これはエピソード:郵政民営化の続編である。
アスベスト(石綿)の健康被害のニュースに接するたびに本当にがっかりする。今回始めてニュースを聞いた時わが耳を疑った。危険性は何十年も前から分かっていたはずでとっくに使用禁止になっていたものと私は思っていた。ところがアスベストに代わる安価な耐熱性物質が無いため吹き付けアスベストが禁止されただけだった。しかし専門家の間でその危険性は検証されており時限爆弾に例えていつかは問題が噴出すと認識されていた。
我国だけとは言わないがこの手の問題が多過ぎないだろうか。共通するのは業界の利益を守るため官僚が何もしない「無作為の罪」を犯し族議員が目をつぶったという構図である。彼らは供給者の視点でしかものを考えられなかった。自民党の体質改善を実効あるものにするためには平行して官の体質改善を何としても強化する必要がある。自民圧勝後は官の抵抗をどう扱うかが改革推進の鍵になった。類似事故の再発防止のためには今後官僚の幹部を政治任命するか、官の結果責任をもっと厳しく問うかどちらかをやらねばならないと考える。
官に関わらずこのような日本は何故責任を取らない国になったのだろうか。私は日本人の体質だとは思わない。第二次世界大戦後日本人が何らの総括をしなかったとき始まったと思う。高坂正尭氏の「日本人は戦争の評価裁定の責任を放棄し占領軍に任せた。それによって日本人は重い負担から逃れることができたが、責任の所在を不明確にした。指導者が責任を取る時期を間違えるとその影響はあまりにも大きい。その後に上下両すくみで誰も引責しない一種の無責任体制が日本に生まれた。」(抜粋を意訳)という指摘を私は支持する。あわせて先日紹介した田中直毅氏のいう官僚の「訓練された無能力」的サボタージュが遺伝子に組み込まれたのかもしれない。
戦前から「長いものには巻かれろ」とか「泣く子と代官には勝てない」という言葉の通り権威に弱い体質がある一方で、戦国時代の下克上や西国大名の下級武士が明治維新を断行した時代もある。長い時代の中で日本人の意識を一つにステレオタイプ化して語ることは出来ないと思う。戦後60年経って私は今新たな変化を感じる。私達団塊の世代はトップの号令の元に一心不乱に猛烈に働き評価された幸運な世代だったが、今は個人の価値観をしっかりもたないと雪印や三菱自動車のようにトップの不祥事に巻き込まれる時代になった。一方で若い経営者のIT企業が古い企業を飲み込み結果リストラされる社員だって出ておかしくない時代になった。明らかに大きな意識の変化が始まっている。
不思議なことにそれは長く右派といわれる人達の発言からも感じ取れる。最近中曽根元首相は戦争責任者を靖国から分祀すべきといい、石原都知事も同様なことを明言している。小泉首相自身靖国神社参拝するもののA級戦犯とは分けていることを明確にしている。彼らは一部議員が主張している数百万の兵士が死んだ戦争責任が誰にも無いというような発言は決してしていない。責任を明確にしないでは新しい時代に向かう体制が出来ないという認識があるのだと考える。今日この状況から官が最も取り残され我国にとってトータルでマイナスの存在になっていると国民から認識され始め、官に結果責任を徹底させる時期が来たと私は考える。■
アスベスト(石綿)の健康被害のニュースに接するたびに本当にがっかりする。今回始めてニュースを聞いた時わが耳を疑った。危険性は何十年も前から分かっていたはずでとっくに使用禁止になっていたものと私は思っていた。ところがアスベストに代わる安価な耐熱性物質が無いため吹き付けアスベストが禁止されただけだった。しかし専門家の間でその危険性は検証されており時限爆弾に例えていつかは問題が噴出すと認識されていた。
我国だけとは言わないがこの手の問題が多過ぎないだろうか。共通するのは業界の利益を守るため官僚が何もしない「無作為の罪」を犯し族議員が目をつぶったという構図である。彼らは供給者の視点でしかものを考えられなかった。自民党の体質改善を実効あるものにするためには平行して官の体質改善を何としても強化する必要がある。自民圧勝後は官の抵抗をどう扱うかが改革推進の鍵になった。類似事故の再発防止のためには今後官僚の幹部を政治任命するか、官の結果責任をもっと厳しく問うかどちらかをやらねばならないと考える。
官に関わらずこのような日本は何故責任を取らない国になったのだろうか。私は日本人の体質だとは思わない。第二次世界大戦後日本人が何らの総括をしなかったとき始まったと思う。高坂正尭氏の「日本人は戦争の評価裁定の責任を放棄し占領軍に任せた。それによって日本人は重い負担から逃れることができたが、責任の所在を不明確にした。指導者が責任を取る時期を間違えるとその影響はあまりにも大きい。その後に上下両すくみで誰も引責しない一種の無責任体制が日本に生まれた。」(抜粋を意訳)という指摘を私は支持する。あわせて先日紹介した田中直毅氏のいう官僚の「訓練された無能力」的サボタージュが遺伝子に組み込まれたのかもしれない。
戦前から「長いものには巻かれろ」とか「泣く子と代官には勝てない」という言葉の通り権威に弱い体質がある一方で、戦国時代の下克上や西国大名の下級武士が明治維新を断行した時代もある。長い時代の中で日本人の意識を一つにステレオタイプ化して語ることは出来ないと思う。戦後60年経って私は今新たな変化を感じる。私達団塊の世代はトップの号令の元に一心不乱に猛烈に働き評価された幸運な世代だったが、今は個人の価値観をしっかりもたないと雪印や三菱自動車のようにトップの不祥事に巻き込まれる時代になった。一方で若い経営者のIT企業が古い企業を飲み込み結果リストラされる社員だって出ておかしくない時代になった。明らかに大きな意識の変化が始まっている。
不思議なことにそれは長く右派といわれる人達の発言からも感じ取れる。最近中曽根元首相は戦争責任者を靖国から分祀すべきといい、石原都知事も同様なことを明言している。小泉首相自身靖国神社参拝するもののA級戦犯とは分けていることを明確にしている。彼らは一部議員が主張している数百万の兵士が死んだ戦争責任が誰にも無いというような発言は決してしていない。責任を明確にしないでは新しい時代に向かう体制が出来ないという認識があるのだと考える。今日この状況から官が最も取り残され我国にとってトータルでマイナスの存在になっていると国民から認識され始め、官に結果責任を徹底させる時期が来たと私は考える。■
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