐かしくなった。だけど、なんとか青ネギにならないかなあ?追加料金でもいいから。

丼拓 八重洲店
中央区八重洲1ー4ー20
0355421870

鞍馬寺~貴船神社

2014-03-19 06:49:04 | 旅行

古刹を巡る その5。(鉄道シリーズ51の続き)ケーブルを降りるとすぐに多宝塔、その横の坂を上る。

しばらくして開けた場所に出るが、ここからの見晴らしがいい。右手に転法輪堂、中には転法輪と仏様が祀られている。さらに階段を上がると金堂が姿を現す。建物は新しく、中はやや薄暗いが奥に仏像の姿がうっすら見える。また、右は千手観音、左に護法魔王尊が配置されているが、いずれも秘仏で、お前立ちの護法魔王尊とのこと。金堂の前には六芒星があり、最近はやりのパワースポットらしい。


金堂を出て、右手に向かうと奥の院への道となる。ここが山路のスタート、階段を登ると霊宝殿がある。200円払って入館、博物館仕様で1階は鞍馬山の自然、2階は義経などのコーナー、そして3階には仏像が並べられている。

3階奥には国宝が3体、中央が毘沙門天、左側が吉祥天、右側が善に師童子。特にかつて本尊であった毘沙門天は平安後期の作と言われ、威風堂々とした体型で迫力、毘沙門天は多宝塔を持っていることが多いがこの像は持っておらず、左手は額の上にかざし、遠くを眺めている。

元々鞍馬寺は770年に鑑真和上の高弟・鑑禎が開創したもので、源義経が天狗に武術を習ったという伝説が残されている古刹で天台宗を改宗、現在は鞍馬弘教の総本山である。

ここには他にも毘沙門天が並んでおり、特に目を引いたのは兜祓毘沙門天立像(とばつびしょもんてん)邪鬼の間に天女がいて異彩を放つ。この毘沙門天は西域の兜祓国に出今から10年以上前に京都に現れたと言われ、王城鎮護のため、さらに門に安置して羅城門におかれていた。

霊宝殿を出て右手に、山路の登りが続き、500m行くと、背比べ石や僧正が谷不動堂に到着。大声で経を詠む人がいたが、その迫力に驚く。ここまでが上り坂、下りに少しホッとしたが、木の根道と言われる歩きにくい急坂が続き、雪解けの影響もあり、脚に力を込めるため、くたびれる。ようやく、奥の院に到着、さらに20分くらい行くと川を渡り、ようやく舗装路に出た。川沿いの道を右折すると100mで貴船神社本宮に到着する。

貴船神社は歴史は古く反正天皇の時代つまり約1600年前に遡る。社伝では神武天皇の母である玉依姫命が黄色い船にのり、この地に上陸して水神を祀ったとされる。まあ、とにかく古く、また、縁結びの神として有名で『水占おみくじ』を若い女性が競ってやっていた。丁度、参拝した際に結婚式を挙げている一組がいた。

しっとりしてよい神社ながら、すでに山歩きのため、くたくたでお詣りを済ます。少し川沿いの夏は床になるような建物に沿って貴船まで歩くと貴船口行きのバスが止まっており、何とか間に合った。

また、叡山電鉄に乗りつぎ、四条京阪に無事帰り着いたのは13時。もう寒さなど何処へやら、汗が出てくるほど。そういえば、もう半月以内には桜も楽しめるほどの時期で、暖かさが暑さに変わっていた。

叡山電車・叡山鋼索鉄道

2014-03-18 06:45:22 | 日記

鉄道シリーズ その51。叡山電車と鞍馬鋼索鉄道。京都から鞍馬寺、さらに貴船神社までのコースを歩いて見た。京都から叡山電車(正しくは叡山電鉄)が出ている出町柳駅まで電車や地下鉄で行くのは意外に乗り換えが面倒なため、京都駅から市バスに乗る。京都市バスはのろく、なかなか来ないので評判が悪いが、日曜日の朝は流石に予定通り走る。河原町通、今出川通をスイスイ通り、約20分で出町柳駅到着。

叡山電車の乗り場は少し離れているが、元来ここが、先にできた。ホームは二つあり、鞍馬行と八瀬比叡山口が交互に出発するが、鞍馬行は2両編成だが、八瀬比叡山口行は700系単行の電車である。電車も最近話題の900系きららに乗りたかったが、800系ばかり当たってしまったのは残念。


