八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

新撰世の中

2008年02月19日 20時55分43秒 | Weblog
『禮されて 禮することは常なるぞ 禮欠くものもあるが 世の中』四年ほど前のこと。小生月いちゴルハァ-だが、今日はこっちの道をいこうかと、少し遠回りした。途中に葬儀場があった、「今日も葬儀があるなぁ-、あの苗字は昔ぁ-し俺のとこにいたなぁ」と通り過ぎた。ちょつと気になったので、帰り路に住所を見た。やはぁり昔ぁしにいた奴の父親だ。この父親は、三十五、六年前のことだ。胃潰瘍とかで、手術、血液が必要だ、と夜半に電話があった。翌日知人の先生に頼んで、高校生四人から血液を貰った。それでも足りないとゆうので、別の所に依頼した。その当時、すいぶんと頭を下げた記憶がある。その後は奴も退職して、
親のことは分からなかった。小生も別に気にもかけなかった。三十五年も過ぎて、この父親が、この世との別れをするのに、小生にこっちの道を通れと云ったのかなぁと、不思議に思っている。通夜に行って、奴と三十五、六年ぶりに会った。
よく虫の知らせとゆうが、あるのだなぁ-と、あの後は元気に暮らしていたそうだ。ちょつと嬉しいしい気持ちもしている。
画像とは関係のない、ブログです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする