八十路徒然なるままに

かくて明けゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへめずらしき心ちぞする。徒然草より

喜怒哀楽

2024年08月25日 14時43分01秒 | Weblog

画像は、前回と同じ亡ばあちゃんの笑い顔。カレンダーに貼り付けた。カレンダーには、排便のことで、ポータブルトイレを使った印と、看護師さんの手を煩わせた印と、おむつにした印を付けていた。一年毎に作った冊子には、「いっぱい笑って、いっぱい怒って、いっぱい哀しんで、いっぱい食べてーー」と書き、またの一年お世話になりますと書いていた。在宅介護が始まって数年後に、拒食を始めた時があった。食べ物を口に入れると、舌で押し出してしまう。小生は当時、通院時の送迎に立ち会うだけだった。ある朝、部屋を除くと、大声で騒いでいた。聞くと数日、食事が飲み込めないという。とりあえず安静にと、寝かし眠らせた。夜になっても、眠り続けていた。昨日から何も口に入ったていないという。耳元で、「からあすなぜなののーー」と小声で唄ってみた。すると、調子をとるように、頭をふったので、急ぎベットを立てて、アイスクリームを口に入れたが、舌で押し出してしまう。顔をや喉をなでたりした。ようやく、下あごのくぼみをちょんちょんと押すと、ごっくんと呑み込めるようになった。カップ一つを、小一時間かけて、呑み込ませた。食事や水分補給で、ごっくんがスムーズになるのに、半月ほどかかったなぁ。先日の三回忌の法要の後は、十万億土の彼方で、阿弥陀様のご加護で、永遠に安らいでいるのだろう。表題の「喜怒哀楽」は、「人間のさまざまな感情」、亡ばあちゃんは、いっぱい表現をしていた。三回忌のあとは、「安楽浄土」ー「阿弥陀仏のいるという安楽の世界」―に、落ち着いているものかも。突然ですが、「怪しげな行動かなぁと,正すこととかけて、人だけが歩く道ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーほどうー補導—歩道ーです」。またまた、「頑鈍無恥」です。

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