姉が管理している「皇帝ダリア」は、我が家の2階から眺めるには最適の高さに咲く。
何時もならば、地面から見上げて撮影するが、今回は、2階から撮ってみた・・・ズームで撮影したから半ボケになってしまったが、やはり、皇帝らしい崇高さ(単に、丈の高さが)を表現出来ていないな・・・と判明、来年は、また、地面に戻そうかと。
私より5歳若い友人が、この10月に現役引退をした。
2人の子供を連れての離婚からずっと働き続けていたのは(私個人の考えでは、潤沢にあるかどうかは知らないが、ある程度の貯えも有ったと思う)、女手だけで2人の子を育てる事を責務と考えていたからだろう。
でも、子供たちが、其々、自立を果たしている現在、漸く、自分の人生を楽しむ事を選択した・・・と、私は思っていたところが、友人は、もう、ずっと以前から、子供らの勧めもあって、自分自身が楽しめる生活をしていたと言うのだ。
さすが5歳若いとこれだけ意識が違うのかなと、ある種、頼もしい気がして来る。
ただ、ちょいストイックな面があるので、もう少~し、イイ加減になってもいいのでは・・・と助言した。
まぁ、本来的に助言などは聞く耳を持たなければ無用の長物であって、物の役には立たないと承知した上で、友人には、「何時でも誘ってくれれば、何処へでも付き合うからね」と付け足したが、多分、これは有効と感じている。
友人は、全く違う仕事だけれど、短時間パートで、暫くは働くと言っている。
馬鹿げた話だが、自分の周りで再出発する人があると、何故か、気持ちが落ち込んで鬱気味になってしまう。
停滞している自分の姿が、はっきりと見えて来るからだ・・・と思っているが、だからと言って、何も行動を起こせない自分が、一層、嫌になって、何とも言えぬ「とり残された感」に苛まれるのだ。
そこで勝手に、「やらねばならぬ事」を持ち出し、強制的に行動を起こそうとするが、何せ、相手のある事では、得てして、実践不可能になる確率が高くなっているのも事実(年齢的にも?)であり、またしても、結果的に意気消沈となるという悪循環となるのだ。
庭に咲く花が、めっきり、少なくなって来て、「花」を起爆剤にして来た「ブロブ更新のエネルギー」が枯渇、ネタアイディアが、まるっきり、湧いて来ないのも鬱の原因・・・そう、唯一の脳細胞活性化の道が閉ざされているという事。
もう終了宣言しようかと考えている「年賀状」を、もう一年、続けようかと、とりあえず、年賀状の下書きを始めた。
今のところ、何時までに完成するかの予定はしていないから、果たして、期限に間に合うかどうか・・・・あぁ、この状態、何とかしなくては (ただ今混乱中で・・・)