かぶれの世界(新)

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川辺の出来事

2023-08-12 21:28:50 | 日記・エッセイ・コラム
暑い1日だった。夕方になって裏山から涼風が吹き下ろすようになり、偽痛風後の運動を兼ねてバドミントンの素振りをやってみた。オーバーヘッドスイングをすると透き通った青空にうろこ雲が見えた。真夏の暑さにうろこ雲は似合わないと思ったが、もうすぐ秋が来ると期待した。

思いついて表通りに出て散歩することにした。川沿いの散歩道に出ると、河川敷にトンビが二匹いた。トンビは風に乗って空高く飛ぶはずなのだが、少し離れた川の上空にシラサギが飛んでいた。これじゃ全く逆だ、サギがトンビの上空を飛んでいた。こんなの初めて見る風景だった。

丁度通りかかった中年男性に聞くと、この逆転現象に彼は気付いていた。何故か聞くと、最近河川敷の草場を削り取って川底の整備をしたからだろうという。そう言われて私も何故か原因が分かった。草を削るとその下からミミズなどのトンビの餌が出て来たので低空飛行したようだ。

礼を言って気になっている脚力を強化する為にジョギングを始めた。何度か投稿したようにサイクリングは昨年と同じようなレベルで走れるように回復したが、今日も残念ながらジョギングは全くダメだった。足が上がってない為と思うが何度も躓いて転びそうになった。

川沿いを下って行くと県道と交差する橋の袂で風船を持って歩く若い女性に出会った。風船は子供達の為かと聞くと、英語塾の売り込みに戸別訪問をして子供に渡すという。最近は小学3年から英語を教えるようになり、先行する他の塾に遅れない様にキャンペーンしてるという。

私はそれを聞いて、すっかり忘れてしまった英語を使い挨拶した。年をとってもこと女性になると突然調子好くなる私の性格が出てきた。彼女はこんな田舎で英語を話す人がいるのかと驚いた様子で、自分は講師ではない戸別訪問して塾を勧めているだけだという。

こんな暑い日に長い道を歩き戸別訪問するのは大変だね、気を付けてねと言って別れた。田舎の散歩道の帰りは誰にも出会わずトンビもサギも見かけなかった。もう、6時半ばを過ぎ夕食時で誰もいないはずと後から思った。■
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忘れられない本(1)

2023-08-11 20:59:46 | 本と雑誌
小学校中退の主人公が幾多の困難を乗り越えて日本植物学の権威になった朝ドラ「らんまん」を、ドラマが始まった頃からほぼ毎日見ている。大した学歴もない私が一時は米国と競って最先端の電子計算機の開発を担当した自分と重ね合わせて見る。主人公と一緒にして考えるのは恐れ多いが、私の場合は一冊の本がきっかけを作ってくれたと思う。

中学生の頃から電子計算機に興味があったが、私みたいな田舎者が専門家として仕事するのは実現不可能な夢だと思っていた。同じ中学生の頃に野球部に入り将来はプロ野球の選手と夢見ていたが、私は地域大会で負けてあっさり夢が破れた。残った夢が電子計算機の専門家だった。

私はその夢を実現する具体的なプランも持たぬまま美人事務員に惹かれ(私の特徴です)、電子計算機の専門家がいない(後で気づいた)学校で学んだ。それではと図書館に行き関連する書籍を読み、計算機を作る為の基礎知識を教えてくれるとある専門書を購入した。

それが、「ディジタル代数学」(尾崎弘・木下行三著 共立出版)だった。当時としては中々の値段1400円を少ない小遣いで買った。巻末の参考文献は殆どが横文字で、英語を真面目に勉強するようになった。最初のきっかけは通知簿の英語の成績が酷かったのを見て父母の英語教育支援が役立ったが。当時学校では情報処理学科も先生もおらず、この本が先生だと思い熟読した。

経緯は省略するが、その後通信機が主力で電子計算機も製造する会社に就職し、周辺装置の開発部門に配属された。1年間下働きし小型機の論理設計を任される機会を得た。「ディジタル代数学」で学んだ理論を適用し、理解できない直属上司を飛ばして開発責任者の主任の前で説明する機会を得た

