かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感2021(1)

2021-04-21 20:38:41 | 日記・エッセイ・コラム
いよいよ2021年の田舎暮らしが始まった。あと何年続くかどうか自分自身に問いかけ、今回初めてそう長くは続かないかもと思った。帰途の旅はとても楽しかったが、当座の食料を仕入れて薄暮の堤防の散歩道を歩き、雑草と庭木に埋もれそうな実家を見た時は心が沈んだ。

前日に宅急便の配送時刻を6-8時指定したが、自宅に着いた時は6時過ぎで6時1分に配送とのメモがあった。途中でスーパーに立ち寄ったのがマズかった。電話すると6時以降は再配送受け付けないといわれて翌朝に配送を依頼した。昔農家の広い家の中は寒々として悪い予感がした。

各部屋の電気やガス、テレビ・ネットから時計等は何とかなった。何台ものリモコンのバッテリー切れがあったが補充品で間に合った。そのあと1階の居間で炬燵に入りスーパーで買った5貫の寿司パックにお茶で落ち着いた。シャワーを浴び、ネットやテレビを見てリラックスし落ち着いた。寒さに備えベッドの敷きパットを二重に重ね、秋冬用の厚めの布団で寝た。

だが、それでも寒くて眠れず深夜に客室の毛布を引っ張り出して布団に重ねてやっと眠れた。昨朝7時過ぎに起きて温度計をチェックすると11.6度しかない、前日同じ時刻の東京自宅は約22度だった。老人の身体にとって10度の温度差を直ちに調整する柔軟性は失われていた。

依頼した宅急便を受け取るまでは家を離れられないので、朝食後作業着に着替え雑草に覆われた庭の手入れをしながら宅急便を待った。腰まで延びた雑草は手で根ごと引き抜く必要があった。ちょっとしたコツがある。9時過ぎに荷物を受け取ったが、一旦庭仕事を始めるともう止まらなかった。

やり過ぎて腰痛の再発を恐れたが、結果的に昼迄やってしまった。途中で止めて続きを別の日にやると、二度洗濯することになり面倒だ。シャワーで汗を流し、その間に旅着も作業着も一緒に洗濯した。昼食は冷凍庫に保存していた激辛担々麺にサラダとスープ、それに旅行中の菓子類とコーヒー。メチャメチャな組み合わせだが、食物なら何でもいいのが私で気にせず食べた。

食後に洗濯物や布団・パッド・シーツ・毛布を干した。天気が凄く良く乾燥していたので午後からでも洗濯物は乾いた。その間に並行して、半年間乗らないので外していたバッテリーを接続し、薄汚れた自動車の動作を確認した。近くを4-5キロ試乗し帰宅後、洗濯物に気を付けて庭で洗車した。

洗車が終わった頃には日が暮れ始めたので、冷凍していたネタを使って夕食の味噌汁を作りながら洗濯物を取り入れた。気が付くと台所からピーピー音がし、味噌汁のネタが半分黒い炭になっていた。取り敢えず残っていた自動車と洗濯物を処理し、冷凍庫からネタを追加して味噌汁を作った。

だが、真っ黒なスープはとても味噌汁には見えなかった。もうやってられない、頭に来てコンビニに行って安いワイン(チリ産ピノノアール)とツマミを徒歩で買いに行った。途中で近所の後期高齢者オバサン達に会い、長い挨拶を交わし近況を確かめ全員無事‛生きている’ことを確認した。

家に戻ると7時半を過ぎていた。黒い味噌汁に追加したネタも含め炭のような味だった。それでも食った。真っ黒な小鍋の底の炭は金属のタワシで削り取れた。2階に上がりシャワーを浴びた後、書斎でワインと木の実に旅行のお供のチョコレートで、テレビを見ながら長い一日を終えた。

(補足)一夜明け覚悟した腰痛は酷くはなかった。結局、昨夜も毛布が必要だったが、朝の室温は13.5度まで上昇した。今日も好天で昼間は暑日で夕方6時40分の今、書斎は21.2度だ。今日は窓を開け放し空気を入れ替え、洗濯やマット・座布団などを干した。

