かぶれの世界(新)

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まさかの坂ー混迷の米大統領選

2019-10-13 21:48:30 | ニュース
小泉元首相の名セリフ「人生には三つの坂がある、・・・三つ目はまさかの坂」が来年起こりそうだ。それは2020年米国大統領選がどっちに転んでも、私的には「まさかの坂」になることだ。それはここに来てトランプが軍事支援をダシにウクライナのゼレンスキー大統領に民主党のバイデン氏の息子の醜聞を調べろと迫り、選挙戦の情勢が一転したからだ。

米大統領選2020は1か月前には想像もしなかった展開となった。トランプ大統領が再選するために何でもやるのは想定済みだった。だが、民主党が下院で弾劾調査を開始して以来、皮肉なことに民主党の大統領候補の最有力候補だったバイデン元副大統領に代わり、社会主義者と言われるウォーレン女史が支持率トップに躍り出た。両者とも大統領に値しない行為だった。

戦いは極右のトランプ現大統領と極左のウォーレン女史になる可能性が出て来た。バイデン氏は所謂中道派と言われ民主党の候補になれば、左派から右派の一部迄幅広い支持を得てトランプに勝つ可能性があると言われていた。私も消極的支持していた。長い政治キャリアの中でスキャンダルの一つ二つあるかも知れないが、トランプに比べればどおってことない、と思っていた。

ただ政策面で言うとどうだろうか。トランプ氏は人間性とか知性という面では全く大統領に値せず個人的にも大嫌いだ。だが、彼が実行した政策は動機はともあれ歴代の大統領が出来なかったことを断行した。特に中国が今のまま巨大化し世界を牛耳るのに待ったをかけたのは評価できる。不公平な経済政策、力で新興国をねじ伏せ、ウィグル族弾圧など国内政治に声をあげた。

一方、ウォーレン女史は元大学教授のバリバリの極左代表と私は思っていた。もし民主党大統領候補になったら中道の支持を得られず選挙に勝てないだろうと見做されていた。しかも、同じような政策を主張するバーニー・サンダース議員と支持を分け合っていた。とこらがサンダース氏が高齢で健康面で不安になったと同時にバイデン氏の醜聞が出て来たという運にも恵まれた訳だ。

更には、トランプ時代に景気拡大したが現実には広がった格差是正をメインテーマにして、大企業への減税見直し、これによって確保した財源で国民皆保険や大学無償化を訴え、左派から中流階級の穏健派にも共感が広がりつつある。最近の世論調査では彼女の支持がバイデン氏を抜き、弾劾調査の進展によってはバイデン氏を抜いて民主党の大統領候補になる可能性が出て来た。

彼女は自からを「資本主義者」と主張し、「社会主義者」を名乗るサンダース氏に比べ、穏健派の支持を得やすいポジションを取っているのも有利に働くとみられている。トランプ大統領が今後何をするか私には予想がつかないが、弾劾調査の進展で悪あがきするような事態になれば、ウォーレン候補に勝つチャンスが出て来る現実味がまさかの「まさかの坂」になって来たように感じる。

だが、個人的には複雑な気持ちだ。前にも投稿したようにトランプ大統領の自国第一の経済政策が、トータルすると私の資産運用にプラスになっている。もし、民主党候補が勝ってマーケットがスローダウンしたら困るというのが正直な気持ちだ。民主党でも過去クリントン大統領は経済最優先を主張して勝った。ついにヒラリーの出番が来た、という冗談が真実味を帯びて来たから不思議!?■
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台風と竹内まりや

2019-10-12 11:58:54 | 音楽
竹内まりやは台風と何ら関係ない。私が台風19号と腰痛で何もすることが出来なくなり、竹内まりやを聴いて感傷的になり思い出にふけったという、どうでもいい話だ。

腰痛が再発して木金のバドミントンの練習を休んだ。原因は72才になったのに始めると歯止めが利かなくなる懲りない性格で、ついついトレーニングをやり過ぎた為だ。一昨日はハードなトレーニングは避けたが、それでも万歩計が1万歩を指していて腰痛は良くならなかった。

