「年の始めのためしとて 終わりなき世のめでたさおを 松竹たてて門ごとに 祝う今日こそ楽しけれ 初日のひかりさしいでて 四方に輝く今朝のそら 君がみかげにたくえつつ 仰ぎみるこそとうとけれ」。一月一日という題の歌。歌詞を理解するのも、難しい歳になった。きのうの大晦日は、紅白歌合戦がおわりに近く、「あと、四曲になりましたあぁっ」って。ぼおぉつとしながら、見ていた。「ほぉたぁるのぉ、ひぃかあぁりぃ---」が声高く終わり、テレビが静寂。突いた除夜の鐘の余韻の間、静かに手をあわせる様子が映している。なんか不満足だった一年が終わるなぁ、って。すぐ近くの神社から、力強く打ち鳴らす大太鼓の音が、一年の始まりを告げた。 部屋に居たままで、賽銭をにぎって、参拝にでた。二十日の月が、輝いて、足元が明るい。街中の神社で、お詣りも、二人。四、五人の男女が道いっぱいにひろがって、携帯電話を見ながらの話し声も、ちょつと小声だが人影がない街路に響いていた。携帯電話の画面の明かりが、顔がぽおぉっと、照らしていた。ちょっと年配の女のひとが、道路から、鳥居越しに、神殿に向かい、深々とこうべを下げ、手をあわせて、なにかを願っているようだ。祈ることが、願いごとが多いのか。それを、じゃましてしまっては、願いも届かないなぁって、鳥居をくぐるのを待った。その女の人は、近所のなのか。神社の世話人と、顔を合わせないで、神様に、ゆっくりと、話しをしたかつたのだろう。その方のわきをすり通り、お祈りと、願い事が届くよう、参道の端をいって、柏手をうつた。顔見知りと新年の挨拶。神社の世話人と、挨拶。アマ酒をいただき、「神札」のお釣りのお金を、また、賽銭箱に入れた。「今年一年。いや、その先も」と、自分に言い聞かせ、新年を迎えた。