家事をやると同時進行で処理することが多くボケ防止になるという説を実感した。慣れない私には難しかった。明日は食料を買いに行き、ゆっくりする積りだ。東京から田舎暮らしへ、激動の3日だった。■
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エロジー、故郷への旅

2021-04-20 21:30:08 | 旅行記
予定通り四国松山に飛び実家のある大洲市に昨日戻った。東京も松山もコロナ感染が急増して、両知事が不要不急の外出の自粛を要請する最中での旅行だ。大袈裟に言うと「往くも地獄、残るも地獄」的旅行だ。南武線で川崎に行き京急に乗り換え羽田まで、車内の乗客は確かに少なかった。

空港も閑散としていた。カウンターで搭乗手続きをした時、対応した女性地上員に暇でしょうと聞くと少し変な返事が返って来た。松山行きは何故か乗客が多いんですよねー、少し他人事みたいな返事だった。松山行きは空港の一番端のゲートで、通り過ぎた途中のゲートには殆ど人影が無かった。

だが、最後の67番ゲートの待合エリアに着くと結構な数の乗客がいた。乗り込むと機内は3人掛け座席の2列構成で、前から後ろまで真ん中が空席で両側に乗客が座っている、計画的満員といった感じだった。ざっと計算すると100人程度、予想以上に多い乗客数だった。

私はいつもの様に通路側に座った。忙しそうに行き来するCAの様子を見てると、季節外れの新人らしくないない「訓練生」の名札を付けた女性がいた。もう一方のCAに聞くとその人は再就職した女性だという。新人が今の時期にフライトに乗るはずないよね、と言って納得した。

その後、CAのたまり場になっている後部トイレに向かった時、彼女がトイレを選んでドアを開けてくれた。礼を言ってトイレに入りドアを閉めると、外からガチャガチャ音をさせて改めてドアを閉めロックをかけてくれた。エラク愛想がいい、私の質問で親しさを感じてくれたのかと思った。

用を済ませ聞くと、外からドアを操作できる秘密の方法があるらしい。職場内の打解けた雰囲気で三人の雑談になった。訓練生は日に焼けた顔の精悍な印象で、二人の子供がいるとⅤサインを示し働き始めたという。何か事情があると思ったが、頑張ってねと言って席に戻った。

松山に着き飛行機から下りる前に、乗客数は100人位かと聞くと80人余り、訳は分からないとの返事だった。昨日のフライトのCAの印象は今までになくリラックスして好ましく思った。90年代に米国駐在時に国内線に乗った時に、CAが突然私の横に座ってお喋りしたのを思い出した。

松山市内で友人と昼食を済ませバスで大洲に向かう前に、若い女性に乗り場を聞いたのがきっかけで雑談に花が咲いた。何故こうも簡単に若い女性が知らない男とリラックスして話出来るのか。後期高齢者真近の私は、彼女達にとって用心すべき男ではなくなった、或いは私の無害な老人的アプローチ術が向上したのか。どっちにしてもエロジーの故郷の旅は今迄になく楽しめた。■
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コロナが教えてくれたこと(追)医療システム効率化は夢

2021-04-17 18:39:24 | 健康・病気
いよいよ高齢者向けのワクチン接種が始まったが、予想通り電話がつながらない等と各地で混乱が報じられている。何故そんな仕組みで接種を実行しようとするか、自治体ごとに異なった取組みは10万円給付を思い出す。マスコミが混乱を表面的に報じ不安を煽るのは予想通りだ。だが、驚くな、ワクチン接種の混乱はまだ序の口でありこれから大混乱が起こるぞ、というのが私の印象だ。

何度か日本の厚労省や医療界のトータル・システムとしての非効率さを指摘したが、事態は何も変わってないように感じる。私は医療専門家ではないが、医療行為のトータル・システム効率なら語ることが出来る。私が見る限り、日本の医療システム効率は最低レベルにあると断定できる。

