かぶれの世界(新)

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ブログの権力:耐震偽装問題

2005-12-27 09:42:08 | ブログ

耐震偽装問題の初期の立役者の一人ヒューザーの小島社長が突然テレビに出なくなった。何か理由があるはずだと思っていたら、立花隆氏のインターネット記事(日経BP)がその理由らしきものを説明しているのを見つけた。

「きっこの日記」というブログが耐震偽装問題について次から次へと内部情報を暴露しているらしい。テレビで自分に都合の良い発言をすると直ぐに事実と反すると暴露記事が公表され立場を悪くするばかりと認識したかららしい。

立花氏によるとブログの主は姉歯氏に近いインサイダーらしい。筆者の「とことんやってやろう」という強い意志を感じるという。何とヒューザーのホームページも「きっこの日記」にリンクを張ったという。

米国大統領選時の誤報がキャスターの首を取ったブログの影響力を思い起こさせる。事態を変えたのは新聞でもテレビでもない、インターネットだった。国会での民主党議員の的をついた質問の種明かしはこのブログから材料を得て質問を考えたということらしい。

内部告発者は常に身分保障の危険を感じながらやむにやまれず立ち上がる。インターネットはその点匿名性が確保されており、同時に一瞬にして情報を公と共有する強力な伝達特性を備えている。ブログは今後一層内部告発の有力な手段になりそうである。

その人しか知りえない情報を発信するのは、ある種の報道かもしれない。勿論、今後影響力を逆用する悪い例も出てくる恐れも十分考えられる。

米国で大統領戦後パーソナル・ジャーナリズムとしてのブログのあり方について、確かサンフランシスコで議論が交わされ、報道と同じ規律を求められたと聞いている。これは多くのプロのジャーナリストが質の高いブログを運営しているからである。

中国政府はこの危険性を十分察知して、自国内インターネットを管理する検閲システムをマイクロソフトの手を借りて構築したというのもうなずける。

日本の場合、ブログの活用がやや矮小化されている気がする。個人報道であれば報道人としての規律を守る必要がある。しかし、ブログのジャンルは報道の範囲にとどまらないのも事実、今回の暴露記事のような場合に同じルールは当てはまらないだろう。■

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ブログの人柄

2005-12-18 17:51:28 | ブログ
ある専門調査では全世界のブログ数はこの半年間で10倍に増え1億を超えたそうだ(日経新聞)。津波やカトリーナ報道では既存メディアに先駆け世界に現地の悲惨な状況を伝えたし、メインストリーム・メディアの誤りをただし看板キャスターを辞任に追い込むまでになった。特に米国ではプロのジャーナリストが個人のブログを開設しパーソナル・ジャーナリズムと言うジャンルを確立した。

私も真似事で出来るだけ信頼できるソースとして独自の洞察で物事の評論を発信したいと思ってやってきた。ブログの種類は千差万別でそれぞれに個性が現れてくる。それがブログのいいところだ。ブログ人気ランキングがあるそうで、女優の真鍋かおりさんのブログが人気があるそうだ。彼女のウィットがあり、チラッと知性の輝きを見せ、携帯メールっぽい端的で分かりやすい文章は読んでてついつい引き込まれる。人気があって当然だ。

ところが私の文体と言えば理屈ぽくって重々しく軽快さに欠け面白くない。一度だけ「世界マッサージ紀行」がランキングにはいったと連絡をいただいたがテーマから言っても例外的である。真鍋さん風にぶつ切りの文章で軽快さを出そうと思ったが私がやると散漫になりとてもだめだった。

私は相当なプラグマティストだからいつも実利的にしか物を見ない。ブログも同じである。ところが最近ひょんなことで全く別の世界のブログを見た。色々なものに触れて筆者の心の動きを短い言葉だけど丁寧に表現して美しい芸術をみるような気持ちになった。仕事に行詰った時このブログを読んで清々しい気持ちになり又、ため息をついて現実的な仕事に戻る。

大胆にもそのサイトに投稿したくなったが、人生をやり過ぎた私が触ると毒が回って壊れるかもしれない。全く年柄にもないことを考えたもんだ、焼きが回ったかも。でも少なくとも時にはプラグマティストを止めなければ。■

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メディアの変節

2005-11-25 10:59:08 | ブログ
自民党圧勝に終わった衆院選後小泉政権の批判勢力だった評論家たちのテレビの出番が急激に減っていると嘆いている森永卓郎氏の記事を読んだ。金子慶大教授など他の反小泉評論を繰り返す人達も状況は同じだそうだ。私もなんとなく顔を見なくなったなと思っていた。

衆院選で示された民意を見てテレビはさっさと転向した。どう聞いても深みの無い受け売りの批判を繰り返していたキャスターなどは論外として、中央・地方に関らず議員・評論家の多くも転向し、自説を守った人達が取り残されている格好だ。出番が減り収入がなくなって困っている人もいるらしい。一方、転向したある評論家は出番が増えているという。

しかし評論家がテレビ出演で食っていたのなら、テレビにはその程度の節操しかないことは承知していたはずだ。小泉氏が圧倒的支持で首相になった時「朝日芸能」や「東スポ」でしか森永氏の批判は扱ってくれなかったという経験をしていたのだから。彼らには視聴率しか頭にない。

正直に言うと、私も森永氏や金子氏の政権批判はまるで昔の社会党みたいに「反対のための反対」をしているように聞こえ顔も見たくない。改革の結果が中途半端というなら、改革の足を引っ張った側の問題を取り上げより良い結果を出す提案をすべきと思うのだが、こういう人たちは改革推進側の方を非難した。

