かぶれの世界(新)

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名古屋・日間賀島の気まま旅(3)

2023-12-06 18:01:40 | 旅行記
名古屋城の大きさに圧倒された後、家族揃って名鉄に乗って知多半島を南下し、30分余りで半田市を通り過ぎるまでずっと家並みが続いた。窓から見える景色は新宿から京王線で高尾に行く時の風景のような印象、言い換えると名古屋への通勤圏内にあるのだろうと思った。

しかし、行先は高尾山ではなく三河湾に繋がる河和港だ。河和駅から徒歩数分の河和港から満員の高速艇で3時過ぎに日間賀島西港に到着した。送迎車でいささかくたびれた海沿いのホテルにチェックインし、部屋に落ち着き荷物を整理し落ち着くと南向きの窓から見た三河湾が美しかった。

4時過ぎの夕焼けで赤く染まり始めた三河湾に浮かぶ篠島とその後方に控える渥美半島は素晴らしかった。部屋一杯に取り付けられた大きな窓からスマホを取り出し写真を撮った。下方に海岸沿いの遊歩道が見えた。1日中歩いて疲れ気味だったが部屋でくつろぐ家族をおいて散歩に出た。

遊歩道は島を一周出来る作りのようだったが、5キロを歩き通す自信はなく美しい夕焼けの海岸を追っかけるように歩いた。何人もの観光客らしき人達とすれ違い、やがて西港に着きその横の島では珍しい砂浜に出た。そこから北上すると直ぐ北港に出ると、北港の対岸に知多半島の南端に近いところに高層ビルが見えた。そこで、やや薄暗くなって折り返すことにした。

帰りの遊歩道から砂浜に突き出して建てられた展望台があった。遊歩道から見た展望台に立つアベックの影が、水平線上の細長い帯状の雲と夕焼けに重なった姿は美しかった。ついつい私は若い二人に声をかけ顔を写さないから写真を撮らせてくれと頼んだ。

彼等は撮った写真を見せてくれと言い、気持ち良く了解してくれた。1枚は夕焼けを前に立つ二人の膝から上の後ろ姿、2枚目は夕焼けの一部のように風景に溶け込む二人の影を撮った。この写真を見せると二人は綺麗だと喜んでくれ、その後何処から来たのか等と暫く雑談をして別れた。どこでも溶け込んで馴れ馴れしくする私を見て、彼等は最初私を島の住民だと思ったようだ。

5時過ぎにホテルに戻るとすっかり日が暮れていたが、私が激賞したからか息子も散歩に出かけた。彼が撮った濃暗い夕焼けの中で篠島の灯りが海に映える写真も美しかった。その後大風呂に入り気持ち良くなったところで、人生で何番目かに入る美味しい魚料理を頂いた。

最初に口に入れたブリ・タイ・エビ等の刺身が新鮮で口に入れた瞬間美味しいと声が出た。その後小鯛の煮物、大きなタコ足の煮物、エビの天ぷら、タコ飯からローストビーフまでが々と出てきた。その他にカニのお吸い物とか酢の物など幾つかの小皿にシラスや漬物などに加えデザートの果物もあった。お昼にブドウパンだけで夕食に備えたのに食べ切れなかった。

翌朝、今度は家内が朝食前に海沿いの遊歩道を東に歩きに出た。私は疲れ気味でその気になれなかったが、窓から見える朝焼けが余りに美しく暫らくしてホテルを出て追いかけた。私が遊歩道を歩き始めた頃には日が昇り始めていたが、朝焼けも夕焼けに負けない美しさだと思った。故郷の双海町が自称する日本一美しい夕焼けを思い出したが、日間賀島の朝夕焼けも負けない美しさだった。■
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名古屋・日間賀島の気まま旅(2)

2023-12-05 18:12:58 | 旅行記
新幹線で名古屋に到着すると、先ず市内観光ルートを巡るバス(メーグル)で「トヨタ産業技術記念館」を見学した。我が国の産業革命に貢献した豊田自動織機と自動車開発を記録を展示で、驚いたのはIT関連の仕事をする息子や私ではなくこの記念館訪問は家内の希望だったと聞いた時だ。彼女は幼かった子供達を連れて全国の博物館や記念館、原爆ドームなどに行ってくれた。

次に名古屋城の見学に向かった。入場前に家内と息子は名古屋名物の「ひつまぶし」を食べようと隣接するレストラン街の店の長い列に並んだ。私は今回旅行の最大の目的である「日間賀島の魚料理」を夜に備え、昼食は軽く「きしめん」で済ませる積りだったがどの店も長い列で諦めた。

