IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

畑の草取りもしました・・・

2012-08-11 11:59:47 | 晴耕雨寝



「九条ネギ」は近所のお師匠さんから頂いたもので、今年は3倍くらいの株数になったから、誰かにおすそ分けできるかも・・・。



母のデイサービスの日。
相変わらず、出かけたがらない母を、何とか送り込んだ後、さて、どうしようか・・・。
体を休めてボケーとしていても、疲れを感じるのでは、時間が無駄になるだけだからと、急遽、友人を誘って、車で30分くらいかかるでしょうか、山間にある「吉奈温泉」の旅館にランチに出かけることにした。
で、一応、念のためにとネットで、かの旅館のホームページを開けてみたところ、何々? 毎週、水・木曜日は休館だと・・・ダメじゃない!
他の場所でも構わないのだけれど、もう、探すのも面倒で、確か、足湯があって軽い食事もできたはず・・・と、その旅館に向かった。

友人はランチセットを、私は、まずビールで食事はチリドッグ、その後、二人で珈琲を・・・。

目の前山には、木々の溢れる緑と、涼しげなピンクの花をつけたさるすべりの木。
山から来る風が心地よく、ビールを嗜み、おしゃべりをして、2時間いたかな?、いや、3時間かな?
十分、自然を堪能した後、少~しだけ「足湯」に浸かった(私は、余り、温泉が得意ではないから・・・)。

結局は、何時もと変わらず、ボーとしていただけなのだが、家にいるより、多少の緊張感が背筋をしゃんとさせるから、気だるさは感じない。

午後4時に家に戻ると、既に、母は帰宅していた・・・こんな時に、軽い罪悪感みたいなものを感じるんですよね。


そういう訳で、その罪ほろぼしという事でもないけれど、翌日、畑の草取りをした。
先日、株分けしたばかりの「九条ネギ」は草と共存し、「かぼちゃ」も、すっかり、草むらの中である。
午前7時半から9時半までが作業限度で、「ネギ」だけは救い出したが、「かぼちゃ」は、もう、収穫までそのままにしておくことにした。





我家の「かぼちゃ」は、昨年同様、スーパーで買った「かぼちゃ」の種が「ごみ捨て場」で芽をだしたものを、
畑に植えなおしたもので、結構、良い実が生育しているけれど、昨年の体験から言うと「美味しくない」のだ



お師匠さんの畑にある、九州原産の(かな?)「かぼちゃ」だが、こちらは「美味しい」ので、実(食べたいから)を貰う予定。

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「暑中お見舞い」出してますか?

2012-08-05 08:12:13 | この頃思う事



私から友人にプレゼントした朝顔が、種になって行ったり来たりしているうちに、何故か、みな「青い花」になってしまった・・・不思議!



「年賀状」ほどの数ではないが、以前には、「暑中お見舞い」のハガキを出していた。
何時からかは定かではない。
いつの間にか、「暑中お見舞い」を出さなくなってしまった。
でも、毎年、きちんと「暑中お見舞い」くれる友がある。
自分は出しもしないのに、貰うと嬉しいものだ。
先に出そうと思ったりするが、何故か、何時も、出遅れてしまう。

最近の私の手紙(ハガキが主体)は、殆ど、デジカメで撮った写真をプリントして、文章は、短く簡潔にをモットー(?)にしている。
理由の一つは、視力が衰え、文字の手書きが上手く書けず、億劫になったためなのだが、パソコンで書いたものには心がこもらないとか、云々されているが、私自身は、何で書いても(電話でもメールであっても)音信を伝える事が大事と考えている。
時折手紙のやり取りをする高齢(ちょっと耳が不自由)の友人がいる。
この友人から手紙が届くと、何もしてあげられないけれど、一応、ほっとする。
どちらかと言えば、自分自身の為なのかも知れない。

ちょい若めの友達には、パソコンで、せめてメールだけでもしようと勧めている。
どうしているかな・・・と、心に引っ掛かる時、訪問するには大げさだし、かと言って、手紙を出すほど遠方でもないし、軽くメールをしたいと思う事があるからだ。

多分、こんな場合、「暑中思舞い」を出すのが、程良い方法なのかも・・・。






   友人のハガキは、年賀状も暑中見舞いも、芸術品だ。

   パソコン愛用者としては、甚だ、残念ではあるが、脱帽

   せざるを得ないと思っている。

   別の友人が絵手紙の講習に通っていたが、他の人に比

   べて、どうしても、下手さが目立って切ないと言って、止め

   てしまった。

   言わせてもらえば、下手も上手も関係ない、要は心なのだ

   から・・・と激励したが、やはり、下手は辛いものね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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仏像を拝観する時は・・・

