八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

太陽の塔の顔

2022年09月26日 09時28分48秒 | Weblog

前回、太陽の塔を載せた。画像は、太陽の塔の過去の顔。手元にあるのを、拡大をした。このような、「お顔」なんだぁと、眺めた。我が身の過去はと、自問をした。この世に生を受ける以前が、過去なのかも。両親、祖父母から、つながっている。祖父母は、小生が10才の、終戦の年に、相次いで、没している。親の転勤で同居していない。祖父の没した時は、六月の下旬。二駅間を、蒸し暑い汽車に乗って家に来た覚えがある。祖父との直接の接点はなく、一回、叔父が没した時に、祖父の生家に、電話をしたことがある。「そちらのお家から、分家した末吉の孫です。叔父が没したので、ご連絡しました」と。小生がゴルフをしていた頃、時々プレーしていたゴルフ場の、何番かの、ティグランドから、祖父の出所の集落が見えた。このことも話をした。祖母とは、ふた昔も前に、叔父と、祖母の出所の葬儀に参列をしたことがあ。現在は、代替わり、代々替わりで、接点は無い。小生が、この世のに生存する以前の、長い過去があって、現在があるのだろう。今、思えば、せめてもの義理を果たせたと、思っている。大過なく生存をしていることを、先祖様に、感謝。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする