昼食を終わって居間でくつろいでいると、大声でしゃべる近所のオバサン達の声が聞こえて来た。時々隣の家の庭が井戸端会議場になっているので今日もそうかと思ったが、それにしては直ぐ近くで喋っている様に何時もより声高だった。不審に思って台所からサンルームに入りカーテンを開けると、何と近所のオバサン4人が我家の東屋に座り込んでお喋りしていた。
断りもしないで他人の家の庭に入り東屋に座りこんでいた。だが、以前「いつでもどうぞ」と言った覚えがある。ドアを開けて挨拶をすると賑やかな返事が返って来た。彼女達は、最近軽い脳梗塞で医者に診て貰った、裏山で転倒し背中を傷め今年の田植えを見送った、足が弱って家にこもりきりなり見かけなくなった、等々心配な噂を聞いていた80-90代の後家さんばかりだ。元気な返事が返ってきてホッとした。
最近懇意になった班長さんが昨日来て、いつもの様に特別サービスだといって長々と世間話の相手をしてくれた。彼女はこの集落に住む5人の80-90歳代の後家さんを「五人囃子」と言うんだと教えてくれた。普段の彼女達の様子を知っているので、五人囃子と聞いて誰のことか直ぐに分かった。うまい事言うもんだと思った。
東屋の4人に「五人囃子か?」とぬけぬけと聞くと、そうだと悪げもなく返事が返って来た。残りの一人は誰かと聞くと、私が会社勤めの頃に引っ越しして来た方で、顔を見れば分かるかも知れないが良く知らない人だった。そういうあだ名がついているくらいだから、多分気楽に話しできる人なのだろうと思った。
班長さんとの話は延々と続いた。10年後に生き残っている五人囃子の方は多分いない、その頃になると生きていれば僕が彼女達の年代に近づいている頃だ。まだその年齢に到達はしてないが、施設で介護を受けている可能性もある。他に誰が生き残っているのか心配、もしかしたら集落ごとなくなっているかも知れない、等々。どうにも話が陰鬱になってしまった。しかし、今日の五人囃子はあくまで元気だった。
実家で過ごす時間が増えたこの十年余りの間、こんな田舎町なのにスーパーに行くとずっと外国人を見かけるのが気になっていた。班長さんに聞くと中国やフィリピンの女性達だという。男性は見かけたことが無い。彼女がパナソニックに勤めていた頃、現場に外国人の作業者がいたという。パナソニックの工場はとっくに閉鎖したはずだがと聞くと、この辺には複数の縫製工場があって中国人の作業者が働いているという。
中国人女性がこの集落の中年独身男性と結婚して住むようになれば消滅を免れるかもしれないねと言うと、彼女は無反応だった。余り歓迎している様子ではなかったのでその話題は続けなかった。もはや手遅れかもしれない。五人囃子の後もこの集落が存続していくための道は険しい。隣の集落は親が住宅から子育てまで徹底的に支援して子供夫婦が帰って来て人口が増えたという。オバサンはそんなお金はないとすげない返事、諦めているみたいだった。■
断りもしないで他人の家の庭に入り東屋に座りこんでいた。だが、以前「いつでもどうぞ」と言った覚えがある。ドアを開けて挨拶をすると賑やかな返事が返って来た。彼女達は、最近軽い脳梗塞で医者に診て貰った、裏山で転倒し背中を傷め今年の田植えを見送った、足が弱って家にこもりきりなり見かけなくなった、等々心配な噂を聞いていた80-90代の後家さんばかりだ。元気な返事が返ってきてホッとした。
最近懇意になった班長さんが昨日来て、いつもの様に特別サービスだといって長々と世間話の相手をしてくれた。彼女はこの集落に住む5人の80-90歳代の後家さんを「五人囃子」と言うんだと教えてくれた。普段の彼女達の様子を知っているので、五人囃子と聞いて誰のことか直ぐに分かった。うまい事言うもんだと思った。
東屋の4人に「五人囃子か?」とぬけぬけと聞くと、そうだと悪げもなく返事が返って来た。残りの一人は誰かと聞くと、私が会社勤めの頃に引っ越しして来た方で、顔を見れば分かるかも知れないが良く知らない人だった。そういうあだ名がついているくらいだから、多分気楽に話しできる人なのだろうと思った。
班長さんとの話は延々と続いた。10年後に生き残っている五人囃子の方は多分いない、その頃になると生きていれば僕が彼女達の年代に近づいている頃だ。まだその年齢に到達はしてないが、施設で介護を受けている可能性もある。他に誰が生き残っているのか心配、もしかしたら集落ごとなくなっているかも知れない、等々。どうにも話が陰鬱になってしまった。しかし、今日の五人囃子はあくまで元気だった。
実家で過ごす時間が増えたこの十年余りの間、こんな田舎町なのにスーパーに行くとずっと外国人を見かけるのが気になっていた。班長さんに聞くと中国やフィリピンの女性達だという。男性は見かけたことが無い。彼女がパナソニックに勤めていた頃、現場に外国人の作業者がいたという。パナソニックの工場はとっくに閉鎖したはずだがと聞くと、この辺には複数の縫製工場があって中国人の作業者が働いているという。
中国人女性がこの集落の中年独身男性と結婚して住むようになれば消滅を免れるかもしれないねと言うと、彼女は無反応だった。余り歓迎している様子ではなかったのでその話題は続けなかった。もはや手遅れかもしれない。五人囃子の後もこの集落が存続していくための道は険しい。隣の集落は親が住宅から子育てまで徹底的に支援して子供夫婦が帰って来て人口が増えたという。オバサンはそんなお金はないとすげない返事、諦めているみたいだった。■