私は最新の手法を専門用語を駆使して説明した。応用物理の修士資格を持っていた主任は私の説明を理解してくれ、それ以来私は一躍注目される存在になった。有名大学出身の上司や同僚ばかりの職場で、そんな学歴のない私が知識を持つ技術者であると示し新たな機会を与えてくれた。

お蔭でその後職場で最先端機器開発に参加する機会を何度も得た。新しい仕事をやり切ると更に新しい挑戦が巡ってくるという好循環が生まれた。今まで誰にも言ったことはないが、遡ればきっかけは「ディジタル代数学」だった。そんな私だから、自分の子供達に適切な教育機会を与える苦労もしなかった。

私は仕事に熱中した一方で、子供達に適切な教育機会を与えたのは家内だった。彼らが最高レベルの教育を受けたのは私が米国に赴任し仕事をしてた頃だ。彼らは私のような忘れられない本を手に入れたのか、或いは与えられたのか知らない。ましてや孫達はどうすべきか口出しできない。その資格もない。■
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田舎暮らし雑感2023(8)

2023-08-10 12:07:51 | 日記・エッセイ・コラム
朝食後に定例のゴミ捨てに行ってきた。台風6号は予報より九州の南にズレて北上しているのに、期待とは違い朝から雨が降っていた。廃車したのでランニングシャツとショートパンツの上にレインコートを羽織り、自転車の荷台にゴミ袋を積んで表通りの所定のケージに捨ててきた。

今月初めに帰郷後の「田舎暮らし改訂版」が形を整い始めた。昨夜は足の状況を考えて薬の服用を降圧剤だけにした。6日前に田処へ往復サイクリングした翌日から足腰に痛みが出たが、慌てることなく鎮痛剤と胃薬を飲み、痛みで歩けなくなる最悪事態を免れた。歩けなくなると田舎暮らしは停止だ。

鎮痛剤を飲み始めると血圧が若干下がり、一方で体重が若干増えた。総ては4月に偽痛風で入院して以来経験した症状で、ある意味想定通りだった。勝手にやっている訳ではない、その後かかった医師達の意見通りにやっている。「やり過ぎ・回復」の繰り返しも生活の一部になった気がする。

思い出せば、20年足らず前に母が入院する前に竹のカゴに大量の薬があった。あちこちの医者に掛かり夫々に処方された薬が大量にあったが一部飲まなかったと思う。山裾歩き時に会った同級生が、医師会病院は薬を一杯出し過ぎると注意を受けしっかり記憶している。今はお薬手帳もあるし。

ただ残念なのは、最早薬なしには生きて行けない体になったということだ。激しい運動が出来ないのと合わせ悔しいばかりだ。心では改定された生活ルールを受け入れてない。それが、無理してついついやり過ぎになってしまうのだと思う。それも晩年の母に似てきたともいえる。

田舎暮らしのもう一つの改定はオンラインショッピングが増えそうなことだ。今月に入り、アマゾンで髭剃りと自転車用ヘルメットを買った。東京と田舎の電気店巡りをしたが品質はさておき(!)、最も安い商品はアマゾンだった。この手のものにお金をかけたくなく、実際それで十分だった。

更に今日は電子レンジ内で煮物が出来る調理鍋とチョコレートが届くはずだ。調理鍋は臭いが気になり食べなくなった焼きサバ等を再び食べる為、チョコレートは口が寂しい時の為だ。生もは別として、スーパーで買う必要がないものも沢山ある。この先どうなるか分からないが。

思いついたのはテレビで紹介された調理鍋を使って簡単に焼魚を食べようということ。もう一つは東京の自宅で同居する下の息子宛に、近年オンラインショッピングの荷物がしょっちゅう届くを見て刺激を受けたからだ。お店より多様な商品が安価に買え、好みの食事をしたい。■
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懲りない複合病再発

2023-08-08 18:04:37 | 健康・病気
3日前に小一時間ごとに3度もにわか雨が降り涼しくなったのを機に、急に思いついて田処往復を敢行した。ある意味想定通り途中で止められなくなって無理し、翌日から内反小趾(外反母趾の小指側)に痛みを再発した。4月に入院した偽痛風と全く同じきっかけだった。予想通りちょっとした靴擦れでも偽痛風が出来る体質になったと分かってても走りつづけた。