その原因は(1)医療に関わる柔軟な対応を許さない法的制度、(2)民間病院比率の圧倒的な多さ、(3)医療行為改善の提案が異常に少ないという日本的な事情があると感じる。ワクチン接種する医者や看護婦等の人材が不足すると言いながら、日本は薬剤師などが接種出来ない規制がある。予想通りなのに未だに改善されてない。

こんな非常時になっても、何故か厚労省も自治体も医療体制に手を突っ込んで改善するのを躊躇う。正しいのかどうか分からないが、素人の私には行政が医療界に対して異常に遠慮している姿が浮かぶ。欧米の対応を政府批判に使うマスコミ報道が、何故この問題指摘しないのか理解できない。

例えば、再度緊急事態宣言が議論されている今になっても、東京都の担当者は「医療機関に対して法に基づいて病床確保を依頼するのは重みがある。…段階的に民間病院に協力を求めていきたい」と話す。何とのんびりしたことか。首都圏の2020年の病床使用率が前年を下回ったという(日経4/16)。今頃何をと思うが、どっちにしても全く理解できない。

一歩譲って、身内からなら不十分でも改革に手を突っ込めるとしたら、先ず医師会とか疫学関連の学会が声を上げることではないだろうか。今のまま政治家が「外出を控えよとか、会食やカラオケ自粛」とか感染防止の声を上げるだけでは、最悪の医療システムがそのまま残ってしまう。ところが、何とか先生は自らに関わると口を噤んだまま。

私が注目しているのは、奈良県が15日に民間病院にコロナ患者受け入れを要請し、応じない病院を公表することもある、という発表だ。ならば、もっと厳しい事情にあるはずの首都圏でも知事達は要請すべきだが、検討したとも報じられてない。官民の対立を招くことを恐れている。

だが、果たしてそんなことで第4波を乗り越えられるか極めて不安だ。私は計画通りに19日に帰郷する予定で、ワクチン接種したかったが後期高齢者優先なので間に合わない。帰郷後に田舎でワクチン接種できたら奇跡だ。田舎町でも共通の全国ネットに繋がれるのは夢のまた夢だ。■
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かやぶきの里

2021-04-16 21:46:15 | 日記・エッセイ・コラム
昨日偶然にNHKテレビBS4Kで新日本紀行「かやぶきの里」を見た。昭和56年の高知県の山間部にある梼原(ゆすはら)町のかやぶき屋根の葺き替えを描いたものだった。3年前に息子家族が四国愛媛県大洲市にある実家を訪ねてくれ、全員で四国カルストに行った時の事を思い出した。

息子が選んだコースは実家から山間部を東に走り、鹿野川ダムから梼原町を経由して四国カルスト高原に行った。途中高知県に入り梼原町で下車し有名な建築家が関わった洒落た街並みを散歩した。それが40年前にどうだったか、番組の題名「かやぶきの里」に惹かれて最後まで見た。

40年前の梼原の山間部にある家々は全てかやぶき屋根だった。30年毎に寿命になった屋根の葺き替えをしたそうで、撮影された大きい家は2年間「かや」を刈り保存し屋根葺き替えに備えた。奈良や大阪に行った息子さん達もこの時ばかりは里帰りし、集落の男性40人と併せ総がかりで(酒を飲みながら、さすが土佐の高知)3日間かけて作業したという。

終わると近隣からの子供達が家の前に集まり、葺きたての屋根から餅撒きをして集落全体で祝った。更に集落の女性陣が準備した昔ながらの料理と大量のお酒(日本酒40本!)で朝まで宴会をした。翌日は帰郷した息子たちが車で都会に帰っていった。正に集落の一大行事だったようだ。

それから40年後の梼原町には記念碑的な家屋を除き、全て瓦屋根でかやぶきの家はなかった。少子高齢化で残っているのは3家族だけ、最早かやぶきの家は人出不足で作れなくなったという。この最後のシーンを見て私の実家のある田舎の集落と同じだと思った。