叡山電鉄は元々は京福電鉄叡山線であったが、1985年に今の2路線を独立させて京福電鉄の100%子会社として分離、さらに1991年に京阪電鉄の100%子会社となっている。
出町柳駅発9時15分、鞍馬駅着は9時45分と僅か30分の電車旅行だが、駅数が多く、殆どが無人駅で宝ヶ池、貴船口以外では先頭車の前のドアしか開かない。初めは少し郊外の住宅地だが、家も減り、京都清華大学・京都産業大学などまで行くと寂しくなり、二軒茶屋駅から先は単線、二瀬駅からは家も減り、ずっと林の中を走る。そして、最後の貴船口~鞍馬は紅葉の際はなかなか絵になる区間である。

今日の乗客の7割は観光客、その半分以上がハイカーの格好をしている。しかし、殆どが二瀬か貴船口駅で降りるたむ、鞍馬駅で降りる客は意外に少ない。鞍馬駅駅舎は昔のままで少し上田交通別所温泉駅に似ている。


駅前には大きな天狗の面があったり、昔の電車の先頭部分も飾られたりしていて楽しい。駅前はかなり昔からやっている土産物屋がならび、通りに出て左手に行くと鞍馬寺の入口である。入山料200円を払い、階段を上ると二股になり、ケーブルを選ぶと普明殿と書かれた建物に着く。

そしてこの入り口で100円寄付金を支払うとケーブルに乗ることができる。
鞍馬鋼索鉄道は日本の鉄道事業法に基づく事業者ではあるが、宗教法人であるのはここだけで、鞍馬寺が運営主体。さらに営業距離は山門駅~多宝塔駅191m、高低差89mで日本一短い鉄道である。ケーブル自体は無料だが、実質的には100円のみで乗せてくれる。


これを歩くと1時間弱かかる上り坂を1分半ほどで登ってくれる。ケーブルに乗ると分かるが、兎に角一直線ですれ違いの施設もなく分かり易い。今は『牛若丸Ⅲ』が元気に15分毎に運行され、多宝塔駅から山門駅を見下ろす風景は素晴らしい。これだけでもやってきたかいはあった。

(なお、鞍馬寺から貴船神社に関してはまた別途続きをレポの予定。)

石塀小路さくら~京都グルメ

2014-03-17 06:41:41 | グルメ

今から10年以上前に京都に仕事に行った際、職場の先輩に連れられ、しこたま飲まされたのが、この店にきた初め。料理のセンスに光るものがあり、ほぼ京都に来るたびにこの店にやってきて、今ではこれを楽しみに京都に来ていると言っても過言ではない。

店の名前は『さくら』で今は観光地化しつつある石塀小路にある。外から見るとそれほど間口はないが、京都らしく、奥行きもあり、いつも予約すると壷庭横の席を用意してくれている。

料理はコースが3種類だが、その真ん中のをお願いして、何が出てくるかを楽しみに。

ビールで乾杯の後、前菜がホタルイカの酢味噌和え、新ごぼうの煮物、鯖寿司、天豆の蜜煮、だし巻き、そしてこの店名物のちりめん山椒をチーズに練り込んだもの、の6品がお盆に乗ってくる。特にホタルイカの酢味噌が絶品、また、鯖寿司も胃が落ち着いてさあ飲むぞという感じになる。

ここで『みぞれざけ』を注文。凝固点以下に冷やした酒に刺激を与えて器に取ると瞬間凍結してシャーベット状になるもの。いつもこれは欠かせない。


吸い物は『若筍と鱈子の椀』、あっさりしている中に筍とワカメがいい仕事してる。造りは『桜鱒と桜鯛』、鯛はサクラの葉に包み、塩昆布で味を整え、春らしい一品。

さらに『よこわの藁焼き』、よこわ(鮪の幼魚)を皮付きのまま藁焼きし、ぽん酢ジュレと鬼おろしを添えたもの。よこわも春の魚で赤身が美味い。次に冷酒を頼むとかなりの飲みっぷりと思ったか、つぎは大将がとっときを紹介すると言われる始末。

更に、揚げ物はフキノトウ、タラの芽、白昆布の揚げたものにサクラ塩を添えたもの。寒いのに春を迎えた気分にさせる。

ここで大将が直々に阿櫻(秋田県横手市)の純米生酒を試飲とサービス。➕10とかなり辛口のはずだが、旨味が強く、香り立つうまい酒、ただだから更に美味い。


蒸し物は『穴子の飯蒸し、ワラビ餅添え』、肉は『筍と牛肉の一口ステーキ』、このくらいの肉は嬉しい、さらに筍は味がよく染みている。飯ものは『桜エビの豆ご飯』、酒も含めて桜をキーワードに大変満喫。


