雨上がりの「三嶋大社」は、新緑一杯で清々しい・・・桜の時期より好きですね。
原価がよりゼロに近づく程、身に染みる罪悪感は拡大する・・・珍説相対性理論である(学術的裏付のない我が独自の説であるが・・・)。
先日、庭の草取り中、草と同居している「フキ」を刈り取ったが、「キャラフキ」にしてみようと試みた。
私にしては上々の出来(?)だったので、「そうだ、友人に分けてあげよう」と思って電話した。
友人言うには、「キャラフキは嫌い」だそうで、ならばと、調理前のフキを持って行くことにした。
ただ、友人宅に行くには、1500円(片道タクシー使用)程の交通費と1500円程度のお茶代(これは私の趣味で誰からの強要ではないが・・・)を使うのは通常で、こんなものをくれるのに、わざわざお金をかけてまで出かけなくても・・・という思いは確かにある。
でも、街ブラする口実としては避けがたいものがあり、今回も、そうして出かけた。
友人とはファミレスで待ち合わせたので、少し早めの昼食を取った。
やがてやってきた友人は、最近見つけた場所でランチをしよう、ランチは奢るよ・・・と言う。
何時もは、折半で・・・だが、友人も気を使い、私も既にランチを済ませているから、また、お金を出して2度も食べる気がしないので、友人のお言葉に従った。
食事を頂きながら思ったのは、庭の隅で勝手に茂った原価ゼロの代物が、ランチ代(一人分2000円)になる事への罪悪感を感じ、でも・・・ここに来るのには1500円の費用が掛かったのだから、そのぐらいはイイかな?とか、いろいろ妥協点を探す訳で・・・ま、季節の香りはお金には代えられないものだ・・・なんて理屈も交えたり。
翌日、別の用事で友人に電話をした。
友人は開口一番、「昨日のフキは硬くて食べられなかった」と言う。
「そう、もう時期も外れているから、多少、長めに茹でてみて」と言ったら、「もう捨てた!」だって・・・私の葛藤は何だったの?人生とは空しいものだなぁ・・・なんてね。
私自身も「さもありなん」と納得していた事だから、とりわけ、友人に意見を申すこともないが、
アレコレ思うことが多い程に得られる効果は多くないという「第二弾!珍説相対性理論」を実体験した。