番組が終わるまで一歩も動かず最後まで見てた。子供の頃の生活や父母と祖母に加えて近所のオジサンやオバサンを思い出した。寂しくなりつい涙ぐんでしまった。その時思い出した人達は殆ど皆亡くなった。私は後に引っ越してきた別姓の長老に次ぐ年配者になった。残っているのは後期高齢者の後家さん達だけ、年上の男達は全員亡くなるか出ていった。思い出を語り合うことも出来ない。

蛇足ながら、第2次世界大戦直後に四国の田舎で父母が結婚し私が生まれたこの集落は変わったところだった。大洲盆地の東側にある日本最小の大名新谷藩の城下町の、山裾にある10軒足らずの農家の集落だった。実家だけ大正年間に建てた瓦屋根で、残りの家は全てかやぶき家の集落だった。

400年前に遡ると先祖が土佐の長曾我部の家臣で伊予(愛媛県)に攻め入った。徳川幕府の世になり主君の長曾我部が滅亡し、先祖一族は留まり大洲藩に許されて農民として山間部に住み、江戸時代の間に平地に下り集落を築いた。この集落は同じ先祖の全戸同一姓で珍しがられた。

60年余り前に近所のかやぶき屋根の葺き替えを見た記憶がある。当時は集落総出の行事ではなく専門の職人の仕事だった。餅撒きもなかった。56年当時は既に私の子供が生まれており、その頃の集落は全て瓦屋根の家だったと思う。多分10-20年ずれて梼原に同じことが起こったのだろう。■
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処理水の海洋放出を支持する

2021-04-14 21:51:55 | 国際・政治
私は福島第1原発の処理水を海に放出する政府の決定方針を以下の理由で支持する。専門家ではないが報道から判断するに、支持の理由はそれ程難しいことではない。誰もが容易に理解できる決断にも拘らず、「原子力」という「魔法の言葉」が今まで政治決定を先送りしてきた。

(1)他に方法がない。
(2)ほっとけば廃炉作業が遅れ、いつか大惨事が起こる。
(3)処理は世界的な安全基準に合致している。

2011年3月の東日本大震災の津波で起こった炉心溶融事故の廃炉作業は計画より遅れており、今も高濃度の放射性物質を含む汚染水が発生している。敷地内の汚染水のタンクは来年秋ころには満杯になると予測され、それ以降廃炉作業が中断される恐れがあるという。

私から見ればそれは福島県の危機であり、最悪の場合震災被害を受けた東日本に及ぶ危機になると思う。一方、福島県の魚業関係者が風評被害の不安を持つことはよく理解できる。対応が必要だ。だが、彼等はこれ以外の解決策はないこと、風評被害以上の危機が来る恐れがあることを理解すべきだ。

福島県の殆どの人々はそれ以外に解決策はないという、いわば消去法で政府決定を認めているようだ。多分、福島県以外の殆どの人々も同じ考え方と思う。だが、NHKなど多くのマスコミ報道は強く反対する漁業関係者の声を強調した報じ方と感じた。これが政治決定を遅らせた主要因だ。

一方、中韓などアジア諸国で懸念が相次いだ原因として、海外に向けた情報発信不足とこれまでの東電の対応に対する不手際などで根強い不信感があるという(日経)。多分その通りだろうが、放出する処理水が国際基準の1/7であるのが事実で、かつ諸外国の放出の現実が明らかになれば、やがて大多数の世界の支持を受けると考える。

最後に、この難しい問題に直面してぎりぎりのタイミングながら決断した菅首相を称賛したい。「魔法の言葉」に関わる政治決定は激しい感情的な反対に直面することが多く、あらゆる場面で必要な決定が避けられるのを見てきた。放置する方が支持を維持できるという不思議な現象だが、それが何年か後に国民が大変な目に合わせる。リーダーのあるべき姿を示したと思う。■
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