かぶれの世界(新)

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我が家のシェアリング・エコノミー

2019-01-18 21:40:15 | 日記・エッセイ・コラム
16年前に早期退職してから私の衣料費が激減した。最近では下着以外は殆ど子供の着古しを着ている。我家では「お下がり」の代わりに「お上がり」と呼んでいる。私はボロボロになって家内から待ったがかかるまで着る。それでも捨てないで家では着る。外出時に家族の失笑を買い、嫌がられる。

長男が我が家を出て都心で住むようになり、私に譲ってくれたトレーナーやジャージー等出身大学名の入った運動着は今も時々使っている。私はその大学と全く関係のないが気にしない。米国在住時には地元大学UWのマークの入った帽子で山歩きをした時、卒業生らしき中年男性に嫌味を言われたことがある。彼にとっては誇り高き象徴なのだろう。だが、お店で買ったもの、知ったことじゃない。

「お上がり」こそ我が家バージョンのシェアリング・エコノミーだと私は思う。家族はその話には乗らないが、私から見れば同じような節約をしている。それは子供服だ。7年前に生まれた長男の最初の子供から、3年前に生まれた長女宅で子まで、3人が順に同じ服を着てる。

昔は違った。例えば子供の頃は大きめのズボンを買い、成長に従い裾を調整して着た。調整後のズボンの裾が妙に新しく直ぐに見分けられた。子供の頃の写真を見ると足首あたりだけ妙に色がはっきりしたズボンを履いている。皆そうだったから変なズボンでも恥ずかしい思いをした記憶はない。

今はピッタリの服を買って着せるから、成長に従いどんどん子供服が増えていく。しかも祖父母などからプレゼントされる。私から見ると新品のままサイズが合わなくなってタンスの肥やしになっていく。弟がお下がりを着て、更に年下の従兄弟が着ることになる。良い習慣だと思う。

家内は一番下の子は二代続いたお下がりを着るのは可哀そうだと言うが、着れるまでずっと着ればいいじゃないかと私は思う。だが、孫達の一人でも女の子がいれば話が違ってくる。私達もそれを期待していたが、これだけは神のみぞ知るだ。

究極のシェアリング・エコノミーは子供達が小学生の頃から使っていた学習机だ。新居に移っても長男が使っていたラジカセと連携させて、私の典型的な学習机を仕事机に使っている。会社で使っていた普通の事務机より色々な仕掛けがあって、見かけ安っぽいがとても便利なのだ。■
コメント
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