ゴミの集積場に、食べ物をあさりに、飛んできた。「かぁー」と一声啼くと、電柱にとまっていたのが、「かあぁ」と、啼いた。何か会話しているのかも。「からすの濡れ羽色」という、黒い羽根に、まばたきする目は、青く光っている。「からすの行水」や、唄にもカラスのことがある。「からすの赤ちゃん なぜなくの こけこっこのおばさんに、あかい帽子がほしいよ あかいお靴もほしいよと かあかあと啼くのね」。「からすなぜ啼くの からすは山に 可愛いい 七つの子がいるからよ」。愛嬌があるのだが、昔しの映画。ヒッチコックの「鳥」のカラスは、気味がわるかった。からすが、じろりと顔を向けたので、「くわばらくわばら」と、退散した。
日暮れは、早い。夕刻の4時半には、薄暗くなっている。「秋の日は、釣瓶落とし」とか、まだ明るいなあと云っていても、すぐに暗くなる。お月さまは、二十二日月。明日は二十三夜月の、下弦の月になる。「秋の夕焼け、鎌を研げ。秋の朝照り、隣へ行くな」と、いうこともある。鎌を使う仕事はないが、雑草の取り払いは、しなくてはならない。「隣へ行くな」は、近所の人には、出会いすれば、挨拶はする。故事、ことわざをいちいち詮索しないで、そうなんだぁと、理解すればいいべぇと、またまた、自嘲をしている。画像の空は、見た目より、明るく、映っている。
雲は、流れていた。風が強くふいてきた。二、三日前は、「木枯らし」と、報じていた。明日は、暖かい「立冬」になると、報じていた。「秋」とは、夏と冬の間の季節。ならば、秋の期間はと、見る。太陽暦では、九月、十月、十一月だ。陰暦では、七月、八月、九月だ。今年は、8月の22日から、11月の17日まで。二十四節気では、立秋、8月9日から、立冬の前日、11月の7日まで。1994年刊の国立天文台編、理科年表の、「日本の季節区分」では、「春の始め、2月15日頃」。「゛梅雨入り、6月10日頃」。「梅雨明け、7月15日頃」。「夏の終わり、9月10日頃」。「秋霖終わる、10月10日頃」。「秋晴れ、11月3日頃」。「しぐれ、11月24日頃」。「冬の終わり、2月15日頃」と、ある。難しいこと考えないで、「秋だぁ」と、風情を、楽しめば、いがっぺぇと、自嘲をしいる。む
親戚に、秋見舞いと称してあげた、その返礼でいただいた、刈り上げ祝。稲刈が、無事に終わったことを、田の神に、感謝する祝いだった。春には、田植え時期に、春見舞いをしている。昔ぁしには、田植えも、稲刈りも、人の手で、行っていた。時代が変化して、農作業も、機械が、とって変わった。やり取りするのも、時代遅れなのかも。まあ、祝い事でもある。今月二十三日には、幣束祭りがある。家例なので、皆ながみんな、行うわけではない。住んでいる家の、神棚、門口、トイレ、水道に、幣束をかざって、日頃の感謝をする。夜露をしのげるだけの家だが、ありがとさん。赤飯を供えて、感謝をする。
画像は、先日の福島民報の記事。ずうーっと36年前に「気象大異変」、相楽正俊著り冒頭部分に、「二十一世紀は、大規模な戦争の発生の危険がある」、とあった。温暖期になり、食糧、エネルギーの、問題が、好転すると、大規模な戦争が発生するある。北方民族と、南方民族が争い、北方民族が勝利するとある。戦争は、貧しさとの戦いとか。民族間の戦争には、食糧問題が、裏の潜んでいるのかも、知れないとある。近年、すぐ近くの国の、恐怖にさらされている。大規模戦争にならなくても、どんな恐怖になるのか、不安でいる。
ちょっと前の朝。サイレンが、近ずいてきた.鼻で臭いをかいでみた。こげ臭い臭いはない。裏通りにでてみると、マンションの前に止まった。たぶん、火災報知器が、知らせたのかも。前にも、何度も、大型の消防車が、けたたましくサイレンを響かせてきた。野次馬で、覗きに行った。何回も、来ると、またかぁだった。これから、火災発生の季節になるのか、火の元には、気を付ける。
またまた、男の料理なんて、いうものではない。しじみの味噌汁。前の日に、スーパーから買ってきた。一晩、塩水につけて、砂を抜いた。鉄卵は、入れ忘れた。昔しは、釘を入れていたようだ。どんな意味があるのか。鉄卵は、岩手県の方に旅行に行った時の、南部鉄の土産。シジミを味噌汁にして、味をみたとき、砂が抜け切れてなかった。辞典をみると、「マシジミ」は、湖や川に生息。「ヤマトシジミ」は、河口に、「セタシジミ」は、琵琶湖水系に、分布しているとある。砂が抜けきれてなかったのは、湖や川に、生息していたものかも。表示されているのを、よく読まなくてはと、思った。味噌は、米麹を入れたもの。味噌本来の、風味。朝食の味噌汁は、格別のうま味だ。