表題の「枯木朽株」の意は、「年老いた人のたとえ」とある。小生の如きは、ただただ歳を重ねていく。前回の「枯木寒厳」続きで載せた。クリスマスとかで、ケーキを三回食べて、今日は残りの一つを食べる。明日からは、新年を迎える準備で、正月飾りをスーパーへ、仏壇の供え花も、正月用に赤いぼんぼつっこついたセンリョウと、菊、松、榊などを買いに花屋さんへ行く。供え餅も買いに行く。一昨年までは、菓子店へ、玄関と神棚への供え餅と、井戸、屋敷神、台所、洗面所などへの小さな供え餅を、注文をしていたが、昨年からは、スーパーに搗き立てのが、並べてあったのが知ったので、それを買うことにした。一応、新年を迎えるが、この身になると、「門松は冥土の旅の一里塚」が気になる。何事も無ければ、一里塚にたどりつく。何事も無いのが、何時までになるのか、なんて湿っぽいことを、考えている。考えてみても、最終的には、「ケ、セラセラ、なるようになるさぁ、先のことなど分からない」で終わる。ほとんどの皆さま方々は、夢も希望も「来年こそは」と、願望のことと思う。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「クリスマスローズ」ー「追憶」。誕生日の方。おめでとうございます。突然ですが、「感情が外にあらわれたものとかけて、氷の上ととく。そのこころは」。「どちらもーひょうじょうー表情ー氷上ーです」。画像は、「枯れ木も山の賑わい」ですね。