2012-08-03 15:31:48 | この頃思う事



私の好きな「秋篠寺・伎芸天」と「室生寺・釈迦如来坐像」
何となく勉強してみようかと購入した雑誌なのですが・・・ 



もし、私に、あなたの宗教は?と問われれば、仏教ですと答えるだろうが、所謂、信仰心というより、生活習慣が仏教的だという事になろう。

先日、友人に誘われて、地元函南にある「かんなみ仏の里美術館」に出向いた。
鎌倉時代、「慶派」の仏師である実慶の「阿弥陀三尊像(重文)」がメインだが、「薬師如来坐像」「十二神将立像」などが展示されている。

私自身は、特に仏像に関し勉強もしていないので、全く、分からないと言った方が正しいが、仏像の醸し出す雰囲気には癒されることが多い。
鎌倉でも、京都でも、奈良であっても、仏像を観て歩く事が多いが、要するに、基本的には彫刻として見ているように思う。
やっぱり、最初は顔から入るから、第一印象は「良い顔してるよね」である。

ある日の事、奈良・秋篠寺で、衝撃を受けた事がある。
この事は、もう、話したことが有るかも知れないが、ともかく、両の頬を、パンパンとたたかれたような、心臓に、ぐさっと刃物がささったような・・・。

小学生低学年くらいの女の子を連れた老婦人が、私が「良い顔だ」と見とれていた「伎芸天像」を女の子に示しながら、「ほら、見てごらん。良いお顔をなさっていらっしゃる」と教えているのだ。

それ以来、「良い顔だ」と思っても、「良いお顔ね」と言えるくらいの進歩はしたつもりだ。


「かんなみ仏の里美術館」には、「良いお顔」された仏像があった。
まだまだ、仏像を観る私は、「仏」より「像」に近い感覚だが、慶派の「切れの良いお顔」は魅力的なものがある。
是非、訪ねてみてください・・・何事も、「百聞は一見にしかず」ですから。



     



「かんなみ仏の里美術館」パンフより

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苦悩の水曜日は・・・

2012-08-02 19:25:52 | この頃思う事

  

7月31日・・・我が家では恒例となっている「迎え火」代わりのささやかな「花火大会」です



8月1日、苦悩の水曜日、「デイサービス4回目」の日がやって来ました。
7時半、母に朝食を出しながら、「今日は食事会だからね。お金を払わなくてもお昼ご飯が食べられるから、行って食べてきて(と、なんともいい加減な口説き文句を並べて誘うのですよ)」と言うと、「着て行く服が無い」など、一応、文句は用意していたものの、案外、すらっと受け入れた。
こういう時は多くを語らず、黙って着替えをさせて、お出かけ用ブラウスを箪笥から出すのです・・・反論させない為にも大事な事です。
で、用意万端・・・だったのに、一本の電話がすべてを狂わせたのです。
その電話は、母の妹である叔母の逝去を知らせるものでした。

最近は、親類に不幸があっても、母には告げないでいますが、さすがに、妹の死は伝えなければならないでしょうし、最後のお別れにも連れて行かねばなりません。
8時前だったが、すぐに施設に本日中止を連絡し、大急ぎで、食事の片付け、洗濯(雨が降りそうでした)を済ませ、自分の身支度をして、ちょうど9時。
2台の車に、母、我が姉妹、近くに住む叔母たちを乗せて向かいました・・・途中、大粒の雨に見舞われましたが、どうやら、叔母にお別れも出来ました。

帰宅後、すぐ出かけようとする母を、アイスやお菓子で引き止めながら、昼食の支度を始めて、11時に母に食べて貰いまして、それから、昼食の片付けをしながら夕食の準備をしました。
と言うのは、市内で「花火大会」が開催されるのに、ご招待を受けたのです。
夕食を配膳(そんな大げさなものではありませんが、母の近くに置くと、夕食前に食べてしまうので、台所のテーブルにセットして置きます)してから、一応、我が姿を整えました。

午後5時、セットしておいた夕食を、母に出したまま、「花火大会」へ出かけました。
「ビール」「チューハイ」「ハイボール」すべて缶ですが、俄か売り子さんを経験し、花火を聞いて(数枚写真を撮りましたが、夜空を眺めることなく)、友人宅で一杯飲み(いや、二杯だったか・・・)その後、一軒寄って、帰宅は10時を回っていたらしい・・・毎度、いい加減です。

8月2日午後7時15分です。
変なんですよね、一日、ゆっくり休ませて貰えた日よりも疲れ(全身気だるいような)を感じないのですよ。
よくよく貧乏性に出来ているのか、はたまた、最終の「花火」と「ビール」のお蔭か・・・よく分かりません!
ただ、一つ思い当たるのは、私にとっては、忙しく動き回っていると、下手な考えが浮かばないから、かえって精神的には良いのかも知れないという事ですね。

いずれ、苦悩の水曜日も解決するだろうと思います。

 

 




        

  

やはり、我が家の花火大会とは違って、迫力ある炸裂音は、気持ちがスカッーとしますね

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