八十路徒然なるままに

人間の大事。餓えず、寒からず、風雨にをかされずして、閑かに過ぐるを楽しびとす。徒然草より

新しい花

2022年09月10日 13時54分01秒 | Weblog

没後三十二日になる。供え花を、新しいのにした。前回、一対を注文をしたら、何かあったんですかあと、花屋さんに問われた。せめて四十九日までは、花は盛篭にしようと。看護介護の、今月分の支払いがあるので、事業所さんがくる。きれいな花を飾っておく。下記は、以前にも載せた。「見送り」と題しての一文。脳梗塞の治療が終わり在宅介護が、九十五才頃から始まった。晩秋のある日。見舞いに、三女夫婦がきた。長座卓を囲んでの談笑に、ばあちゃんも車椅子に乗ったまま、皆の話を一緒に聞いていた。「ばあちゃん」と、時々話はをかけられても、うなずいているだけ、ぼんやりとしているのを、「眠むてぇんだっぺぇ」と、云っていた。帰り支度で席を立つ娘らを、目で追っていた。「ばあちゃん、元気でねぇ、また、来るからねぇ」と、声をかけられると、うなずいていた。見送りは廊下で、手を握られ、声をかけられいも、うなずいていた。ゆっくりと走り去る車に、五回六回と、手を振っていた。車の窓からの手の振りも、見えなくなった。晩秋の日暮れは早い。赤いテールランプも見えなくなっても、ぱあちゃんは、手を振り続けていた。そおっとそのままにしておくと、また、手を五回六回と、車が見えなくなったあたりを見つめ、また、手を振っていた。夕闇が濃くなり、「あっちえ、行くべぇ」と、声をかけると、口をへの字にして、涙がほほを伝わって流れていた。パジャマの袖で、涙をぬぐい、嗚咽をしていた。脳梗塞でも、頭の中では、娘に逢えない寂しさが、つのっているのだろう。ーー百歳の記念の小冊子からーー。


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