放射線は、小生の居住している近辺は、八月に計測した値と、今も変わらないようだ。放射線の風評は、悪い。20キロ圏内に、一時帰宅する知人が、関東圏に避難をしている妹を、最近呼び、同行することになった。そのとき、関東圏からきた妹は、防護服をまとい、帽子とメガネ、マスクをして、靴は、ビニールで包み、完全装備で、来たと話していた。このような防護のいでたちは、20キロの圏に入る、中継地で着用するという。完全な装備に、知人はびっくり、その妹は、兄があまりにも普段着で、出迎えられたのに、お互い、びっくりしたとか。また、新聞のコラムに、仕事で関西方面から応援にきた人の中には、「いわきでは、放射線のこともあり、誰もがいつもマスクをかけている」と、伝えられていたので、いわきの歩行者は全員が、マスク姿と思って、赴任をしてきた。しかし、いわきに来てみて、マスク姿は、数えるほどしかいないので、びっくりしたとか。画像は、4月の12日に載せたもの。原発の事故で、当時、冷蔵庫の中の食料品を積み、介護で使う用品を積み、夜具を、生活用品を積んで、夕暮れが迫る頃、走り出した。車の燃料は、残り250キロは,走れるのだが、渋滞で、どのくらい消費してしまうのか、不安だった。その時の状景を思い出すと、背筋がぞおぉつとする。