八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

百歳の顔

2022年09月13日 15時43分28秒 | Weblog

画像は、百歳の記念の小冊子を見ている顔。日曜日に、五七日の墓参をした。長年続いた介護の方たちの、訪問が無くなった日々に、なれてきた。夏場の疲れと、没後のあわただしさの疲れが、まだ残っている。週末には開眼法要がある。七七日の法要は、済んでいる。月末頃は、気持ち的には、落ち着くのかも。記念の小冊子を作るようになったのは、在宅介護が始まって、時々、顔を覗きにいくと、話しかけてきた。その頃は、まだ仕事を継続中で、昼間に一回、夜に一回と、様子を見ていた。夜のご飯の介助を時々していた。その頃は、よくお喋り聞いていた。看護師さんに報告をする、食事の量と水分の量の一週間の表に記入をしていた。表の裏側に、お喋りを、走り書きしていた。それらをまとめて、冊子を作った。印刷は、仕事で使っていた小型のカラープリンターで。画像のことは、ばあちゃんが自分の写真をみていたのを撮った。おしゃべりは、話しかけると、楽しいことや、テレビのお笑いや、頭のスイッチが入り違うと、悪態もあれば、悪口もある。悪態や悪口は、ヘルパーさんや看護師さんには、甚だ迷惑のことだった。「ばあちゃんのストレス解消なので、すみません」と、謝った。ばあちゃんが、「なあーんにも、なぐなったぁ」というのは、何度も聴いていた。戦中戦後の、貧困の時、わが身の嫁入りに持ってきた着物を、一枚二枚で、食べ物を、物々交換をしていた頃の事。娘時代だけの二枚残ったとか。終戦近くの夫は、年俸、100円だったと聞いた。別の事だが、数年前に、この時の在職が知ったので、年金事務所で調査を願ったら、年金加入期間が、三か月と記録が残っていたと、連絡があった。

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