もう動くなということだ。昨日は庭より外に一度も出なかった。築100年以上の農家と庭の隅々を動き回ったが、万歩計は5千歩余りだった。時間潰しに書斎でテレビや新聞の台風19号のニュースを見るのに飽きて、数日前に録画した竹内まりやが40曲を歌うNHKの特番を見た。

2003年に早期退職後に母の介護の為に、実家をバリアフリー化し監視カメラを設置した。同時に長期間田舎にいる日に備え、2階の全室を改修して書斎や客室等を作った。書斎にはネット環境を整え100インチスクリーンとビデオアンプを設置し、映画やコンサートを5チャンネルで楽しめるようにした。最近は滅多に見なくなったが、竹内まりやは臨場感のある大スクリーンで見たかった。

退職して数年後に竹内まりやが「人生の扉」を出して新境地を開き、それを機会に私は遅咲きのファンになった。年令を重ねて残りの人生をどう生きるかみたいな歌詞と彼女の歌い方が退職した私にピッタリ嵌った。後半の英語の歌詞が気に入り、当時ネットで知り合ったシラキュース市の病院の看護婦長にYouTubeで紹介したこともある。一度で最後のことだ。

それまで彼女は歌は60年代の米国のヒットチャートを賑わしたコニー・フランシス日本版みたいな印象があった。歌は上手いが若者向けのチャラい曲という印象があった。その頃結婚した娘の夫君が話を聞いて竹内まりやのアルバムをプレゼントしてくれた。何度かそのアルバムを聞くと30年以上前に作られたのに単に懐かしいというより、新鮮に感じる部分がありファンになった。

そして、今日特番を見て何故彼女の曲が未だに新鮮な印象を与えるのか夫君の山下達郎の説明を聞いた。彼女は自分の特徴を脇に置いて、依頼された歌手の特徴を生かす曲作りをした。加えて時々の時代が求める流行り歌に左右されず、音楽道の真中を歩く曲作りをしたという。説得力があった。多分それが私が遅咲きの竹内まりやファンになった理由だと思う。

番組では彼女の曲が年代順に紹介された。初期の歌い方は2000年以降のコンサートで紹介された曲より下手くそに聞こえた。当時の録音技術が拙かったせいだけではないように思う。年令を重ねると共に単に歌の上手さに加え、彼女の音楽観が歌に深み与えたのではないかと素人なりに感じた。

そしてもう一つ気付いた。彼女は60台半ばで、私とそう違わない年令だった。だが、特番で見た彼女は年令よりずっと若々しく見えた一方、しっかりした考え方をする人だった。哲学があった。彼女の属する音楽の世界に限っての話だが、比べて私の世界観の何と狭い事かと思い知らされた。台風さんありがとう。■
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Liイオン電池の私的思い出

2019-10-10 16:54:39 | ニュース
吉野彰氏のノーベル賞受賞は専門家の間では予想されていたという。私もこの数年雑誌等で識者の予想する声を読んだことがある。実はLiイオン電池は私のキャリアの中で特別の思い出がある技術だ。私がコンピューター技術者の夢を求めて約20年IT企業で働き、管理者の道を歩き始めた頃に東芝からDynabookが発売され、後にノートパソコンの世界的な競争が開始された。

その頃はニッカド電池が使われ、暫くしてニッケル水素電池、そして今日まで続くLiイオン電池の導入され、ノートパソコンのバッテリー持続時間は重要な製品の競争要因だった。バッテリー技術が変わる度に先頭が変わる競争の時代だった。私は商品の全部品を技術評価し認定する技術責任者だった。当時我国最大の部品購入の技術認定をする部門と言われた。実は私の役割は部下の報告を受けて部品メーカーの接待を受ける事だった。

コンピューター中枢の計算・制御処理には詳しかったが、それ以外の部品は夫々の専門技術者の判断に委ねた。某競合社のパソコンが火を噴いたニュースに直面し、我社は大丈夫だと3日以内に応えろと営業部門に迫られた。私には本当に面倒な部品だった。「バッテリーは1/0の世界じゃないですよ、アナログな化学の世界なんだから」と担当課長から素人の私に念押しされた。

Liイオン電池が実用化された頃は発火事件が続発した記憶がある。ノートパソコンに代わり主役になる携帯電話でも発火し顧客がヤケドし、米国を始め航空機にLiイオン電池を使用した携帯機器の持ち込みが一時禁止された。幸いというか、幹部は2-3年毎に人事移動する慣行で私は担当を外れていた記憶がある。勿論、これら発火事故は発明を利用した商品設計の問題だった。

ニュースでノーベル賞受賞を知らせる吉野氏の顔を見た時、彼が随分老けて見えたが私の方が1歳年上だった。彼が81年に研究にとりかかったと報じられ、その1年後に私がノートパソコンを手掛ける部門に移動したのを思い出した。全くレベルが異なる話だが、Liイオン電池の基本を発明した男とそれを利用して商品開発した男が同じ時代に生きたと、田舎で一人感慨にふけった。

それにしても、私も吉野氏みたいなジーサン顔なのかと思うと嬉しくなかった。髪の毛は私の方が少し多いかも。それに比べて奥さんは若々しい。そんなもんかい?■
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超新米を頂く!

2019-10-09 22:09:49 | 日記
3日前に地区の元班長が、採り入れ後すぐに搗いたという新米をくれた。「ニコマル」5合をお裾分けだと言う。数日前に彼がトラクターの整備をしている姿を見ていたので正に採り入れ直後の「超新米」だ。昔と違って取入れ後田んぼにつるして乾燥せず、機械乾燥するのであっという間だ。

翌日いつもの朝食を済ませて早速頂いたお米を炊いた。通常は2時間前にお米を研ぎ、電気炊飯器の目盛りより少な目の4.8合位の水で炊く。今回は新米なので更にやや少なめにした。それでも超新米には水分が多く、炊きあがったご飯は柔らか過ぎた。だが、それでも米粒は美味しかった。

直ぐに保温ジャーに移して翌日までほぼ1日間水分を飛ばすと、私の好みの硬さになった。その旨彼に伝えると取り入れたばかりの新米なので、2時間置かないで直ぐに炊く(彼は直炊きと言った)方が良い、出来れば火力の強いガス炊飯器の方が良いと助言してくれた。

話はこれで終わらなかった。翌日今度は別の新米「秋田小町」を炊いて「ちらし寿司」を作り折りに入れて持ってきてくれた。私の好みより更に固めの炊き上がりで粒が美味しかった。私は昼食にご飯を少量(120g)食べるだけ、残りは冷蔵庫の冷凍室へ。食べきれないご飯が全ての空きスペースを埋め尽くした。食事メニューを見直してご飯の消費を早めようと思っている。

何かお返ししなくちゃまずいと思ったが、その為に買い物をすると彼はそんな積りじゃないと気分を害する。幸いポン友から貰ったお土産の和菓子があったので、頂き物の残りだと言ってお返し出来た。元々「天性の気が利かない男」にとってはまだ身に付いてない業務慣行だ。

田舎で近所の人達とのお付き合いが深まるにつれ、こういうやり取りが増えてきた。今日は今日で以前紹介したアマチアカメラマン氏からカボチャを頂いた。近くのオバちゃんには好物の柿をしょっちゅう頂く。田舎生活の潤滑油として彼等にもお返ししないといけないと思っている。■
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激痛台風去る

2019-10-09 09:31:03 | 健康・病気
昨日朝起きると前夜襲ってきた虫歯の激痛は去っていた。まるで一晩たつと北に抜ける台風と同じだった。だが、余りにも前夜の痛みが酷かったので、何時痛みがぶり返すか恐る恐る1日を過した。虫歯を刺激しないよう固いものは予め細かく切り、冷たいものを避け、ゆっくり噛んで食べた。

そして、何事も起こらず1日が過ぎ、無事に2日目を迎えた。朝の血圧は痛みの大きさに比例して131-87に下がった。原因の一つだと疑った安物の赤ワインとワレセンは推定有罪でストッカーに放り込んだ。歯の治療が全て終わってからもう一度トライしてみようと思う。

昨日朝一番の排尿が薄赤かったのは痛み止め(ボルタレン錠)の説明書きに、血尿を伴う副作用があるとあった。私の場合も血尿だったと思われる。ということは我慢できる限り痛み止め使用は避けるべきなんだろうと推測した。とにもかくにも台風は抜けて行った。後は再発防止だ。■
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