見もの・読みもの日記

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教養的文体/南原繁の言葉(立花隆)

2007-03-01 23:43:54 | 読んだもの(書籍)
○立花隆編『南原繁の言葉:8月15日・憲法・学問の自由』 東京大学出版会 2007.2

 立花隆の『天皇と東大』(文藝春秋社 2005)は、出版されてすぐに読んだ。著者の主張には賛同しかねるところもあるのだが、とりあえず初めて知ることが多くて面白かった。この長大な叙事詩のクライマックスにあたるのが、敗戦から2週間後、法学部長の職にあった南原繁が「大学新聞」に寄稿した「戦後に於ける大学の使命――復員学徒に告ぐ」という文章である。これには本当に胸を打たれた。

 著者の立花隆氏自身も、南原の言葉を引用しながら「深い感銘を受けていた」こと、『天皇と東大』の「読者の多くがそういう感想をもらしている」ことが、本書の「はじめに」に紹介されている。そして、その感銘を基に企画されたのが、2006年8月15日に東大安田講堂で開かれたシンポジウム「8月15日と南原繁を語る会」だった(→「公式サイト)。本書は、参加者の当日の発言と、南原の講演や著作で構成されている。

 収録されている南原の発言は、1945年4月「学徒の使命(その一)」のみが戦時中のもので、あとは戦後の混乱期(1945~1949年)、さらに1960年代のものが2件あるが、どんなふうに政治的状況が変わっても、軸足がぶれないのは、信仰を持つ者の強みなのではないかと思う。

 「われわれはわれわれ自身敗れたことよりも、世界における理性と真理の勝利を祝そうではないか」と言い、「民族は個人と同じように多くの失敗と過誤と犯罪をすら犯すものである」ことを認め、日本国民を新たな闘いに向かって鼓舞する。「この新たな苦闘において敵は固より米英ではなく『自己自身』」であり、日本の再建は「世代と世紀をかけての国民共同の不撓の事業でなければならない」と述べる。実に、間然する所がない。

 だが、個別には感銘深い南原繁の言葉であるが、正直いうと、まとめて読んでいるうち、だんだん「もう結構」という気持ちになってくる。敗戦直後の日本人を勇気づけた”文体”が、逆に今読むとツライのだ。たとえば1946年9月の卒業式における演述の結びはこうだ。「さらば卒業生諸君!いつまでも真理に対する感受性をもち、且つ気高く善良であれ!そして常に明朗にして健康であれ!」。ええ~こんな歌舞伎の見得のようなセリフを言い放つのか。当時の大学生は、万民から選ばれた「真理探究の徒」であり、南原が語りかけた東大生は、自覚においても客観的にも、その頂点に立つ特権的エリートだった。だから、こんな「クサイ芝居」も許容されたのだろう。

 しかし、狂信的な国家主義者も、万能のGHQも、揺るがすことのできなかった「教養の牙城」が、大衆社会の到来とともに、脆くも崩壊していくさまを見て育った身には、(たぶん)安田講堂の中で繰り広げられた、南原総長の演説とそれに聞き入る東大生たちの情景は、遠いむかしの古典芸能の一場にも思えてしまうのだ。
コメント
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