悪いことに今回は坂道を必死で走り続けた為で、腰に激痛が走りベッドから下りたり歩くのが苦痛になった。友人との約束も直前にキャンセルした。途中柳沢に着いた辺りで坂道を走るのが苦しくなったが、去年までなら走れた坂だと無理を続け田処迄走った。腰の負担が薄々分かってたのに。

これが悪かった。問題は偽痛風後は昔のような無理は出来ない体に変わったこと、それを分かっていながら一旦運動を開始すると止められず激痛を再発させた。ホントに懲りないやり過ぎ性格だと自分でもつくづく思う。しかし、そのお陰で人生75年何とか生きて来れたとも思う。

やり過ぎ性格を今更変えられないという気持ちがある。そういう意味で76年目は新しい人生なのかもしれないが、まだ具体的にどうすべきかまだ分からない。かつてのような運動が出来る身体に回復したい。だが、今では高血圧や歯の治療だけではない、高尿酸に加え偽痛風になり健康診断で将来問題になりそうな腎の劣化が分かった。

今回は偽痛風で入院した教訓が若干役に立っている。幸運にも入院中に頻繁に服用するようになった鎮痛剤(ロキソニン)が残っていた。今回痛みが出たその日から服用して痛みを抑え階段の上り下りやトイレに行き、買物や歯医者など一人暮らしに最低限必要な活動は始めから出来た。

今回の田舎暮らしで、もっと自ら健康に気を使う生活をすべきと痛感した。東京から実家に戻ってたった1週間の経験がこれだ。そういう身体になったと自覚すべきだ。だが、正直言って「思い付きでやり過ぎる性格」を治せる自信は全くない。■
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天邪鬼が原爆の日に思う

2023-08-07 19:16:50 | ニュース
広島に原爆が投下されて78回目の夏になるという。広島に原爆投下時間に合わせて平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が開催され、世界各国から犠牲者を悼む人々が参加し平和への決意を新たにしたという。私も家内のアレンジで一度だけ子供達と行った事がある。

一方、世界ではウクライナ戦争を仕掛けたロシアは状況の悪化で核攻撃の脅しをかけ、北朝鮮は核実験を繰り返し、中国は世界最速で原子爆弾の製造を続けているのが現実だ。このような状況に的確に対応できてないと政治家に不満を述べる人々の声が何度も報じられた。

だが、昔から天邪鬼の私はこのような発言をする人達に「違うだろう」と思う心がある。原爆は戦争が引き起こした、戦争がなければ原爆投下はなかった。色々説はあるが日本が太平洋戦争を引き起こし、日本軍はアジア各国に進軍して自国軍を含め一桁違う数の人達を殺害した。

それを無視して、天邪鬼の私は被爆者だけ特別扱いする訳には行かない。寧ろ日本人が戦争を始めた責任を忘れて原爆ばかり取り上げるのは無責任な被害者根性だと思う。マスコミ等はその代表的な例だ。私が学生から若い頃は戦争の悲惨さを描いた大岡昌平や野間宏などの小説を熟読した。

これら著名な作家の小説を読んで、何故自分の親たちは戦争を止められなかったのかと思った。そして、当時偉そうなことを報じるマスコミが寧ろ戦争を煽ったのはどういうことか許せなかった。勿論、私は詳細を理解して判断してた訳ではなかった。

先ずは何故戦争が始めたか、何故政治家だけではなく国民やマスコミは戦争を止められなかったのか、今ではそんな議論が全く聞かれないように私は感じる。それなのに、被爆者の悲惨な経験ばかり聞かされると、何で日本人はこんなに無責任なんだろうと。

心配なのは被爆者の悲惨な体験ばかり聞かされ、原爆を一方的に非難する小学生や中学生たちの声ばかり聞こえて来ることだ。これはマスコミ等が選んだ大人の責任だと私は信じる。彼らが成人した時どうなるのか。この意見は私のひねくれた考えかも知れない。どうせ生きてないだろう。■
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