いろいろと世話になったからと、今年も、送ってきて、いただいた米。たいした世話も、していないが、ありがたい。原発の事故の時は、お互い様でだったと思う。なにげないことでも、ありがたかったのだろう。原発事故は、もうないだろうが、あの事故の日々を、思い出したくない。当時、連日、連夜、テレビで見ては、別世界の事故と、たかをくくっていたが、街の中から、人も消え、走行する車もないのをみては、不安だった。現在も、原発事故の後始末のことも、報道される。避難している人のことも、報道される。一つの原子力発電所の建物の大きさを、比べられるような建物は、この街には見当たらない。巨大なものが、爆発するのだから、放射線も、飛び散り、拡散する。その後始末は、長い年月がかかるという。放射線測定済みのラベルを見て、あらためて、考えさせられる。