デザートは『ブルーチーズの干し柿添え、苺大福』、特に前者は、ワインにもよく合いそうな旨さ。繊細かつ大胆な京都の春料理を十分堪能、また来たいと思わせるサービスと味である。だけど阿櫻は美味かった。

石塀小路さくら
東山区石塀小路
0755411522

観光地百選切手

2014-03-16 07:36:13 | 日記

切手シリーズ、その14。公園シリーズ同様に全国の観光地紹介の切手として発行されたのは、1949年に出された別府の観光切手だったが、図案も地味であまり人気がなかったのでシリーズ化されなかった。

しかし、その後、観光地百選と銘打って1951年~53年に発行されたのが、今回ご紹介する10タイトル20枚の切手。額面は8円(最後の錦帯橋のみ10円)の封書と24円の海外向け書状の料金である。これは毎日新聞社主催で1950年に観光地を山岳、平原、温泉、河川、海岸、渓谷、都邑(都市)、湖沼、建造物、瀑布の10部門に分けて各部門1位になった切手を発行したもの。当時としては珍しく1年の間に9タイトルが発行されている。

切手の形式は国内向けは縦型で色々な色が使われているが、海外向けは横型で青系に統一されている。これはUPU(万国郵便連合)の規定で海外向け書状は青系に統一されたことによる。


これらの切手を見ると第一次国立公園切手と違い、例えば1951年発行の日本平の8円切手のように茶摘みの女性が出ていたり、同じ年の和歌浦・友ケ島の8円切手のように風景写真を絵のようなデザインにしたりと遊びごころがある。

なお、最後の錦帯橋の10円切手のみ1953年に発行されたのは台風で破損し、再建を待って発行されたことによる。

このシリーズは平原や河川など10部門の分類そのものも面白い。さらに都邑の長崎や温泉の箱根は今も人気があり、違和感はないが、例えば瀑布の赤目四十八滝、河川の宇治川、渓谷の昇仙峡、湖沼の丸沼・菅沼など今選ぶと全く違うところが出てきそうなものもある。

60年前に日本を海外の旅行客に売り込もうとした企画だが、当時の日本人の考えたベスト観光地と今の意識のギャップを考えるだけでも、大変興味深いシリーズである。


チャンポン由○~日本橋グルメ

2014-03-15 08:14:12 | グルメ

昔、といっても約30年前のことだが、仕事で月に2~3回長崎県の金融機関を回っていた時期があった。当時は必ず伺っていた某J銀行から歩いて5分ほどのところに中華街があり、その中でも江山楼という店がお気に入りだった。もちろん、中華料理と言ってもラーメンや餃子、炒飯を食べるわけではなく、チャンポンか皿うどんを専ら食べていた。
そんなことからチャンポンと書いてある看板を見るとついついその頃の舌の記憶が呼び覚まされ入店してしまう。今はリンガーハットはチェーン店にしては味がよく、野菜の切り方がやや大雑把なことを除けば気に入っている。また、個人経営の店は味は良いが、経営者がお年を召されていることもあり、閉店続きで困る。つい先日も西荻窪駅そばの店もビル改築に伴い店をたたんでしまった。

今日行ったのは大洋漁業の孫会社のラーメン由○(よしまる)の姉妹店でまだ日本橋と品川にしかない。チャンポン由○はチャンポン、皿うどんの他に焼き皿うどんがある。これは長崎ではあまり目にしたことがないが、簡単に言うと汁なしチャンポンで、焼いてある。本当は太麺皿うどんが好きなのだが、ないのでこれを選ぶ。

味はチャンポン、そして焼きうどんの麺をチャンポンにした感じでキャベツやモヤシ、タマネギのシャキシャキ感とイカゲソのプリプリ感、そして豚肉が良くあってなかなか美味い。さらに長崎ファンとして嬉しかったのはチョーコーの金蝶ソースが備えられていること。

半分食べてからソースを掛けて食べる、このアジアンな食べ方は大変いい。満足でした。

花粉症+風邪?