今まで誰も切り込めなかった政官財の既得権益の構造改革に反対していると見做された。民意は「向こう傷はかまわない、やってくれ」という強い意志だったのにである。それを小泉劇場だけで片付けてしまえば民意(視聴者)を馬鹿にすることになりテレビが敬遠したのである。政府の弾圧でないと森永氏も認めている。

私は民間の会社に長く勤めたが、この手の人達は批判のみ繰り返し建設的でないとして意思決定やプロジェクトから遠ざけられることが多かったように思う。時には非常に貴重な意見を言っている場合もあるのだが、理論展開が一方的でただ揚げ足取りの反論をしているように聞こえ共感を得られず無視されることが多かった。

反論に耐える敬意を受ける少数意見を貫くには人徳も必要である。今回、厳しい批判はしても目標に大きな差は無かったように思う。だとすれば転向ではなくとも反対論を形を変えて前向きに示せば人は耳を傾けてくれるようになるはずだ。その姿勢を貫けば時が経ち又出番が出てくるだろう。■


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Summer Reading 05(2)

2005-09-20 22:26:02 | ブログ
夏休み中もっと沢山本を読もうと意気込んだけれども結局竜頭蛇尾に終わってしまった。理由の一つは言い訳めいているが、衆院選が解散され総選挙に突入、同時に株式市場が上昇しインターネットに張り付いたせいである。NZのあるビジネス・スクールに留学して学位を取れないか今調べており、その一環で久しぶりに原書を読み和書より酷く効率が悪くなったせいでもある。能書きはこれまでとして夏休み後半以降に読んだ本は以下の通り。

1)ザ・コンサルティング・ファーム Jオーシア、Cマディガン 1999日経BP
エンロン、ワールドコムの粉飾決算以前に書かれたが、既にその危険性が指摘されている。

2)The Learning of Business English by N.Brieger & S.Sweeney Prentice Hall
3)The 10-Day MBA by S. Silbiger 1993 PIATKUS
10-Day MBAは上記のビジネス・スクールが入学前に読むよう勧めていた。参考になったところもあるが、この程度ならあまり教育内容は期待できない、という印象もある。

4)ITパワー 中谷巌・竹中平蔵 2000 PHP
5)村上龍料理小説集 1988集英社

6)市場と国家 田中直毅 1994 東洋経済
かなり前に書かれたにも拘らず今でも新鮮さを失わない問題の本質を突いた指摘が多い。今回の衆院選でも改革ターゲットになった官僚の問題を、当時「訓練された無能力」と指摘しているのは言いえて妙である。今日、何故言わなくなったのだろうか。市場メカニズムは相互牽制によって初めて均衡を維持するのだという指摘は改めて自分に言い聞かせたい。

7)Saving The Sun by Gillian Tett 2004 Harper Business
長銀崩壊、国有化、リップルウッド買収、新生銀行として再生を一連のドラマとして追っかけたノンフィクションもの。日本の新聞社や当事者が書いた本を何冊か読んだが、英語であってもこの本が最も判りやすい。その理由はメディアを含め村(業界)の中にいる人が常識や暗黙のルールとして当たり前と見逃していることを本質に戻り平明に解き明かしているからではないだろうか。和訳が出ているはずで、今回のお勧めである。

8)平成武士道 山川清海 1995 近代文藝社
題名に惹かれて読んだが失望。米国はキリスト教をベースにした文化であり政治プロセスである。とすれば大正・昭和時代以降、戦後の日本は何だろうというのは前々からの疑問である。私の読後感ではこの本は疑問に答えていない。

依然として沸々とした読書欲が湧いてこない。追求するテーマが最近ボヤけて来たせいかもしれない。 やっと涼しくなってきたので、旅行や外食などで気分転換して見よう。■


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私のメール利用

2005-04-10 13:10:04 | ブログ
先週1週間のメールのやり取りを整理してみた。受信292件、送信12件、合計304件のメールをやり取りした。メールの殆どが受信というのが今の私のメール活用状況を良く表している。受信メールの内98件が内外のニュース、82件が市場情報、35件が田舎にいる母の監視カメラ画像、45件がその他趣味や広告、迷惑メールが17件、私信は15件のみである。つまり殆どは情報収集のために登録したソースからのメール受信である。会社勤めの頃は送信がもっと多かった。もう一つの特徴は全体の3分の1の102通が海外の報道機関などから来る英文メールであった。

情報収集だけのためとはいえ和文英文にかかわらず平均約50通のメールを毎日チェックするのは中々大変である。さっと見て廃棄するか詳しく調べるかを判断する。たとえば市場動向についていうと、全体の動きはわかっているので変化の先行指標をいかに嗅ぎつけて先行きの予測、仮説を見直していくことにフォーカスする。しかしついつい個人的興味に向かってしまうことが多い。昨年の大統領選のときは完全にはまってしまった。最近機会がありいかに早く英文を理解する力があるか簡易テストを受け、思っているよりも理解力がないことがわかりがっかりした。わかっているつもりで、実はわかっていないことが沢山あったのではないかと思うと、私の国際的な政治経済ニュースの分析など冷や汗物である。

私信の送受信が23件あったが、いつもはこれより少ない。子供とは電話よりもメール連絡が多い、大事なことは口頭だけでなくメールで正確に残しいつでも確認できるようにしておくのは便利である。

保存したメールは27件で殆どが私信、そのほかは旅行や音楽などの趣味にかかわる情報と重要なニュースなどである。例えば昨年フセインが捕獲されたときのCNNのブレイキング・ニューズ(速報)は記念にとっている。残りの277件は廃棄した。

情報収集のため内外の報道各社にメールサービスを登録した頃から迷惑メールが多くなった。すべて英文で、先週は住宅ローン5件、薬品3件、エスコートまたはアダルト系3件、ウィルス4件であった。それでも一時期よりは減った気がする。■


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