かぶれの世界(新)

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東京郊外の風景2020(2)

2020-12-25 21:09:55 | 日記・エッセイ・コラム
四国の実家から東京に戻り早くも1カ月経ち、独居老人から家族との生活に慣れた。だが、毎日多摩川沿いと自宅周辺との散歩も飽きてきた。田舎ではまった山裾歩きが懐かしくなった。自宅から近い山らしき所は多摩丘陵だが、それでも多摩川を渡って行かねばならずちょっと遠い。

1週間前に思い切って行ける所まで行ってみようという気持ちになった。朝食後落ち着いたところで「富士見の崖」から富士山が見えるのを確認し、府中本町駅から競馬場に続く陸橋を経由して府中街道を通り関戸橋に出た。関戸橋から見える富士山も変わらず霞んで灰色だった。

50年以上関戸橋を歩いて渡った記憶がない。右手に富士山を見ながら長い橋を渡り始めると、前方に見慣れない風景があった。かつては橋を渡ると府中街道は左にカーブし、JR南武線と交差する踏切があったはずだ。ところが道は直進しその先の多摩丘陵の上に高層ビルがそびえていた。

道路標識によると前方に見えるビル群は「向陽台」と言うらしい。手前にアーチ型の陸橋があり南武線がその橋を走っていることに気づいた。さらにその先に府中街道が川崎街道に合流する交差点が見えた。左手に陸橋と接続する新しい南多摩駅が見えた。

実はこういう風景全体を理解する間にかなりの時間がかかった。橋を渡り高架橋をくぐり川崎街道と交差するまでに徐々に何が起こったか理解していった。通りすがりの女性によると昨年工事が終わったと聞き初めて全体像が見えて来た。新しい町ができた感じを受けた。

遠方に見える向陽台のビルを見て山歩きする意欲を失い引き返した。関戸橋を渡り帰る途中から見た府中市の風景も一変していた。多摩川沿いにビルが林立し真正面に競馬場が見える風景は、見覚えがない知らない街の様に見えた。橋を渡り川沿いに上流に向かって歩き、遊歩道を辿って帰宅した。

その数日後から急に寒い日が続いた。最寄りのスーパーに買い物に行くのにもダウンジャケットとコートで重装備して出かけた。すると前方にプリーツスカート姿のJKが寒そうに歩いていた。「寒いね、コート着ちゃダメなの」と聞くと頷いた。「酷いね。そりゃー、ハラスメントだよ、言っちゃいな」と返すと下を向いて笑っていた。憧れのJKと短い会話で気が合ったと嬉しくなった。

家内が職場で頂いたという梅肉のオハジキ大の煎餅を口が寂しくて食べた。しょっぱいけど癖になって幾つか食べると翌日から便が柔らかくなった。気にせず続けて食べると3日目の朝洗濯物干しの途中に催してトイレに急いだが間に合わなかった。全く止まらず、思い切りやってしまった。

それではと1日おいてもう一つ頂き物の青汁を牛乳に溶かして温めて飲んだ。トイレが間に合わないという自体にはならないが、それからほぼ1週間便は柔らかいままだ。青汁効果なんて聞いたことがない。腸に少しでも消化物が溜まると直ぐに催す、便秘対策には良いかもしれない。

昨日までの府中市のコロナ感染者累計は495人、毎日7-8人のペースで感染者州が増えている。もう驚かなくなった。ネットで調べると実家のある大洲市は今日までの累計4人だそうだ。1か月前に帰京する前は0人だった。全国的な感染の広がりは実家も例外ではないようだ。■

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