私から友人にプレゼントした朝顔が、種になって行ったり来たりしているうちに、何故か、みな「青い花」になってしまった・・・不思議!
「年賀状」ほどの数ではないが、以前には、「暑中お見舞い」のハガキを出していた。
何時からかは定かではない。
いつの間にか、「暑中お見舞い」を出さなくなってしまった。
でも、毎年、きちんと「暑中お見舞い」くれる友がある。
自分は出しもしないのに、貰うと嬉しいものだ。
先に出そうと思ったりするが、何故か、何時も、出遅れてしまう。
最近の私の手紙(ハガキが主体)は、殆ど、デジカメで撮った写真をプリントして、文章は、短く簡潔にをモットー(?)にしている。
理由の一つは、視力が衰え、文字の手書きが上手く書けず、億劫になったためなのだが、パソコンで書いたものには心がこもらないとか、云々されているが、私自身は、何で書いても(電話でもメールであっても)音信を伝える事が大事と考えている。
時折手紙のやり取りをする高齢(ちょっと耳が不自由)の友人がいる。
この友人から手紙が届くと、何もしてあげられないけれど、一応、ほっとする。
どちらかと言えば、自分自身の為なのかも知れない。
ちょい若めの友達には、パソコンで、せめてメールだけでもしようと勧めている。
どうしているかな・・・と、心に引っ掛かる時、訪問するには大げさだし、かと言って、手紙を出すほど遠方でもないし、軽くメールをしたいと思う事があるからだ。
多分、こんな場合、「暑中思舞い」を出すのが、程良い方法なのかも・・・。
友人のハガキは、年賀状も暑中見舞いも、芸術品だ。
パソコン愛用者としては、甚だ、残念ではあるが、脱帽
せざるを得ないと思っている。
別の友人が絵手紙の講習に通っていたが、他の人に比
べて、どうしても、下手さが目立って切ないと言って、止め
てしまった。
言わせてもらえば、下手も上手も関係ない、要は心なのだ
から・・・と激励したが、やはり、下手は辛いものね