と、先日家内と食事した娘が私のことを言ったらしい。心配してくれているのだろうが、当人は気分良くなかった。先月末に伊勢志摩旅行に行き、今月初め夫君の誕生祝で一緒に食事した時の私の様子を見て家内に(間接的に)言ったようだ。周囲の人は毎日の微妙な変化には気が付かなくても、時間をおいて見る人は的確に変化に気が付くのはよくあること。多分その通りだろう。
私自身も自分の老化については種々の定点観測点があってチェックしている。血液検査などの生化学指標だけでなく、ジムに行きウエイトトレーニングや心肺能力を測定し、ジョギングやハイキングを記録し、バドミントンゲームで練習相手と競い相対的な感覚を体感する。運動能力は徐々に劣化しているが、想定内でやむを得ないと思っている。
だが、娘の印象は大雑把に言うと、私の顔のたるみや姿勢の変化、残った頭髪が白くなったりとかいった私の見かけの変化を指しているものと思う。外観なら多少はいじることも可能だが、もしかしたら、以前に比べ同じ発言を繰り返したり、考え方にシャープさがなくなったとか怒りやすくなったとか、知的な面での劣化かもしれないと思うと気が重くなる。
まだサイクリング事故後のリハビリ中だが、先週ハイキングして脚力はまだ残っていると確認した。だが10kmジョギングはちょっと厳しかった。来年初めからバドミントン練習に参加してやっていけるかどうかが最もタフな関門になりそうだと覚悟している。先週からラケットの素振りとフットワーク練習を再開した。
ところが、4日前パソコンに向かい2時間余りデスクワークをした後立ち上がった時腰に軽い違和感を覚え、少し前かがみになり歩いたのを目ざとく見つけた家内が何事か言った。何を言ったか正確に記憶してないが意味は理解した。お爺さんぽい歩き方をしてるという指摘、私もその通りと十分理解した。慌てて背筋を伸ばし、それ以降意識して姿勢を気にするようになった。
田舎の友人に来年会った時なんて言うのか、私の変化(老化)の速度を実感する積りだ。友人が正直に言ってくれるとは思わないが、顔色などボディランゲージを読み取ってみたい。その能力にはいささか自信がある。今迄そんなこと思ったことなかったのだが、少なくとも今そう思う。
この10年母の変化を見て、人には急激に老化する時期がある、その時期は人によって異なる固有なものというのが私の教わったことだ。ここにきて排泄物の出血が継続してみられ明日医者にかかると連絡があった。気になる。父は心臓病であっという間に死んだのでその時点で老化していくプロセスが途切れたが、可能なら私は老化していく様を子供たちに見せたい。■