大荒れの住民説明会
19日財政破綻し財政再建団体となった夕張市が開催した住民説明会が紛糾し、怒った出席者の大半が途中退席し説明会が打ち切られたと報じられた。再建計画では市職員の大幅削減、給与は全国最低レベル、高齢者へのバス運賃補助廃止は小中学校を1校に集約などサービスレベルも全国最低になるという。
説明会に出席された住民の方の怒りの発言は全国ニュースで流れ、その一端を聞くだけでも誠にお気の毒としか言いようがない。テレビに出演した評論家達は押なべて市長・議員の無茶苦茶な投資の非難と市民への同情のコメントをしていた。
鳥越氏の勇気ある指摘
主要メディアの報道は夕張市の財政規律が如何に酷かったか、第三セクター会計が市財政状況を不透明にした、無謀な観光事業への過剰投資、観光事業に市幹部の親戚など雇用し管理が杜撰だった、しかし特異な事例ではなく全国に共通する問題、770兆円の借金を抱える国の財政と同じだと指摘していた。
その中で鳥越俊太郎氏は、「住民が選んだ市長や議員がやった結果であり、住民はよくよく考えて投票し監視すべき」というような趣旨の発言をした。ポピュリスト的発言の多いテレビ・コメンテーターの中では珍しく筋の通った勇気ある発言だったが、何時もの自信に満ちたものではなくやや遠慮がちな印象があった。
集団的無責任が構造的原因
鳥越氏が指摘したような市民に責任の一端があると明確に指摘する記事は他に見つけることが出来なかった。しかし、宋文洲氏がもっと基本に戻って「赤信号皆でわたれば怖くない」式の「集団的無責任」が問題の底流にあると指摘した。
「政治家は地方に税金をばら撒くことで当選を狙い、住民は一票の権利を行使することで地元により多くの権益を要求する」、つまり北海道の高速道路や東京湾アクアラインと変わらない構造で夕張市は破綻したと。
市が市なら、市民も市民
大変お気の毒だがこうなったのは他の誰の責任でもない市民が選んだ代表者の判断と実行が起した。途中引き返す機会も何度もあったはずだが市長と議会に市の行政を任せ続けた結果である。再建団体申請前に平均75万円のボーナス支給した市も市なら、それに強硬にクレームしなかった市民にも驚く。バスの補助がなくなって初めて喚くのでは悲しい。
テレビ放送で流れた市民の声は局の考えで選んだ一部分だろうから、彼らに反省がないとは言えないが、少なくとも報道は市民を弱者としてのみ扱い、破綻が民主主義のプロセスとして住民の選択の結果であるという見せ方をしていなかった。大袈裟かもしれないが、ここに我国の民主主義が成長しない一因がある、自助精神よりもとにかく補助金を分捕るタカリの精神が醸成される土壌があると私は感じる。
国も国なら、国民も国民
安倍氏が首相就任演説で自ら給与の30%カットをすると述べたとき、彼に追随する政治家は皆無でメディアは人気取りのジェスチャーと冷淡な評価しかしなかった。安倍首相は国家財政が危機的状況にあるという認識のもとで率先垂範を示したはずなのに誰も後に続くものがなかった。多分夕張市にもこういう一瞬があったと思う。
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夕張市ほどではなくとも民間企業なら即社長の首が飛ぶ財政状態の自治体はゴマンとある。談合から裏金までスキャンダルが続いている。談合を徹底摘発していく検察の姿勢の先には「談合は日本の文化」の根絶にあるとすれば、夕張市の財政再建は民主主義における「集団的無責任」の改革と捉えるべきである。■
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