アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
2月29日からずっと繋がっている、血液をサラサラにする点滴から今夜解放されそうです。
私の入院生活の3つの心得は次のとおりです。
1.情報をしっかり把握し、ノートにメモすること
2.関わる人の名前を覚え名前で呼ぶこと
3.していただいた行為に対してはありがとうございますと感謝を伝えること
さて、今回の入院を通じて、父性と母性について強く感じました。
父性は厳しさ、硬さ、正義、さらには一貫性などを連想させます。
私の症状を見てみると、父性のなせる技のような気がしてなりません。
「お前の生き方、考え方のどこかが間違っていたから、病を通じてお前に気づかしてやろう」
まぁそんな風な神仏の差配を感じている日々です。
父性は、一般的には叱るやり方において発揮されます。
感情的に叱るやり方もあれば、感情を伴わずに冷静に伝えるやり方もあると思います。
私はこの父性をしっかりと受け止めました。
自分ののライフスタイルの中に潜む、ある種の非建設的、時に破壊的に走ってしまう傾向をはっきりと今回の出来事で把握することができました。
このことについては後にお話しいたします。
一方で、母性については抱きしめる、受容する、包み込むような感じで代表されるのかもしれません。
叱るのではなく受け入れる。
厳しさに代わる優しさに代表される母性については、とりわけ看護師さんたちの対応についてとてもありがたく感じています。
昨晩、イタリアの名ソプラノ歌手のミレルラ・フレーニのCDを聞きました。
ヘンデルの「オンブラマイフ」から始まり、シューベルトの「アベマリア」、シューベルトの「子守唄」、そして私が1番好きなドヴォルザークの「我が母の教え給えし歌」が入ったCD。
この音楽を聴きながら私はとても包まれ癒され、そして「あなたはあなたのままでいいんだよ」と、まるで母からメッセージを聞いたような気持ちがしました。
母性は、母だけのものではありません。
父性が女性にもあるように、男性にも母性はあります。
母子関係だけでなく配偶者間、その他の人たちとの関係性にも存在します。
こんな境地に置かれていると、状況をしっかり把握している私には、父性で対応されるよりも、母性で受容され、癒されることが勇気づけになります。
話は少し変わって、私は今回のことからさらに一段と感謝の大切さを感じております。
その最大の対象は妻です。
妻は母性そのもので私に対応してくれています。
私の過去の身体のケア不足についての咎めることは一切ありません。
妻だけではなく、いろんな方から応援されていること、メッセージをいただいていること、そして祈りが私に伝わってくること。
これらは母性そのものこのような感じがします。
母性のありがたみを感じた今回の病いでした。
気づかせてくれてありがとうございます。
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