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IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

母からのエール?

2019-06-07 12:17:31 | この頃思う事

母の生前中に、誰かからプレゼンとされた「デンドロビューム(だと思うが・・・)」が、十数年ぶりに、どういう訳か「一つだけ」花が咲いた。

 


 

 

私は、一応、花が好きだから、家にあるどんな花でも枯らさないようにはしている(ま、枯れちゃうこともあるけれど・・・)が、わざわざ買ってまで身の回りに置こうと思わない花の一つに「らん」がある。
以前、東京・後楽園で「世界らん展」を鑑賞した際に、様々な「らん」の花に、いやぁ~綺麗なものだなぁ・・・と感嘆はしたものの、そうね、「見たぞ!」という所で完結してしまい、それを手に入れたいには至らないのだ、最初から、メンドウクサイのは嫌だ・・・という気持ちがあるのだろう

この「らん」を母が貰った時は、当然、数個の花が咲いていた筈だが、その次の年から、全く、花を付けた事が無かった。
要は、私自身が、花が付くような管理をしていなかったということで、手を掛けてまで花を咲かせたいという気持ちも無かったな。
でも、枯らしてしまうのは心苦しい(プレゼントされた物だし)気もあって、玄関先の日当たりのいい場所に置き、時折、水をかける程度にしていた。

その「らん」が、今年、一つだけ蕾を付けたのだ。
十有余年来、面倒を見て来た私への感謝のしるしか、はたまた、もう、来年には寿命切れとなるから、最後の踏ん張りを見せて花を付けたのか・・・ま、姉とアレコレ言いたい放題、でも、たった一つの花に誘われて、心に、ぽぉ~と、灯に似た温かな感情が巡って来た。

 

実は、私には、別の思いも浮かんでいた。

今、姉の子供らが問題を抱え、本人自身の苦労もさることながら、母親である姉も、また並々ならぬ苦労を強いられている。
だからと言って、姉や子供らが現状に悲観してばかりいる訳でもないけれど、呑気な私の出来る事は、皆の気分が少しでも前向きになるよう、それなりに奮励努力している(つもりだ)が、私にだって、どうしようもなく落ち込む日も、間々ある。
そんな状況にある時に、母の形見の「らん」が、たった一つであっても咲いたのは、若しかすると、一生が苦労の連続であった母から、古稀を過ぎても、尚、苦労の絶えない娘らへの「エール」のような気がしたのだった。

母は、娘らに対して、誉める事も優しい言葉を掛ける事もしない人だったが、ともかく、苦労を糧に必死に生きて来た人であり、「苦労のエキスパート」と言えるのかも知れない。
その母が、たった一つの花だけど、挫けそうになる私たちに「喝」を入れてくれている・・・そう、勝手に解釈しながらも、
まぁ、時の流れは、あらゆるものを美しく変えてくれるなぁ(思い出の中の母の印象が、年々、良くなる)・・・と、そんな事も思ったりしている。

 

 

コメント (4)
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