以前には、花壇の縁取りとか道の堺目などに、纏めて植えてあった「タマスダレ」だが、ご多分に漏れずの放置状態という管理不足をしているうちに、その数がだんだんと少なくなって行った。
現在では、庭や花壇のあちこち、一株、二株とランダムな状態で生き残っている。
派手な花でもないから開花していても気が付かない時があるけれど、ある時、突然にその余りにも鮮烈な白色の花が目に飛び込んで来て、何か、神がかったような貴重な瞬間を目撃した感じになるのである。
久しぶりに食した中華料理晩餐メニュー
(別途にグラスワインを注文)
元々が「中華料理」は好きだったと思う。
私が働き始めた昭和40年代には、現在より街のあちこちに「中華食堂」があり、結構、我が田舎であっても「中華レストラン」も存在して、偶に贅沢な食事をしたい時など、数名で、ディナーを催したりしていた。
その後、私も、中国旅行を楽しむようになった時、海外旅行での大事なポイントである食事に何の問題もなかったことが、さらに十数回と中国旅を重ねられた要因の一つ(中国での町中華は、日本にある中華レストランとは明らかに味覚は違ったが、何故か、私の口に合っていた)だったと思う。
数回の引っ越しをしたけれど、電車を利用すると、案外、横浜に近かったことで、一人であっても「横浜中華街」に出向いて、街をぶらつきながら、ランダムに選択した店で、軽いランチを取るという楽しみを続けた。
何時頃からだったか、その「横浜中華街」の風景が一変し、のんびりとしたノスタルジックな空気が無くなり、人々が騒がしく行き交う街になってしまったのに耐えきれず、横浜通いを止めてしまい、それに伴い、「中華料理」に対する私的な思い入れも自然と消えてしまっていた。
その後帰郷した故郷では、「中華食堂」も「レストラン」も少なくなっており、ほんとに偶に、ランチをする程度となり、ディナーなどで利用することは皆無となった。
今回、先輩友人の「ありがとう晩餐会(食事会)」を開こうと思った時、何故か、「中華でディナー」で締め括ろう・・と思い付いたのである。
それは、単に中華料理を久しく食していないという事もあるが、ある一方では、自分自身の心の整理もしたいのもあったように思う。
いつの間にやら中途半端になっていた私の「中華好き(=中国好き?)」に一応のケジメをしたかったのだ。
昨今の中国情勢を見る(聞く)につけ、私の好きだった中国はもう過去なのだと承知しながらも、どこかにノスタルジーを求めている自分がいる・・・それは、結構、切ないもので、そんな思いにもケジメを付けたかった(但し、私には中国人の友人がいるから、すべてをクリアする積りは無い)。
久しぶりの「中華ディナー」を、心行くまで堪能できたことで、すごく心が軽くなった、若しかして、ケジメが付いたのだろうか・・・厳しい現実を認識しつつ、長年、魅了し囚われていた過去を、心地よい満足感と共に整理できたと、今はそんな感じ。