八十路徒然なるままに

人間の大事。餓えず、寒からず、風雨にをかされずして、閑かに過ぐるを楽しびとす。徒然草より

安心ですょ

2023年03月10日 14時22分09秒 | Weblog

画像は、原発事故があった当時の、3月21日の、「市民へのお知らせ」。原発事故による放射線の事は、まったく安全で、心配することもないと。この「お知らせ」に、安堵をした。「お知らせ」の中に綴じ込んだ放射線測定値の表にも、「胃の✕線検診時の放射線量と、比べても、十分に下回っている値」と、記載してあった。「お知らせ」を配布しながら、「だいじょうぶだょ」と、声をかけていた。小生は、前日の20日に、避難で世話になったところを、昼前に出発して、帰途の途中、「軽油」と手掲げ看板を見て、ハイエースのバンに、満タンにして、いわき市境い近くの道の駅で、暖かい山菜そばで、空腹を満たして、家路を急いだ。帰着後、ばあちゃんを、介護ベットに移し、落ち着かせ、すぐに眠りになつた。車載したものを、おろして戻し、夕刻近くに、市役所へ、「お知らせ」を取りに行った。日にちは定かではないが、戻ってから、水道水は、屋外の蛇口を開けると、ちょろちょろと、流れだした。屋内の高い位置の蛇口からの水は、翌日に使えるようになつたと、記憶している。屋外の蛇口からの水は、容器に貯め、浴槽に運び入れて、入浴ができた。当時の日は、「お知らせ」は、8件だつた。コピーをして、ページを揃え、ホツチキをする。一人作業をしていた。


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連絡網は?

2023年03月10日 12時10分31秒 | Weblog

福島第一原発の過激事故の如きのようなのは、今後発生しないと願う。画像の「市民へのお知らせ」は、無用なのだろう。この「お知らせ」を、当時から、必要とする人たちへ、届いたのだろうかと、考えていた。小生の居住地には、自主防災会が組織されていた。小生は、30数軒とマンション一棟の、使い走りをしていた。当時の、18日に、市長メッセージとして、「安定ヨウ素剤の配布」として、隣組に配布をしていた。「国からのの指示はないが、市として、配布する。他の市町村から避難をしている方は、ヨウ素剤を携行している。いわき市民の不安解消のため、念のために配布する」とある。「このヨウ素剤の配布は、各支所の窓口と、行政嘱託員による配布も、継続している」とある。小生の居住地の、行政嘱託員は、自主防災会の長になっていたと思う。防災組織からの連絡は、全くなかつた。ヨウ素剤を服用するのは、40歳以下が対象になっている。原発事故が発生をした翌12日の夕方に、知人が、「ヨウ素剤を、持たされて、避難をしてきた」と、「えぇーっ」。当時の20日の午後に、市役所で「お知らせ」を、受け取っていたところへ、「ヨウ素剤は、何処で配付をしてんですかぁ」と、若い女性が、飛び込んできた。大災害は、忘れた頃に発生するのだろうから、難しいこと考えなくてもいいべぇ、です。


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