近くのベンチで前日スーパーで買った北海道産のブドウパンを食べ二人を待ったが、小一時間たっても連絡がなかった。メールで断わり単独で名古屋城見学をすることにした。正門を入ると左手に美しい天守閣が見え、左折して小天守閣の横を通り天守閣に近づくとその大きさに圧倒された。

私の故郷の四国大洲城や松山城とか親戚のある長野の松本城と比べ、初めて目にした名古屋城の大きさに驚き圧倒された。途中で若い女の子が天守閣をバックにファンのプラスチック製男性モデルを掲げて写真を撮ろうと苦闘しているのを見て、私は性格上ほっておけず声をかけスマホの写真を撮ってあげた。彼女は写真を見て凄く感謝してくれた。

暫らく歩き天守閣に最接近し裏門(通称不明門という)から見上げて写真を撮った。私のスマホカメラでは天守閣が入りきらず、改めて名古屋城の大きさに圧倒された。そこから先は工事中で東門に近づくと、知多半島に向かう電車に間に合わなくなるので早く戻れと家内から電話が入った。

彼等は食事が長引き名古屋城見学は諦めたらしい。ひつまぶしは名古屋城に勝ったようだ。私は本丸に入る門を横目に急ぎ足で正門を通り抜けると、息子と家内が表通りで手を振って待っていた。バスの時間が無くなったのでタクシーを拾って名鉄名古屋駅まで急いだ。

我が家の今回旅行の目玉は「日間賀島の魚料理」であり、次に振り返ると私的には名古屋城だったと思う。後から聞くと名古屋市民の一番人気は、名古屋城ではなく「名古屋港水族館」なのだそうだ。子供を連れて市民が家族揃って出かけて楽しむのならお城より水族館なのだと思った。

だが、例えば東京都民なら鴨川に行けばイルカショーやベルーガを見ることが出来るので、名古屋に行きわざわざ水族館に行かないと思う。と言いながら我々も翌日帰京する前に水族館を見学してショーを楽しんだ。10年前頃に行った鴨川とは違いショーは動物保護の工夫があった様に思う。■
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名古屋・日間賀島の気まま旅(1)

2023-12-04 17:06:18 | 旅行記
私が帰郷中に家内と息子が建てたプランに従って、名古屋から知多半島を経由して日間賀島を巡る週末旅行をして来た。ここ10年は家内と息子がピックアップしたパック旅行に私が参加する形で、旅行会社のプランとガイドの解説に頼る気楽な旅を楽しんだ。今回も家族のたてたプランだが、今迄とは違ってガイド抜きで新幹線とホテルの予約以外はフリーで途中で変更が続く旅だった。

パック旅行は次から次へと計画に従って名所旧跡を訪問し忙しかったが、今度の旅は美味しい魚料理を落ち着いてゆっくり食べることを優先したという。その上で知多半島辺りに行ってみたいという息子の希望を基に、旅行会社に乗り物とホテルをアレンジして貰ったという。

謂わばオーダーメイドのパック旅行で、土曜日の早朝に発って9時過ぎに名古屋に着き市内観光し、
3時過ぎに知多半島南端の南知多町河和(こうわ)港から高速艇で日間賀島の西港に渡った。日間賀島は1周5キロに人口1800人もいるタコが名物の小島で、観光客に人気の離島だという。

ホテルに荷物を下ろし北港まで美しい夕焼けの海岸線を約4キロ余りを歩いた。途中何人もの散歩中人達に出会った。宿に戻り入浴後、久方振りに浴衣姿で美味しい魚料理を頂いた。翌日の早朝にはこれまた美しい朝焼けの海岸線を東側に歩いた。美味しい魚料理に美しい朝焼けと夕焼けが日間賀島の売りであり、今回の旅行の目標をほぼ達成した。

ホテルをチェックアウト後、港でお土産を買い9時半ば発の高速艇で河和駅から電車を乗り継いで名古屋港に隣接する水族館に行き、イルカやシャチのショー等を見学した。その後名古屋駅に戻り満員のカフェで一休みし、新幹線で帰京8時半ばに自宅に戻った。