2014-03-14 06:27:12 | 日記

今年はかなり例年に比べて寒い日が続いてきたような気がしている。普段ならば1月末から2月上旬にスタートする花粉症も今年は雪、それが2回も降ったこともあり、くしゃみが出たり、目がショボついたりすることもなく、ホッとしていたが、一昨日の暖かな陽気で花粉が飛び始め、一気に症状が出始めた。

また、先週末から火曜までの寒さで咳が出始め、月曜夜から微熱が出るほどに。朝になると平熱に戻るため、出勤は普段と変わらずしているが、加えての花粉症。

もう、風邪なのか、花粉症なのか、その合併症なのか。咳は出るは、クシャミや鼻水は止まらないは、対処療法の薬で頭はのぼせるは、苦痛以外ない状況にブログの考えもまとまらず、兎に角、金曜日まで何とか勤め上げるしかない状況。もう、花粉症との付き合いも30年以上になり、少し馴れれば対したことはないのだが、苦痛の3月である。

少し気分を変えて水天宮前の水槽の写真をアップしておく。

興福寺南円堂・北円堂

2014-03-13 06:42:55 | 日記

古刹を巡る、その4。奈良市にある興福寺は東大寺や法隆寺同様知らない人は殆どいない。しかし、その中にあって南円堂・北円堂は年に数回しか公開されない。それが、昨年4月12日から6月2日まで特別公開されたのを聞きつけ、4月12日朝から見に行く。先頭とはいかなかったが、4番目に中に入る。


南円堂は西国三十三箇所の9番札所で訪れるのは3回目だが、中まではいるのは初めて。藤原北家の藤原冬嗣が創建した八角堂でお堂自体も重文。中には本尊の不空羂索観音菩薩坐像(国宝)と四天王像(国宝)が厳かに安置されている。不空羂索観音菩薩坐像は運慶の父親、康慶の作と言われている。

そしてそばに立つ北円堂(国宝)は普段は遠くから眺めることしか出来ないが、堂々と中に入りじっくり一つずつの仏像を見て回る。中心に弥勒菩薩(国宝)、周りに四天王像(国宝)、奥右に世親菩薩立像、左に無著菩薩立像(それぞれ国宝)と並んでいる。


無著・世親はインドの唯識学の祖と言われる兄弟で、この像は運慶作と言われている。この2つの立像は世親(弟)は壮年で厳しい顔をして、遠くを見つめており、無著(兄)は老年で胸に箱を持ち、優しい目で人々を見守っている。


よく、日本の肖像彫刻最高峰と言われているが、引き込まれそうな迫力と見守られている気持ちがしてくる素晴らしい像。また、当たり前かもしれないが、兄弟だけによく似ている。
北円堂は藤原不比等の一周忌に元明、元正天皇が長屋王に命じて創建させた八角堂で、今の話だけでも日本史の教科書に必ず出てくる名前の連発である。
桜も美しく咲き、こうした機会は中々無いと感動した訪問であった。(通常は公開は10月17日のみ)


3月11日を想う

2014-03-12 06:36:36 | 日記

3月11日が今年もやってきた。阪神大震災の1月17日、関東大震災の9月1日同様、日本人には忘れようにも忘れられない日である。
あれから3年、1年前のある特定の1日に何をしていたかを聞かれてもまずわからないが、3年前の3月11日は朝から曇天で気温は今日のように寒かったことを鮮明に思い出す。当時は前の職場にいて、午後1時からの支店とある顧客への取引方針に関する会議を行い、ようやく終えて自席に戻り、ホッとしたところで大きく揺れた。それも今まであまり経験したことのない長い揺れで、正直くるものが来たなと思った。しかし、まさか東北地方にあれだけの被害を与える津波が起きるとは、そして、福島の原発が再起不能な状態になるとは全く想像だにしなかった。エレベーターは止まり、お台場には煙が立ち上り、非常用の食料と水を配った。夜9時になり、地下鉄銀座線運転再開の報を聞き、Iくんと歩いて家路を急いだ際にその寒さに震え、表参道にこれほどの車列を見たこともなく、本当に何が起こったのかわからない恐怖を感じた。

今日、町をあるくと普段とあまり変わらない風景の中に弔意を表す国旗掲揚、これは大喪の礼以来の半旗であった。さらに江戸橋を通るとカモメが一斉に海に向かい、40羽ほどが整列している。

あたかも海に向かって弔意を示すように。ブログなど書いている場合ではないかもしれないが、被害に遭われた皆様に小生も心から弔意を示すこととしたい。