以上が旅行の粗筋だが新幹線とホテル以外は計画のない行き当たりばったりだった。この計画なしの旅が後期高齢者には想定外の疲れをもたらし、ガイド付きのパック旅行の有難さを身に染みて感じた。次回からその他にも気の付いたことをこれまた行き当たりばったりで報告したい。■
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飛騨高山・白川郷・香嵐渓パック旅行記(5)エピローグ

2022-11-28 18:39:36 | 旅行記
私にとって最大の事故は、旅行が終わった翌日にやって来た。腿の前側の筋肉(大腿四頭筋)が凄く痛いのだ。旅行の2日目も若干の違和感があったが、自宅に戻った翌日から二日目あたりから痛みは酷くなった。理由は白川郷の展望台を全力で登ったからだと直ぐにわかった。

一緒に登った息子は「これくらいで筋肉痛になるなら、雲取山登山は無理だね!」とシラっと言われた時に内心ショックを受けた。田舎にいる時に週に二度三度と山裾歩きをして来て十分鍛えてきた積りだった。加えて週2回はバドミントン練習に参加して来た。

最初に思いついた原因は、個人差はあるがある年齢に達すると年々体力の明らかな劣化を実感するようになると聞いたからだ。家内の兄は80を過ぎてからそうなったと聞いた。今年私は後期高齢者になった。その可能性を考えた時とても嫌な感じを受けた。

もう一つの可能性は、普段の散歩や山歩きは主に腿の後ろ側の筋肉(大腿二頭筋、所謂ハムストリング)を使い鍛えられていたが、腿の前側はそうでもなかった。その兆候は「段差のない床や道でも最近躓くことが増えた」ことではなかったかと推測する。

そうだとすれば、腿を上げて歩き走る、或いは坂道や階段を登る、といったやや強めの訓練を普段からやれば大腿四頭筋が鍛えられる。典型的な老化現象である「平坦な場所で躓く」を防ぎ大腿四頭筋を鍛え、孫と百名山クラスの山登りをチャレンジできるのではないかと願う。

最大の事故はパック旅行がくれた重要なメッセージだったと思う。今日の買い物は大股で歩いてみたが、前方の若者は普通の歩き方で私より早かった。先は遠い。今回のパック旅行で訪れた紅葉も悪くなかったが、大腿四頭筋が元気づけられ一番喜んでいるかもしれない。■
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飛騨高山・白川郷・香嵐渓パック旅行記(4)

2022-11-27 11:26:24 | 旅行記
香嵐渓から諏訪湖に向かう三州街道(153号線)は、道路工事が多かった往路の野菊街道(158号線)とは違い普通に整備されていた。峡谷に沿った道を走った印象はなかった。ガスが出てきたせいか夕闇が早く迫ってきて、4時頃には山腹の集落の様子が見えなくなった。

それまでは沿線の放棄された様子の家や田畑を見て、隣席の中年女性と観光旅行には場違いな話が弾んだ。郷里の田舎では女性が出て行き男だけ残った集落とか、50年前に東京に出た私が相続した田畑や山林の厳しい管理状況を紹介し、彼女も実兄の同様な苦労を見たと言い話は続いた。

気を付けて彼女の単独旅行の訳を聞かなかったが、後から家内に話すとそんなの当たり前だと言い放った。何故か窓からの景色が霧で見えなくなった瞬間から話が途切れた。親しく会話が出来たのは、私がいない時に彼女に「話し相手になってくれて有難う」と言ってからと家内は言う!?

事件は一度ならず起こった。諏訪湖SAに下りた時スマホがポケットにないと気付き、慌ててバスに戻り座席を調べたが見当たらなかった。直ぐにSA内まで歩いた道を辿ったが、店内で家内に出会い落し物の店内放送があったと告げられた。直ぐに係の窓口に行きスマホは無事戻って来た。

文字通り真っ青になったが、幸運にも誰かが拾って直ぐサービス窓口に届けてくれ、バスの停車時間内に間に合った。たった10分かそこらの出来事だった。他にも小原四季桜公園で手袋を片っぽ無くしたが、茅野駅に着いた時後方の席の客が見つけてくれた。だが、三度目が翌日起きた。

一言付け加えると、香嵐渓で昼食に食べた出店のソバは正直言って全く美味しくなかった。高山で食べた高山ラーメンも美味しくなかった。美味しくないというより不味いのだ。私の味のセンサーが老化したのかも知れない。私的にはコンビニとかスーパーで軽食を買い込み旅に出るほうがましだ。例外は、ホテルで買って部屋飲みした地酒はメチャ美味しかった。■
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